勇者、黄昏れる姿もほら可愛い


「お前らぁぁぁ……!」



 俺は低く呻き、腰に下げていた剣に手を掛けた。


 もちろん、殺すつもりなどない。どれだけ傷付けられようと、心優しい俺に美女と美少女を斬れるわけがないだろう?


 軽く脅すついでに、火属性魔法を微細にコントロールすることで装備だけ燃やす、我が秘技『マッパフレイム』でもお見舞いしてやろうと考えたのだ。


 そうすりゃこいつらだって、俺が本物の勇者だとわかるはずだ。この俺に生意気な口を利いたことを後悔して、泣いて詫びるがいい。俺も多少のダメージを負うことになるが、そのくらい構わん。謝礼金代わりに、恥ずかしい姿を拝ませてもらうぜ!


 美エルフ姉妹の裸体と恥じらいの表情を想像し、俺はニヤリとほくそ笑んだ――が、剣を鞘から抜くには至らなかった。



「ん……あら? どなたかしら?」



 ハンモックから、しっとりと潤った甘い声が降ってきたせいだ。



 俺様手製のハンモックでゆるりと身を起こした彼女は、するりと床に降りてきた。まるで重力を感じさせない動きだが、奇怪さはない。そんなアクティブな動作だけでなく目を擦りあくびをする姿すら、何故か優雅に見える。


 外見も然り。透き通るような白い肌、潤みを帯びた蒼い瞳、形良い鼻に色香の漂うふっくらしたくちびる、一目見るだけで魂まで奪われてしまいそうな美貌だ。出るところは出て引っ込むところは引っ込んだスタイルも抜群。

 妖艶さと上品さが共存した究極形の女――――皆には、そう見えるのだろう。現に、俺にはあれほど毒づいてたエルフ姉妹も、呆然と見惚れている。


 一番に目を引くのは、やはりゆるくウェーブのかかった黒髪だ。床に付きそうなほど長く豊かで、室内でも輝かんばかりの艶を放っている。今の今まで寝くさっていたというのに、寝癖もほつれもない。こいつには、毛先の傷みすら無縁なのだ。


 憎々しげにツヤツヤロングヘアを睨んでいると、その髪の持ち主――インテルフィはにっこりと俺に向かって微笑んだ。



「エージ、おはよう。お客様がいらしていたのなら、起こしてくれれば良かったのに。わたくしだって、お茶くらい……」


「お茶なら俺が出しましたー。ゆっくりじっくりいつまでもどこまでも寝ててくれて結構でーす。こいつらにはもう帰っていただくんでー」


「んもう、エージったら。アホで不細工で弱っちくて自己評価が高いだけのザコゴミのくせに、強がりだけは一人前なんだから。あなたのそういうところ、本当に可愛いわ。素敵だわ。愛おしいわ」


「ザコゴミ呼ばわりするような奴に愛おしいなんて思われたくねえって何度も言ってるよな? こっち来んな、あっちいけ!」



 たっぷりとレースが施された白いロングドレスを波打たせ、徐々に距離を詰めてくるインテルフィに合わせて遠ざかっていると、恐る恐るといった問いかけが飛び込んできた。



「失礼……あなた様は、本当にご自分のご意思でここにいらっしゃるのですか?」


「もしかして催眠だとか洗脳だとか魅了だとか、そういった魔法を施されているのでは?」



 俺にはタメ口ぶっ叩いていた姉の方まで敬語になってやがるのは、間違いなくインテルフィの放つ人ならざる者の高位なるオーラを嗅ぎ取ったためだろう。エルフは魔力が高いというから、インテルフィの正体に気付いてもおかしくはない。


 エルフ姉妹に向き直ると、インテルフィはまた微笑んだ。



「ええ、わたくしは自分の意思でここにおりますの。わたくしには魔法なんて通用しませんわ。だってわたくし、元は『女神』ですもの」



 沈黙が落ちる。


 そりゃそうだ。いきなり女神だなんて言われても、そう簡単に信じる奴なんて……。



「め、女神様……このただならぬオーラ、私もそうではないかと思っておりました! サインください!」


「ま、まさか女神様にお会いできる日が来るなんて……あのあの、握手していただいてもよろしいですかっ!?」



 簡単に信じる奴、いたわ。ここにいたわ。


 こいつら、あれだな……自分はしっかりしてるから大丈夫と変な自信を持ってるくせに、ちゃっかり悪い男に騙されて貢がされるタイプだろ。『お前は騙されてる、あんな男やめとけ!』と周りに助言されても、『彼に限って自分を騙すなんてありえない! 彼のことを何も知らないのに口出ししないで!』とか言って友達まで失っちゃうの。

 そういう子、いたなぁ……傷心のところを慰めてあげようと近付いたら、グーパンで殴られて歯が三本折れたっけ。いや、恨んでなんかないよ。彼女は恋愛に対して臆病になっていただけ、俺にまた恋して傷付くことを恐れて突き放したのさ。ああ、何も言われなくても俺にはわかる。治療も治療費も痛くて泣いたけど、大人の包容力も兼ね備えてるからな。


 だが、俺の包容力にも限度ってものがある。


 別人のように目をキラキラさせてインテルフィに群がる二人を見て、俺はぐぎぎと差し歯となった奥歯を噛み締めた。何これぇ? 俺とは全く扱いが違うじゃなぁい?


 というかこいつら、『勇者様』にお願いがあって来たんじゃなかったのかよ!



「そうだ、『例の件』は女神様にお願いしたら良いのではないか?」


「お姉様、ナイスアイディアです! 女神様がお力になってくださるのなら心強いですものね!」



 あ……そっちも俺は用無しですか、そうですか。


 こうなったら空気に徹しよう。部屋の隅でしょんぼり黄昏れていよう。


 想像してごらん? 拗ね拗ねする俺も……ほら可愛い。



「残念ながら、わたくしはあなた方のお力にはなれませんわ。天界を追われ、剣に封じられるくらいの駄女神ですもの。ですが運良くこの人、エージ・ウスゲンと出会えたおかげで、今はこうして彼のお側に仕えて幸せに暮らしております」


「えっ、ということは、あなた様がかの『伝説の剣』の……!」


「そしてやはり、薄毛様とやらの奥方なのですか……!?」



 それを聞くや、床に座って膝を抱えていた俺はきっと顔を上げた。



「こいつは俺の奥さんなんかじゃねえ! それと薄毛じゃなくて、ウスゲンだ!」


「やっだぁ〜、奥方ですって! そう見えます? 見えますのね? あらあらまあまあ、嬉しいわ!」



 顔を両手で隠し、髪とドレスをフリフリ揺らして喜ぶ姿は乙女だが、騙されてはいけない。こいつは追放された薄幸の女神でもなければ、健気に恋する乙女でもないのだ。


 しかし、それをどれだけ訴えたって誰も聞いてくれないのもとっくに理解している。


 こいつにどれだけひどい目に遭わされていると思ってる? 人の良い俺だって、さすがに学習するわ。



「もう用は済んだろ。勇者なんて呼ばれたのは昔のこと、俺は静かに暮らしたいんだ。それに、こちらの話を聞こうともしない奴のお願いなど、誰が聞くもんか。帰れ帰れ! 二度と来るな!」



 泡立て器を切って作った自前の頭皮マッサージ器をぶんぶん振り回し、俺は二人の姉妹を追い出した。



 魔王を倒したばかりの頃ならまだしも、あれから随分と月日が経っている。真偽もわからない噂だけを頼りに、こんな辺境の地にいる俺を見付け出すのには苦労したことだろう。


 あの姉妹は、それだけ強い思いでここに来たんだ。『魔物に拐われてしまった魔道士団長を探してほしい』――その一心で。


 可哀想だとは思う。申し訳なさも感じる。けれどすまない、どうか許してほしい。


 今の俺には、誰かを助けられるほどの力は残っていないのだ。

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