頑張ってね。



「そもそも吸血鬼っていうのは、一体なんなのか。まずはそこから、説明しようか」


 ベッドに腰掛けて脚を組んだ美咲は、大きなあくびをこぼしてから、ゆっくりとした口調で話し出す。


「心が冷たくて、人を人とも思えない。同じ吸血鬼に血を吸われると、人の心を取り戻せる。そして血を吸った吸血鬼は、死んでしまう。2人が知ってるのは、大体これくらいだよね?」


 美咲のその問いに、玲奈とちとせの2人は黙って頷きを返す。


「だから2人は……ううん。十夜くんも合わせて3人は、吸血鬼のことを少し変わった精神疾患のようなものだと、思っていたのかもしれない。……まあ、血を吸ったら死ぬなんていうのは、普通じゃないけどね。でも少なくとも3人は、一度死んで蘇るみたいなことができるとは、思っていなかった」


「……そういう前置きみたいな話はいいから、早く本題を話してくれない?」


 美咲のゆっくりとした口調に痺れを切らして、ちとせがそう口を挟む。


「ちとせちゃんは相変わらず、せっかちだね。……でも、そうだね。私にはあんまり時間がないんだし、そろそろ本題に入ろうか」


「…………」


 私にはもう、時間がない。玲奈はその言葉に嫌な予感を覚えたが、玲奈が口を挟む前に美咲は続く言葉を口にする。


「まず言っておかなければならないのは、私のことかな。きっとちとせちゃんは、その辺りの話が聞きたくてここに来たんだろうしね」


「……どうしてこの人が、姉さんの心配をするんですか?」


「違うよ、玲奈ちゃん。心配じゃなくて、期待。私みたいに一度死んで蘇ることができるなら、2人の血を吸って死んだ十夜くんを蘇らせればいい。そうすれば2人は人に戻れるし、十夜くんも生きていられる」


「それは、確かに……」


 それは確かにそうだけど、でもできれば玲奈は、十夜を死なせるようなことはしたくなかった。


「でも残念ながら、それはできない。私みたいに蘇るには大量の血が必要だし、仮にそれだけの血を用意できたとしても……意味なんてない」


「意味がないって、どうしてよ。貴女はちゃんと、生きてるじゃない」


「うん。今はね。でも私はここ最近までろくに身体も動かせなかったし、玲奈ちゃんのことも忘れてた。それに何より……」


 美咲はそこで言葉を止めて、少し遠い目で部屋の天井を仰ぎ見る。


「この部屋さ……ううん。この建物にはね、窓がないんだよ。それってさ、どうしてだと思う? ヒントはね、吸血鬼の弱点」


「……もしかして姉さんは、陽の光を浴びられないんですか?」


 玲奈のその言葉に、美咲は頷きを返す。


「正解。私は蘇ってから、一度も陽の光を浴びていない。だって浴びると、死んじゃうからね」


「……それじゃ貴女、本当に吸血鬼なのね」


「そうだよ。私たちには、遠い遠い昔に存在した吸血鬼の血が流れてる。人の血を吸い、人を虐げ、夜を支配した本物の怪物。人の血を吸うことで、私たちの異常性は発揮される」


「…………」


 玲奈は美咲の話を聞いて、思い出す。人の血を見て以来、人のことを餌としか思えなくなった十夜の過去を。



 ……そして同時に、気がつく。



 自分は人の血を見ても、そんな衝動は感じなかったと。


「……姉さん。聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」


 玲奈は意味もなく辺りを見渡してから、そう尋ねる。


「十夜くんのことかな?」


「そうです。……姉さん、言いましたよね? 十夜くんは本物の吸血鬼だって。あれは、どういう意味なんですか?」


「……私たちには、吸血鬼の血が流れてる。さっきそう言ったよね? でもね、別に私たちの血そのものには異常はないの。私が何度も病院に行って異常がなかったのは、玲奈ちゃんだって知ってるでしょ?」


「…………」


 玲奈は黙って、頷きを返す。


「その辺りはあの人たち……私のお父さんとお母さんが、血眼になって調べてる。けど、まだあんまり分かってないの。……ただ多分、逆なんだよ」


「逆、ですか」


「そう。私たちは吸血鬼として産まれたから冷たい心を持ってるんじゃなくて、冷たい心を持った人間が吸血鬼になる。人の孤独が、鬼になる。そして鬼になってしまった人は、ずっとずっと孤独になって、人の血を吸うと太陽に焼かれて死ぬ。そういう呪いなんだよ、吸血鬼っていうのは」


「……それが十夜の話と、どう関係してるのよ」


 ちとせは鋭い瞳で、美咲を見る。


「……あの人たちは日本中を調べ回って、私たちと同じような子を何人も見つけた。けどね、十夜くんだけなんだよ。人の血を見て、吸血鬼になったのは」


 美咲はそこで、無意識に手を伸ばす。


「私たちは、遠い昔の吸血鬼に呪われてる。もちろん今の私みたいに、恩恵がないわけじゃない。けど呪いと言って差し支えないだけ異常が、私たちにはある。……けど十夜くんだけは、呪いじゃなくて本物なんだよ。どうしてそんな存在がいるのかは分からないけど、彼は私たちとは質が違う」


「だから、十夜くんの血を吸っても意味がないんですか?」


「うん。たぶん吸血鬼は、同じ吸血鬼の呪いを吸い出せるんだと思う。だから血を吸われた方は人に戻れて、吸った方は2つの呪いに耐えられなくて死んでしまう。けど十夜くんは、そもそも呪われていない。彼はその呪いを産み出した、本物の吸血鬼だから。だから彼の血をいくら吸っても、意味なんてない」


 美咲は伸ばしていた手を、ゆっくりと下ろす。そしていつもの笑顔を引っ込めて、真面目な表情で2人を見る。


「でも私は、そんな十夜くんを人に戻せるかもしれない方法を、知ってる。今日はそれを2人に伝えようと思って、わざわざ来てもらったんだよ」


「本当ですか!」


「それ、ほんと?」


 2人はソファから立ち上がり、美咲の方に駆け寄る。……けれど美咲はあくまで淡々と、言葉を続ける。


「そこに置いてある、本。……っていうか、古文書かな。そこにね、もしかしたらっていう記述があったの。そしてその隣に置いてあるのが、それを現代語に訳したやつ。それあげるから、持って帰って読んでみるといいよ」


「どうしてそんな、まどろっこしい真似しなくちゃいけないのよ。貴女は十夜を人に戻せる方法を、知ってるんでしょ? ならここで、教えればいいじゃない」


「そうです。姉さんには悪いですけど、知ってるなら今ここで教えてください」


 2人に肩を掴まれても、美咲は首を横に振る。


「ううん。ダメ。簡単には、教えてあげない。人はね、簡単に伝えると、簡単に理解してしまう生き物なんだよ。だから私は、あの白い本を書いたんだし、今もこの本を2人に渡す。2人はそれを読んだ上で、その結末を見た上で、ちゃんと考えて選択して欲しい」


 そう告げる美咲の瞳には、有無を言わせぬ迫力があった。だからちとせはこれ以上言っても無駄だと思い、言われた通りその本を手に取る。


「この本、貰っていくけどいいのよね?」


「うん。それは2人の為に、用意したものだからね」


「……そ。じゃあ私は、もう帰るわ。……世話になったわね」


 ちとせはそれだけ言って、この場から立ち去る。玲奈も美咲もちとせの性格を把握しているから、その背を引き留めるような真似はしない。


「……姉さん」


「なにかな? 玲奈ちゃん」


「十夜くんを助けられる方法があの本に書いてあるって、本当なんですか?」


「うん。本当だよ」


「なら、姉さんを助けられる方法はないんですか?」


 玲奈は真っ直ぐに、美咲の瞳を見つめる。だから美咲は、またいつもの笑みを浮かべる。


「ありがとう、玲奈ちゃん。でも私は、もういいの。玲奈ちゃんのお陰で、十分幸せだったから」


「……よく、ないです。私は姉さんにも──」


「大丈夫だよ。玲奈ちゃん」


 美咲は玲奈の言葉を遮るようにそう言って、そのまま優しく玲奈を抱きしめる。


「玲奈ちゃんはこれから、とても辛い選択をしなくちゃいけない。……本当は全部、私が引き受けてあげたかったけど、残念ながら私にはもう時間がない。……だから、玲奈ちゃん。玲奈ちゃんも私なんかに構ってないで、大好きな人の為に頑張って。私はここで、玲奈ちゃんの幸せを祈ってるから」


「…………嫌だよ、姉さん。私は、姉さんも……」


「大丈夫。私はもう大丈夫なの。私は遠くから、玲奈ちゃんのこと応援してる。だから玲奈ちゃんも、もう行って。……あんまりゆっくりしてると、ちとせちゃんに十夜くん取られちゃうよ?」


 美咲は優しく玲奈の頭を撫でて、ゆっくり玲奈から手を離す。


「……また来ます。十夜くんを助けたら、2人で姉さんに会いに来ます。だから……待っててください」


「……うん。分かった。待ってるよ。ずっとずっと、待ってる。だから、玲奈ちゃん。負けちゃダメだよ? きっと玲奈ちゃんになら、私に見つけられなかった希望を見つけられる。だから、頑張れ。玲奈ちゃんになら、なんだってできる」


「ありがとう、姉さん。私、頑張るよ」


 玲奈は美咲を真似るように、無邪気な笑みを浮かべる。そして名残惜しい気持ちを振り払い、一冊の本を手に取って歩き出す。


「……よかった。ちゃんと伝えられて」


 2人を見送った美咲は、消え入るような声でそう言って、そのまま力なくベッドに倒れ込む。


「……次に起きられるのは、何年後かな」


 美咲のその呟きは誰にも届くことなく、冷たい静寂に消える。



 そうして美咲は、長い眠りについた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る