話があるの。



 紫浜しのはま 玲奈れなは、朝早くからとある公園を訪れていた。



「……暑い」


 夏の肌を焼くような日差しから逃げるように、玲奈は木陰に入る。そして小さなポーチからスマホを取り出して、軽く息を吐く。


 昨日は台風が来て、十夜に会いに行くことができなかった。しかもスマホの不調なのか、それともWi-Fiのモデムかルーターの不調なのか、電波が繋がらず十夜に連絡を取ることができなかった。


 だから玲奈はなんとなく落ち着かなくて、意味もなくスマホの電源をつけたり消したりする。


「……遅いですね」


 小さくそう呟いて、スマホをポーチにしまい代わりに一通の手紙を取り出す。


『火曜日の朝7時。いつもの公園に来て。吸血鬼の秘密を、教えてあげる。お姉ちゃんより』


 あの夏祭りのあと。家に帰ってポストを確認すると、そんなことが書かれた手紙が投函されていた。その手紙を見て、玲奈はまず十夜に相談しようと考えた。吸血鬼のことは、自分より十夜の方が知りたいはずだから。



 ……けど結局、玲奈は1人で公園にやって来た。



 だってもしかしたら、吸血鬼の秘密というものが更に状況を悪くするようなものかもしれない。それなら下手にその事実を十夜に知られると、彼は今すぐにでも血を吸おうするかもしれない。



 だから玲奈は茹だるような暑さに辟易としながら、姉がやって来るのを1人で待ち続けていた。



「……なんで貴女が、ここにいるのよ」


 すると不意に、そんな声が響く。


「……それはこっちのセリフです。どうして貴女が、こんな場所にいるんですか」


 公園にやって来たちとせに、玲奈は呆れたような視線を向ける。


「そんなの、貴女には関係ないわ」


「なら私だって、貴女に教える理由はありません」


 2人はほとんど同時に、お互いから視線をそらす。


「…………」


 ……玲奈はそのまま明後日の方に視線を向けたまま、少し頭を悩ませる。


 姉とちとせは、知り合いだった。そしてちとせも、自分たちと同じ吸血鬼らしい。なら姉がこの場にちとせを呼んでいたとしても、別におかしくはない。けどそういう風に考えるのなら、同じ吸血鬼である十夜もこの場所に呼ばれているはずだ。


 そう考え、辺りを見渡してみる。……けれど十夜の姿は、どこにもない。



「……え? どうして、貴女がここに……」



 しかしその代わりと言うように、ちとせ以上に予想外の人物を見つけてしまう。


「2人とも、ちゃんと居るみたいね」


 その人物──玲奈の母親は、当たり前のようにそう言って、冷めた目で玲奈とちとせを見つめる。


「……答えてください。どうして貴女が、ここにいるんですか?」


 玲奈はもう一度、同じ問いを繰り返す。


「……頼まれたのよ、美咲に。貴女たち2人と話がしたいから、連れて来てって」


「どうして姉さんが、貴女にそれを頼むんですか。……そもそも話があるなら、姉さんが直接……」


「あの子には、それができない理由があるのよ。……本来なら誰にも会わない方があの子の為なのに、どうしてもって聞かないのよ」


 玲奈の母親はそう言って、とても優しげな笑みを浮かべる。……玲奈はどうしてか、それが気持ち悪いと思った。


「……2人ってことは、やっぱりこの人も一緒なんですか?」


「そうよ。白い髪の女の子って言ってたから、どう考えてもこの子でしょ」


「…………」


 玲奈は伺うように、ちとせに視線を向ける。


「そんな目で見ても、私だって何も知らないわ。……あの人とは何度か会って話をしたけど、あの人自身のことなんて私は何も聞いてない。……そもそも、興味もないしね」


「……そうですか。でも貴女は、十夜くんと一緒に死ぬつもりなんでしょ? それなのに、吸血鬼の秘密を知りたいと思うんですか?」


「そうよ。私だって別に、死にたいわけじゃないのよ。……ただ、十夜のいない世界で生きるくらいなら、死んだ方がマシってだけ」


「なら貴女もまだ、十夜くんを助けたいって思ってるんですね?」


「もちろん、そうよ。……ただ私は、貴女みたいに真っ直ぐな想いがあれば奇跡が起こるとか、そんな都合のいいことは思わない。それより……」


 ちとせはそこで、視線を玲奈の母親に向ける。


「それより早く、案内してちょうだい。私も暇じゃないのよ」


 年上への敬意を全く感じさせない、ちとせの言葉。しかし玲奈の母親は、そんなちとせの言葉を聞いても眉1つ動かさず、


「こっちよ」


 そう言って早足に歩き出す。


「…………」


「…………」


 だから玲奈とちとせも、その背を追って歩き出す。


 この2ヶ月で、玲奈とちとせは多少は打ち解けることができていた。しかしその関係も、昨日で完全に壊れてしまった。そして元より、玲奈と玲奈の母親は険悪な関係だ。


 だから3人は、まるでおもちゃ人形のようにただ静かに歩き続ける。そして、10分後。3人は小さな街の診療所のような建物に、たどり着く。


 看板も何もなく寂れて見えるその建物は、どう見ても廃墟のようにしか見えない。


「…………」


 しかし玲奈の母親は、当たり前のようにその建物に足を踏み入れる。……だから玲奈とちとせも覚悟を決めて、その背に続く。


「これは……」


「……なんだか、秘密基地みたいね」


 その建物の内観は外から見た印象とは正反対で、まるで最新の研究所のように、清潔で何より無機質だった。


「こっちよ」


 驚いたように辺りを見渡す2人を無視して、玲奈の母親は奥の部屋の扉を開ける。だから2人もゆっくりと、その部屋に入る。


「私は他にやらなきゃいけないことがあるから、もう行くわ。貴女たちも、用事が済んだら早く帰りなさいね。……一応言っておくけど、この部屋以外の場所には入らないようにね。それと、美咲を外に連れ出しちゃダメよ」


 玲奈の母親は冷めた声でそれだけ言って、すぐに部屋から出て行く。けれど玲奈もちとせも、その背を引き止めるような真似はしない。元より用があるのは、彼女ではなく目の前で眠っている少女なのだから。


「……姉さんは、いつもこんな所にいるんですね」


 窓1つない、まるで牢屋のような部屋。しかしそんな部屋の雰囲気とは裏腹に、扉には鍵がかかっていなくて、美咲のものと思われるゲーム機や本なんかが乱雑に置かれている。


「姉さん。起きてください。言われた通り、来ましたよ?」


 綺麗なベッドで眠っている美咲に、玲奈はそう声をかける。


「…………」


 けれど美咲は、動かない。それこそまるで死んだように、指一つ動かさない。だから玲奈は、そういえば姉さんは朝に弱かったな、なんてことを考えながら美咲の肩に手を伸ばす。



 ……けれどその手は、途中で止まってしまう。



「……え?」


 美咲の寝顔は、とても穏やかだ。……いや、少し穏やか過ぎた。真っ白な肌には生気がなく、すぐ側まで近づいても呼吸の音すら聴こえない。




 美咲はどう見ても、死んでいた。




「……来てくれてたんだね、2人とも」



 しかし、死んでいるようにしか見えなかった美咲は、ゆっくりと目を開けて身体を起こす。


「────」


 玲奈は……いやちとせですら、美咲のその当たり前のような態度に、思わず息を飲む。


「ふふっ。2人とも、驚いてるみたいだね。でも、大丈夫だよ? 今の私にとって、これは普通のことだから。それより2人とも、そこのソファに座って。……私が起きていられる間に、話しておきたいことがあるんだ」


 美咲はいつも通り無邪気な笑みを浮かべて、大仰に脚を組む。



 そうして十夜の知らないところで、事態はゆっくりと前に進む。


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