勇者、闇の覇王エージニアスのことは忘れたい
彼女が生身となって現れたのは、剣を買って帰る途中、遥か上空から見てもチンピラだとわかる風貌の男達にカツアゲされそうになった時だ。
相手は五人。
この剣のせいだと、俺は思った。だってタダでくれるなんて、やっぱり怪しい。あれはきっと、ハニートラップならぬソードトラップというやつだったんだ。無料で渡すと見せかけて後から難癖をつけ、代金と慰謝料と保険料を寄越せとか何とか言って有り金を全部奪うつもりだったんだ。
経験豊富な俺には、これまでにも何度か高額な壺や絵などを売り付けられそうになったことがあった。イケメンすぎて目立つと、こういった面倒事も多いのだ。今度からは顔を隠して出歩こう。イカすサングラスを買わねば。そう考えながら、俺はボコボコに殴られる前にとっとと商品を返却して逃げようと剣を握った。
するとその瞬間、剣から目も眩むような強い光が走った。
思わず閉じた目を開くと、五人は揃って倒れていた。何が起こったのか、俺にはさっぱりわからなかった。
死んでしまったのでは、殺してしまったのでは、と焦り狂う俺の前に現れたのは、何と剣に映っていた美女――インテルフィ。
平面で見ても美しかったが、立体感を伴った彼女はさらに美しく肉感的で色っぽくてセクスィでしかもいい匂いがして、俺は殺人を犯したかもしれないという現状すら忘れて見惚れてしまった。
すぐに我に返って確かめたところ、五人はちゃんと生きていた。恐怖のあまり、十代半ばの頃に記憶に封じたもう一人の俺、闇の覇王エージニアスが覚醒し、無意識に斬り付けてしまったんじゃ……と心配したけれど、外傷も全くなかった。
首を傾げる俺に、軽い雷属性魔法を受けて気を失ったんだとインテルフィは説明してくれた。
本来ならば、魔法を発現するためには魔導書に記された呪文を正確に詠唱すること、そして走るのに筋力や体力が必要なように魔法を使うための力――通称MPと呼ばれる魔力なるものが必要となる。MPは生まれ持っての資質に左右されるから、鍛えても伸びない奴も多い。もちろん俺は学校でもまるで素質なしと判を押された落ちこぼれで、実技がからっきしだった分を魔導書読解の単位で補おうとするも内容を理解するどころかまともに読み上げることもできず、魔法学は常に落第していた。
そんな俺でも、この剣は魔法を発動してくれるらしい。魔法だけでなく剣技もだ。ただこうしたいと願うだけで、剣が勝手に思い描いた戦闘を叶えてくれるというのだ。
戦い方をまるで知らなかった頃は、助けてと祈るばかりだった。初めて剣の力を発動したこの時が、まさにそうだ。今はある程度コントロールできるようになったけれども、どうしたらいいかわからない状況に陥っても剣が何とかしてくれる。魔王討伐も、そのおかげで達成することができた。
魔力も体力も使わず、難度の高い詠唱も修練した技術も必要ない――そんな夢のような力を与えてくれるのが、インテルフィなる元女神の加護なのだという。
それでもさ、初対面でいきなり自分のことを『伝説の剣に宿る女神だょ♡』なんて言われたって困るよね。キャラ作りなのか、本格的に精神が現実から離脱してるかのどっちかだと思うよね。
続けて告げられたのが、先の警告である。ついでに無意識だろうと剣に祈り、彼女からの加護を授かったら、それで契約完了になるんだとも言われた。事後報告にもほどがあるわ! 先に教えてくれていれば、チンピラに殴られる方を選んでいたのに!
全面的に信じたわけではないし、この時はまだインテルフィのことを『美人だけどイタイ子なのかな?』としか思っていなかった。しかし現実に、五人のチンピラが瞬時に気絶するという不可思議な事象が起きている。
だから俺はすぐ、全速力で家に帰った。大切なものと聞いて、何を思い浮かべる? まずは家族だろう!
が……家族には何も起こっていなかった。ガミガミ叱るばかりの母ちゃんも、口数よりおならの方が多い父ちゃんも、思春期に入ってから口を利いてくれなくなった妹も、皆いつも通りだった。
ならば次に心配するのは、友達だ。いつも皆が集まるダンスクラブに向かってみると、奴らも普段と全く変わりなさそうだった。
しかし隠れて様子を見ていた俺は、友の無事に胸を撫で下ろし、せっかくだから一緒に飲んでやるかと近付きかけたところで『エージって呼んでもないのに勝手に来るよな』『あいつまさか、俺らと友達のつもりなんじゃ?』『え、何それ怖い、今度から別のところで集まろう』という陰口を聞いてしまった。大切なものを失うとはこのことだったのか、とがっつり凹んだ。グッバイ、友情。
一応、その頃アタックしていた女の子の無事も確認しに行った。家を訪れたのは初めてだったのだが、二度と来ないで顔を見せないで消えて失せて滅びてと怒鳴られた。ついでにゴミを投げ付けられた。ヒットしたおでこにタンコブができた。丸めた紙でこれだけ威力が高い投球ができたのだから、彼女も大丈夫なのだろうと安心して帰った。でも、ちょっぴり泣いた。グッバイ、恋心。
友情と恋心、俺が失った大切なものは間違いなくこれだと思っていた。けれど、違った。なるべくしてそうなっただけだ。
うぅ……思い出すと、悲しくなってきた…………。
いつもなら黒歴史が蘇った際に効果的だと評判の、枕に顔を埋めてジタバタする方法を使うのだが、あいにく今は喋るのも動くのも禁止されている。仕方なく俺は目を閉じて、夢の世界に現実逃避することにした。
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