ただいま。
ふと空を見上げると、欠けた月とまばらな星々が目に入る。それはいつもと同じ見慣れた空のはずなのに、どうしてか初めて見る景色のように感じた。
「……それもあながち、間違いじゃないか」
そう呟き、歩き出す。徐々に徐々に、夜の喧騒が深まっていく。
今日は、待ちに待った夏祭りだ。
だから俺は、足元に気をつけながらゆっくりと人混みを歩く。……多少、周りからの視線を感じるが、今更それくらいで足を止めたりしない。
「あ! 十夜先輩! こっち、こっち〜!」
そうやってしばらく歩き続けていると、待ち合わせ場所の小さな公園から、一際元気な声が響く。……距離が離れているからそれが誰なのか判別がつかないが、声の感じからして黒音なのだろう。
「すぐに行くー」
だから俺は軽く手を上げて返事をして、少し早足にそちらに向かう。すると黒音らしき人物の背後から、他の3人も顔を出す。
「遅かったわね? 十夜」
冬の空のように淡い青色の浴衣を着たちとせが、そう言って軽く手を上げる。
「ふふっ、十夜くん。その着流し似合ってますよ?」
「そうだね、十夜くんはすらっとしてるから、和服がよく似合うよ」
そして紫浜先輩と水瀬さんの2人も、ちとせに続いてそう声を上げる。
「遅くなってすみません、先輩。それに、皆んなも」
俺はそう返事をして、目をそらすことなく皆んなの姿をこの目で見る。……しかしそれでも、心が凍ったりするようなことはなかった。
つまりそれは、皆んなで考えた作戦が成功したということだ。
「……でもちょっと、異様ではありますよね。こうして、5人集まると」
俺は軽く笑みを浮かべるが、その笑みは他の4人には見えていないのだろう。
「でも、皆んなでこうやってお出かけできて、黒音は凄く嬉しいです! 皆んなで考えたお面大作戦は、大成功ですね!」
「……そうだな」
お面を大作戦。それはその名の通り、お面をつけて祭りに行くという、とても単純なものだ。……しかしその単純な作戦のお陰で、こうして皆んなで出かけることができた。
「……って、水瀬さん。水瀬さんのお面だけ、なんか違くないですか?」
ふと見た水瀬さんのお面が怖くて、俺は思わず後ずさる。
お面大作戦を決行すると決めてから、皆んなそれぞれお面を用意することになった。
俺はネットで、白い狐のお面を取り寄せた。ちとせは、猫のお面をつけている。黒音は何かのアニメキャラのお面で、先輩は俺と色違いの黒い狐のお面だ。
でも水瀬さんのお面だけ、なんか怖い。上手く形容できないが、彼女のお面だけ真っ赤な鬼みたいなおどろおどろしいもので、正直かなり浮いていた。
「ふっふっふー。よく気がついたね? 十夜くん。私のお面は、家の倉庫に眠ってた由緒正しいお面なのさ! なんでも、昔は神事に使われてたとかで、悪を祓う力があるんだよ!」
しかし、当の本人はそんなこと気にもせず、自信満々に胸を張る。
「悪を祓うっていうか、貴女が悪そのものに見えるけどね」
そんな水瀬さんに、ちとせの容赦ない突っ込みが刺さる。
「ちとせさんは相変わらず、容赦がないな。……というかちとせさんだって、その綺麗な白い髪と合わさって、なんだか神々しく見えるよ?」
「神々しいなら、別にいいじゃない」
「あ、じゃあ黒音はどうですか? これ、今人気のアニメのキャラで、実は結構な値段するんですよ?」
「……貴女は、あれね。小学生にしか見えないわ」
「むっ! それは失礼ですよ? 黒音はこう見えて、ちょっとだけ身長伸びたんですから!」
「そ。でも事実なんだから、仕方ないでしょ?」
「む〜」
3人はとても楽しそうに、言葉を交わす。それは少し前では考えられなかった光景で、俺は思わず笑ってしまう。
「……十夜くん。十夜くん」
……と。そこで不意に、いつの間にか隣に来ていた先輩に、くいくいと服の裾を引っ張られる。
「先輩。どうかしたんですか?」
「……その、私の浴衣姿、どうですか? ちゃんと、似合ってますか?」
そう言う先輩もお面を被っているから、その表情は伺えない。でもお面に隠れていない耳が真っ赤になっているので、きっと照れているのだろう。
……そんな先輩は、やっぱりとても可愛いと思う。
「先輩。絶対にお面、とらないでくださいね?」
「……え? その、分かりました」
俺の唐突な言葉を聞いて、先輩は困惑しながらも頷きを返してくれる。だから俺は当たり前のように、自分のお面を外した。
「…………」
そこでちょうど風が吹いて、俺は大きく息を吸う。
そもそも元から、俺がお面をつける必要なんてどこにもない。だって俺が皆んなの顔を見てはいけないのであって、皆んなに俺の顔を見られても困ることなんて何もない。
ただ、皆んなにお面をつけさせて、自分だけ何もつけないというのは悪いと思った。それにどうせなら俺も、皆んなと一緒にはしゃぎたかった。だから俺も、お面をつけることにした。
……でもお面をつけていると、先輩の姿がよく見えない。だから今だけ、お面を外すことにした。
「……綺麗ですよ、先輩」
白を基調とした、あじさい柄の浴衣。それは凛とした雰囲気の先輩によく似合っていて、素直に綺麗だと思った。
「…………」
「あれ? 先輩? どうかしましたか?」
俺の言葉は聞こえているはずなのに、先輩は何も言ってくれない。……というか、さっきまではしゃいでいたちとせたちも、皆一様に黙り込んで俺の顔を見つめている。
「……皆んな、どうかしたのか?」
何か変なことでも、言ってしまったのだろうか? それとも何か、俺の顔についていたりするのだろうか?
そんなことを考えながら、首を傾げる。すると、真っ直ぐにこちらに近づいてきたちとせが、そのまま俺に抱きついた。
「ちょっ、ちとせ? お前いきなり、何するんだよ」
「……いいの。久しぶりに、あんたの顔を見られたんだもん。これくらい、許されるはずよ」
「……そうです。本当に久しぶりで、ちょっと泣きそうです」
いきなり抱きついてきたちとせに文句も言わず、先輩も俺に抱きついてくる。
「じゃあ黒音も、抱きつきます!」
トテトテと歩いて来た黒音が、2人を真似るように俺の背中に抱きつく。
「私は……いや、ここは私も抱きついちゃおうかな。十夜くん、ちょっとドキッとしちゃうくらいイケメンになってるし、これは役得だね」
そして水瀬さんまで、俺に抱きついてくる。……お面をつけた4人の少女に抱きつかれている姿はとても異様で、周りからの視線が突き刺さる。……でも今更そんな餌たちの視線に、俺は何も感じない。
だから肩から力を抜いて、この場に1番相応しい言葉を口にする。
「ただいま、皆んな」
お面をつけたくらいで顔を合わせられるのなら、もっと早くにしておくべきだった。今更そんなことを、後悔する。
……でもまあ、今日こうやって顔を見せられたのは、今までの積み重ねがあったからだろう。だから今は素直に、良かったと思うことにする。
「ありがとう、十夜くん。十夜くんの言葉、凄く嬉しいです」
そしてそこでようやく、先輩が返事を返してくれた。……お面を被っているからその表情は見えないが、それでも笑ってくれているのは伝わった。
「先輩が嬉しいなら、俺も嬉しいです」
だから俺もそう言葉を返して、笑みを浮かべる。
そんな風にして、楽しい楽しいお祭りが幕を開けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます