ありがとう。
「……ふふっ」
玲奈は美咲が料理を作っている後ろ姿を眺めながら、小さな笑みをこぼす。
玲奈が紫浜家にやって来て、今日でちょうど1年経つ。だからそのお祝いをしようと、美咲が小さなパーティーを開いてくれることになっていた。
玲奈はこの日を、ずっと心待ちにしていた。数日前から、らしくもなくカレンダーを見てそわそわするくらい、今日という日が楽しみだった。
……ここしばらく、美咲が構ってくれなかったから余計に。
両親に呼び出されたあの日から、美咲は1人で外出することが多くなった。なにやらとても忙しそうにしているみたいだったが、玲奈はその詳細を知らない。
ただ美咲はよく吸血鬼という言葉を口にしていたので、本物の吸血鬼とかいう少年に関わっていることなのは分かった。
けど玲奈は、そのことについて深く尋ねようとは思わなかった。だって玲奈は吸血鬼なんてものは信じていなかったし、仮にもし本物だったとしても、そんなことはどうでもよかった。
それよりそのことを調べている姉は、とても生き生きしていた。……ともすればそれは、生き急いでいると言っていいほどがむしゃらで、だから玲奈は余計な口を挟む気になれなかった。
そして外出しない時も、玲奈と遊ぶのではなく部屋に閉じこもって本を書くようになった。どういった本を、なぜ書いているのか。その辺りの事情も気にはなったが、やっぱり玲奈は余計な口を挟まなかった。
だから、今日のパーティー。玲奈はそれを、ずっと楽しみにしていた。だって久しぶりに、姉と一緒に遊べる。別にパーティーと言っても、部屋を少し飾り付けて2人で一緒にご馳走を食べるだけの、ささやかなものだ。
でも玲奈は、そんな時間をずっと心待ちにしていた。
「玲奈ちゃーん! ご飯できたよ!」
だからそんな姉の声が何より嬉しくて、玲奈は早足に姉の元へと向かう。そんは風にして、楽しいパーティーが幕を開けた。
◇
「玲奈ちゃんが私の妹になって、今日でちょうど1年! 色々あったけど、とても楽しかった! ほんと、ありがとー!」
美咲はそう声を上げて、クラッカーを鳴らす。
「ふふっ。ありがとう、姉さん」
玲奈はそんな姉の言葉がくすぐったくて、はにかむような笑みを浮かべる。
「さ、玲奈ちゃん。食べて食べて。今日は玲奈ちゃんが主役なんだから、全部食べてもいいんだよ?」
「うん。ありがとう、姉さん。……その、すごく嬉しい」
「ふふっ、どういたしまして」
2人は同じような笑みで笑い合って、豪勢な料理に箸を伸ばす。
「……そういえば、最近ごめんね? 私、ちょっとバタバタしてて、あんまり遊んであげられなかったよね?」
「ううん、別にいい。姉さん、楽しそうにしてたから」
玲奈は卵焼きを飲み込んでから、そう言葉を返す。
「ありがと、玲奈ちゃんはやっぱり優しいね。……でも私、楽しそうにしてた?」
「うん。凄く楽しそうで、凄く熱中してる感じだった。まるで……」
まるでもうすぐ、死んじゃうみたいに。玲奈はそう言いそうになって、慌てて言葉を飲み込む。だってそれを口にしてしまうと、姉が本当に死んでしまいそうだったから。
「……そっか。玲奈ちゃんには、そんな風に見えてたんだね。でも思えば、こんなに何かに熱中するのは初めてだったかも。それくらい、大切になってたんだ……」
美咲は玲奈の様子を不審がることなく、そう言葉を返す。
「姉さんはそんなに、吸血鬼が好きなの?」
「好きだよ。でもどっちかっていうと、純粋に嬉しいんだよ。そういう存在が、いてくれるのが」
「……よく、分からない」
玲奈は考えるように、首を傾げる。
「分からないなら、それでいいんだよ。それより、玲奈ちゃん。手を出してみて?」
「……手を? どうして?」
「いいから、早く早く」
そんな急かすような言葉を聞いて、玲奈は急いで手のひらを美咲の方に向ける。すると美咲はその手のひらに、綺麗にラッピングされた小さな箱を乗せる。
「はいこれ、プレゼント。……うちに来てくれてありがとうね、玲奈ちゃん。お陰でこの1年、凄く楽しかった」
「…………」
そんな美咲の行動があまりに予想外で、玲奈は驚いて固まってしまう。
「あれ? どうして固まってるの? ……もしかして、要らない?」
「……ううん。ただちょっと、驚いてちゃって……。ありがとう、姉さん。私、プレゼントなんてもらったの初めて。凄く、嬉しい……!」
玲奈は赤くなった顔を隠すように、視線を足元に向ける。美咲はそんな玲奈の様子を見て、安心したように軽く息を吐く。
「喜んでもらえて、嬉しいよ」
「開けても、いい?」
「もちろん。その為のプレゼントだからね」
玲奈は姉の了承を得てから、おっかなびっくりとした手つきで包装を解いていく。そして震える手でゆっくりと箱を開けると、そこには宝石のようにキラキラ輝く赤い小瓶が入っていた。
「これ、香水?」
「そ。可愛いでしょ? シュシュってすると、凄くいい香りがするんだよ? 私のお気に入りなの」
「そうなんだ。なんだか、大人っぽいね」
「うん。玲奈ちゃんももうすぐ、中学生でしょ? だからレディの嗜みとして、持っておくといいよ」
「私まだ、5年生だよ?」
「知ってる。でも1年や2年なんて、あっという間だよ」
「……そう、かな?」
美咲の目がなんだか遠くを見ているようで、玲奈の胸にずきりとした痛みが走る。
「さて。じゃあ続き、食べよっか? この唐揚げとか、すっごく美味しいよ」
美咲は優しく玲奈の頭を撫でてから、唐揚げをパクりと口に運ぶ。
「……うん。分かった。香水、ありがとう。その……ずっとずっと、大切にするね?」
「うん。そうしてくれるなら、私も嬉しいよ」
そうして2人はこの1年間の思い出を語りながら、美味しい料理に舌鼓を打つ。それは本当にささやかで、でも泣いてしまいそうになるくらい、とても幸福な時間だった。
そして気づけば辺りに夜の帷が降りていて、沢山あったはずの料理は、いつの間にかなくなっていた。
「ふー、お腹いっぱい。私もう、食べられないよ」
「私も。こんなに美味しいご飯、初めてだった。ありがとう、姉さん」
「ふふっ、どういたしまして。……でもパーティーは、まだ終わりじゃないよ? 実は玲奈ちゃんと遊ぶように、新しいゲームを買っておいたの。だから今から、私の部屋に行こ?」
美咲はいつも通り無邪気に笑って、玲奈の手をとって歩き出す。
「……姉さん」
だから玲奈もそのまま歩き出そうとするが、何故か足を止めてしまう。
「うん? どうかしたの? 玲奈ちゃん」
「……いや、その……私……」
玲奈はそこで、言葉に詰まる。だって玲奈は自分でも、分からなかった。何が言いたくて、なぜ足を止めたのか。……でもなんだか胸が痛くて、そうせずにはいられなかった。
「…………」
美咲はそんな玲奈を、黙って見守る。その瞳は優しい雰囲気で、でも同時にとても悲しい色を帯びていた。だから玲奈はそんな瞳なんて見たくなくて、ふと思い浮かんだことを口にする。
「姉さん。その……姉さんは、小説を書いてたでしょ? あれもう、できたの?」
「うん。できたよ。ちょうど、昨日の夜にね」
「じゃあ私、それ読んでみたい。……ダメ?」
「もちろん、いいよ。でも……今はダメ」
「……どうして?」
玲奈は不安そうに、美咲の顔を見上げる。
「ふふっ、そんな顔しなくても大丈夫だよ? 別に玲奈ちゃんを、嫌いになったわけじゃないから」
美咲はそう言って、玲奈の身体を優しく抱きしめる。するとふわっと甘い香りが漂ってきて、玲奈の肩から力が抜ける。
「でもあれはね、とても悲しい話なの。今読んだら、寂しくて泣いちゃうくらい。だからあれは、玲奈ちゃんがこの香水の香りが似合うようなレディになってから、読むといいよ」
「……分かった。でも、姉さん」
「なに?」
「その時は姉さんも、一緒にいてくれるよね?」
「……うん。その時はきっと、もう寂しくないはずだよ」
2人はしばらく黙って、身を寄せ合う。そしてそれから冷たい心を打ち払うように、とてもはしゃぎながらゲームを楽しんだ。
だからその日の出来事は、忘れられない大切な思い出として、玲奈の胸に刻まれた。
……しかしその翌日。どうしようもないくらい悲しい悲劇が起きて、その思い出が塗り潰されることになってしまう。
けど今日だけは、2人とも楽しそうに笑い続けた。
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