私だって……。
先輩との電話を終えた俺は、少し遠回りをしてから家に帰って来た。
「……ねむ」
頭痛はもう治ったけど、寝不足のせいか思考が霞む。……まあ、ついさっきまで吸血鬼の冷たさに飲み込まれていたのだから、これくらいわけない。
「…… しかしそれでも、眠いものは眠い」
だから面倒は作業は手早く終わらせて、さっさと眠ってしまおう。そう考えて、気だるい身体を無理やり動かす。
風呂に入って、夕飯を食べて、着替えて、自室に戻って鍵をかける。1時間くらいで、その全てを終わらせる。……でも終わってから、気がつく。先輩と……おそらくちとせが作ってくれたであろう料理は、もう少し味わって食べるべきだったと。
「まあ、別にいいか」
そう呟き、ベッドに倒れ込む。
ちとせの顔を見て、一度心が凍った。俺が懸念していた通り、大切な人を餌だと思ってしまった瞬間に、心が冷たさに飲み込まれた。
でも、先輩に電話で言った通り……というわけではないけれど、今も辛うじて人の心を保てている。
「……先輩を泣かせるのだけは、絶対に嫌だからな」
まだそう思える、自分がいる。ならしばらくは、大丈夫だ。そう言い聞かせて、目を瞑る。
「少し眠るか」
きっとあと2時間もすれば、先輩とちとせがやってくる。……その頃にはもう深夜になっているけど、今の2人はそんなこと気にしたりしないだろう。
「あ」
でもその前に1つ、思い出す。確か先輩は電話で、言っていた。黒音に、写真を送ってもらったと。だから俺は身体を起こして、机の上に置きっぱなしだったスマホを手に取る。
「…………」
……でも写真を確認する前に、手を止める。
「写真で見るのは、どうなんだろうな」
写真に写った先輩を、餌だと思ってしまう。そうなれば辛うじて残った今の自分も、消えてしまうかもしれない。
「……辞めておくか」
スマホを枕元に置いて、目を瞑る。そしてその代わりというように、先輩の夏服姿を想像してみる。
「……ダメだな」
でも今の俺の想像力では、その姿を思い浮かべることはできなかった。
先輩と顔を合わせなくなってから、まだ1週間も経っていない。なのにもう、先輩の姿を思い浮かべることができなくなっている。
「急がないとな」
吸血鬼の冷たい心を、人の心に戻す。一度冷たさに飲み込まれた俺は、偶然その方法を見つけた。……無論、その方法に確証なんてないし、寧ろ可能性は低いはずだ。
「でも、大丈夫。絶対に、大丈夫だ」
誤魔化すようにそう言って、強く強く目を瞑る。
そうして俺は、眠りについた。
◇
「十夜くん。十夜くん」
すぐそばからそんな声が響いて、意識がゆっくりと引き戻される。
「……先輩、ですか?」
もう先輩が来るような時間になったのか。そう思い、身体を起こそうとする。……けど、何か重いものが身体に覆い被さっていて、上手く身体を起こせない。
「十夜くん。目、覚めましたか?」
またすぐそばで、声が響く。それで俺は、気がつく。この重いものの正体は、先輩の身体なのだと。
「先輩、何やってるんですか!」
俺は目をぎゅっと強く瞑って、そう抗議の声を上げる。
「ごめんなさい。でも、目を開けても大丈夫ですよ? 十夜くんが眠っている間に、アイマスクをつけておいたんです。だから目を開けても、私の姿は見えません」
「アイマスクって、いつの間に……」
言われてみると確かに、俺はアイマスクをつけていた。しかし問題は、そこじゃない。
「というかそもそも俺、部屋に鍵かけてましたよね?」
「それは……十夜くんが家を出ている間に、あの人と2人で鍵に細工をしておいたんです。……いざって時に、十夜くんを1人にしない為に」
「……細工って、無茶しますね」
呆れるように、息を吐く。
「悪いことをしてるっていうのは、分かってます。でも私、言ったじゃないですか。今度は、私の番だって。だから少し、無茶してみることにしたんです。……十夜くんが、私にしてくれたみたいに」
先輩はもう離さないと言うように、俺の身体を抱きしめる。だから大きくて柔らかな先輩の胸が、惜しげもなく俺の身体に押しつけられる。
……目を瞑っているせいか、その感触が妙に生々しく伝わってくる。
「ついさっきの電話で、私はまた十夜くんに甘えてしまいました。わがまま言って、1人で泣きそうになって、それで十夜くんに優しくしてもらった。……それはとても嬉しいことだけど、でも同時にそれは凄く情けないことだと思ったんです……」
「それで、これですか?」
「はい。こうすれば少しは、十夜くんの心を温めてあげられるはずです。……だって十夜くん、私の胸、好きだって言ってくれたから」
「……先輩の気持ちは、素直に嬉しいです。でも俺、言ったじゃないですか。心を元に戻せる方法を、見つけたって。だから先輩が無茶する必要なんて、どこにもないんですよ?」
幸い今は、人の心を保てている。けど一歩間違えれば、これで全て終わっていたかもしれない。
「……私も、分かってはいたんです。でも、それでも私は、貴方の力になりたいんです」
ドキドキと、先輩の激しい鼓動が伝わってくる。……それを聞いていると、どうしても怒る気になれない。
「……そうですか。分かりました、いや……ありがとうございます、先輩。先輩の気持ち、凄く嬉しいです」
先輩の背中を、優しく撫でる。すると先輩は、強張っていた身体から力を抜く。
「そういえば、十夜くん。いま私、ノーブラなんですよ? 少しでも十夜くんにドキドキして欲しくて、さっきそこでブラを外したんです。だから凄く、柔らかいでしょ?」
「……道理で感触が、生々しいと思いました」
「ふふっ。気持ちいいですか? 私はもう十夜くんのものなんですから、どこをどんな風にしてもいいんですよ?」
先輩は誘うように、より強く大きな胸を俺の身体に押しつける。
「先輩、本当に積極的になりましたね。……じゃあ1つだけ、お願いしてもいいですか?」
「何でも、言ってください」
先輩の心臓が、より強くドキドキ高鳴る。
「……もう少し、そばにいてください。今はそれだけで、十分です」
下手にイチャイチャすると、アイマスクが取れて先輩の顔を見てしまうかもしれない。そんなことを真っ先に考える今の俺は、もうかなり凍っているのだろう。
「……分かりました。でも一度だけ、キスしてもいいですか?」
「それくらいなら、構いませんよ」
アイマスクをつけたまま、目を瞑って待つ。すると熱い吐息と一緒に、柔らかな唇が押しつけられる。
「大好きだよ、十夜くん。……愛してる」
一度だけと言ったのに、先輩は何度も何度もキスをする。深く激しく、口の周りが唾液まみれになっても気にすることなく、数え切れないほど唇と舌が合わさる。
「…………」
……そうしていると、少しだけ心が温かくなる。少しだけ先輩を、近くに感じられる。先輩の激しい心音に混じって、俺の心臓もドキドキと高鳴る。
それは確かに、幸福な時間だった。
そして、そうやって1時間くらいキスし続けていると、玄関の方から音が響く。……きっとちとせが、やって来たのだろう。
「続きは、また今度ですね? 先輩」
俺がそう言うと、先輩は最後にもう一度キスをする。
「……キスしたくなったら、いつでも言ってください。私はいつでも、待ってますから」
「分かりました。……でもあんまりやり過ぎると、変なプレイにハマってしまいそうです」
「ふふっ。私はそれでも、構いませんよ?」
先輩は楽しげな声を響かせて、部屋から出て行く。だから俺は、いつの間にかつけられていたアイマスクを外して、もう一度鍵を閉め直す。……細工されているらしいから、たぶん意味はないのだろうけど。
「来たわよ、十夜」
そして丁度いいタイミングで、ちとせが声を響かせる。
「よお、ちとせ」
俺もいつも通りに、言葉を返す。……高鳴っていた心臓は、すぐにいつもの平坦に戻っていく。だから俺はさっきの温かさを忘れないうちに、1番大切なことを話し出す。
「ちとせ、先輩。2人に、大切な話があるんです。……吸血鬼の、冷たい心。俺はその冷たい心を元に戻す方法を、ついに見つけたんです」
だから長い夜は、まだ明けない。
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