約束ですからね!
「むにゃむにゃ。……あったかい」
なんて声が近くから聴こえてきて、俺はゆっくりと目を覚ます。
「……なんでお前がここに居るんだよ、黒音」
自室のベッドで眠っていると、何故か隣で黒音が眠っていた。クーラーで冷えた身体を温めるように俺の身体にへばりついて、ぐーすかと寝息を立てている。
幸い黒音は俺の胸に顔を埋めているから、顔を見ずに済んだ。……けれどその代わり、黒音の無駄に大きい胸が押しつけられていて、なんだか少し悪いことをしてる気になる。
「……まあ、いいか。それより今日は、何曜だっけ?」
動くと黒音を起こしてしまうので、ぼーっと天井を眺めながら少し頭を悩ませる。……けどやっぱり、記憶が曖昧だ。昨日自分が何をしていたのか、はっきりと思い出せない。
「確か日曜に祭りに行って、その次の日に……水瀬さんがうちに来たんだ。それでその日は台風が来て、先輩もちとせもうちに来なかった。じゃあ今日は火曜……いや、昨日も誰も来なかったんだ」
昨日は綺麗に晴れていたのに先輩もちとせもうちに来なくて、メッセージを送っても返事が返ってこなかった。だから昨日は1日中ダラダラしていて、気づけば眠ってしまっていた。
「……今、何時だ」
ちらりと時計に、視線を向ける。……今は午後の12時過ぎ。どうやら半日以上、眠っていたようだ。
「……ふや? んー。……あれ?」
と。そこで黒音がそんな言葉をこぼして、ゆっくりと身体を起こす。だから俺は、慌てて視線をそらす。
「おはようございます、十夜先輩」
「……おはよう、黒音。よく眠れたか?」
真っ白な壁を見つめながら、そう言葉を返す。
「はい。バッチリです。十夜先輩の身体あったかくて、ぐっすり眠れました」
「そうか。それなら、よかったよ。……でもお前、どうしてこんな所で寝てるんだ?」
「……あれ? そういえば……って、あ。そうでした! 忘れてしまた!」
黒音は何かに気がついたように勢いよく立ち上がり、部屋を仕切るカーテンの向こう側に駆け込む。
「ごめんなさい、十夜先輩。十夜先輩は吸血鬼だから、黒音の顔を見ちゃダメなのに……。それなのに黒音、お面もつけずにあんなに近づいて……。ごめんなさい」
カーテン越しに、黒音は何度も頭を下げる。
「別に構わねーよ。ギリギリ、お前の顔は見ずに済んだしな。それよりもう一度訊くけど、どうしてお前は俺の部屋で寝てるんだ?」
「それは……あれです。この部屋ちょっとクーラーが効き過ぎてて寒かったから、くっついた方があったかくてよく眠れるかなって思ったんです」
「いや、別にお前まで眠る必要はないだろ?」
「えへへ、そうですね。でも十夜先輩の気持ちよさそうな寝顔を見てたら、黒音も眠くなっちゃったんです」
「いや、眠くなったって……。まあいいか。とりあえず、よく来てくれたな」
身体を起こして、伸びをする。それでようやく、目が覚める。
「えへへ。十夜先輩にそんな風に言われると、黒音ちょっと照れてしまいます」
「今更そんなので、照れるなよ」
「照れますよ? なんたって十夜先輩は、黒音の憧れですから」
「……憧れ、か」
その言葉が何故か、酷く懐かしく聞こえた。けれどその意味を理解する前に、黒音が続く言葉を口にする。
「そうだ。今日はちょっと、話さなければならないことが、あるんです。だから忘れないうちに、そっちの話をしますね?」
黒音はそこで、持参したであろうペットボトルの飲み物を、ぐびぐびと飲む。カーテン越しではその中身は分からないが、多分オレンジジュースなんだろうなと思った。
「まず最初に、部長さんからの伝言です。『スマホの調子が悪くて、連絡が取れなくてすみません。でも準備が終わったら、すぐに会いに行きます』部長さんは、そう言ってました」
「……お前、紫浜先輩と会ってたのか」
「はい。部長さん、いくらメッセージを送っても返事してくれないから、心配でちょっと様子を見に行ったんです。そしたらなんか凄く忙しそうにしてて、今から十夜先輩の家に行くって言ったら、伝言を頼まれたんです」
「そうか。悪いな。……でも準備って、なんの準備だ?」
「さあ、それは黒音には分かりません。けど部長さん、十夜先輩の為に頑張ってるみたいでした。……なんだか少し、思い詰めて見えるくらいに」
黒音はそこで、言葉を止める。だからしばらく、クーラーの音だけが静かに響く。
「それで? 他にもまだ、何かあるんだろ?」
俺がそう先を促すと、黒音は珍しく少し言い淀んでから、ゆっくり話し出す。
「……十夜先輩。十夜先輩は、覚えてますか? 黒音が文芸部に入る時に、交換条件を持ちかけたのを」
「交換条件……」
そう言われると、そんなことを言っていた気もする。けど今の俺の冷たい心では、その内容を思い出すことができない。
「本当は、もういいかなって思ってたんです。十夜先輩、最近は色々と大変そうだし、わがまま言ってる場合じゃないなって」
でも、と黒音は言葉を続ける。
「最近の十夜先輩を見てると……ううん。十夜先輩の為に頑張ってる部長さんを見てると、どうしても言っておきたくなったんです。だから、聞いてくれますか? 黒音の、わがままを」
カーテンで遮られているから、黒音の表情は伺えない。けれど声の感じから、とても真剣な雰囲気が伝わってくる。だから俺も居住まいを正して、真剣に言葉を返す。
「構わないよ。なんでも言えよ。お前には、世話になってるからな」
「ありがとうございます。じゃあ、言いますね? ……十夜先輩。黒音と部長さんと十夜先輩の3人で、デートしませんか?」
「…………」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。3人でデートという言葉は、それほどまでに俺の想像を超えていた。
……でもそれで、思い出す。そういえば黒音を文芸部に誘った時も、そんなことを言われて困惑したなと。
「やっぱり、ダメですか?」
「……いや、別に構わねーよ。紫浜先輩もそれくらいなら、引き受けてくれるだろうしな。まあ、顔を見ないようにするのは面倒だけど、祭りの時みたいにお面でもつければ、どうにかなるだろ。……でもどうして、3人でデートなんだ?」
「それはまだ、内緒です。……ふふっ。でも、やったっ。十夜先輩とお出かけ、楽しみ!」
まるで夢でも見るかのように、黒音は楽しそうな声を響かせる。
「……そうだな。この前の祭りでほったらかしにした埋め合わせもあるし、最後に皆んなで集まって遊んだりするのも悪くないかもな」
……俺はもう、長くは保たない。きっと未鏡 十夜の心は、この夏を超えられないだろう。だからそう遠くないうちに、俺は無理やりにでも2人の血を吸うつもりだ。
なら最後に、皆んなで遊んで楽しい思い出を作る。そういうのも、悪くはないだろう。
「……やっぱり、そうなんだ」
ふと、黒音が何か呟く。けれどその声はクーラーの音に遮られて、俺の耳まで届かない。
「何か言ったか? 黒音」
「ううん、何でもないです。それより3人でのデート、楽しみですね?」
「そうだな。日程なんかは……また今度、決めればいいか」
「そうですね。……じゃあ用事も終わったことですし、久しぶりにチェスでもしませんか? 黒音、チェス盤もって来たんです!」
それからは2人で楽しく、チェスをして過ごした。……しかしやっぱりその日も、先輩とちとせがうちにやって来ることはなかった。
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