さいごの一人
+ + +
「お前はあいつを、憎いと思ったことはないのか?」
それは、夕飯の席での唐突な問いかけだった。
一瞬考えてから、私は箸を置く。
「舞白のことですか?」
「それはきかなくてもわかる」
「じゃあ、茜ですか?」
狗狼さんがにったりと笑う。
どうやら、当たりだったようだ。
「思うはずないじゃないですか」
「そもそもとしてあいつが雪を好きにならなければ、今頃お前は雪を憎むことも、婚約者を失うことにもならなかったのに?」
「その言葉、そのままあなたにお返ししますよ」
じっと三白眼を見つめて言えば、すっと狗狼さんの表情が冷ややかなものに変わる。
視線で促されて、私はもう一度口を開いた。
「あなただって、紅里さんを恨まないじゃないですか。騙されたとは言え、彼女がそう言う選択をしなければ、もしかしたら家族を失わずに済んだかもしれないのに」
答えれば、ハッと狗狼さんが笑う。
「そうだな。結局僕らは、自分の愛したものを恨みたくない、否定したくないからこそ、その横にあるものを極端に憎み、恨み、排除しようとしている」
クツクツと狗狼さんが笑う。
得体の知れない気味の悪さが、ざわざわと胸を騒がせる。
「知っているか? 人間を好きになった吸血鬼は、その血を飲んで化け物になるか、その血を拒むために死を願うか、どちらかだ」
「……それが?」
狗狼さんの笑みが、より深くなる。
「お前に殺してくれと言っていないのなら、奴は吸血鬼になるんだろう。種族としてのそれではなく、人間どもが恐れ、そして僕たちが狩るべき、化物の吸血鬼にな」
「茜は化物になんかならない!」
勢いよく立ち上がれば、机の上に置かれた汁物がお椀の中で激しく波打ったのが視界に入った。
狗狼さんは、変わらず笑みを浮かべている。
「好きになるのが、お前だったなら、まだ平和だったのにな」
茜が選ぶのが私だったら。
そんなの、何度だって考えた。
だけど、無理なんだ。
舞白が、ただでさえ吸血鬼に気に入られやすい容姿をしているうえに、何度も吸血鬼に噛まれたことのある人間が、現われてしまったのだから。
舞白が、舞白さえ、いなければ。
「……舞白さえいなければ」
「っ!」
「お前、わかりやすすぎるんだよ」
狗狼さんが、静かに立ちあがる。
そして私の前まで来ると、その場にしゃがみこんだ。
「なんですか」
「苦しいか?」
その声は、今までの狗狼さんからはまったく想像できないくらいの寄り添うような優しい声だった。
「どういう意味ですか」
苦しいか、なんて、決まってる。
茜の気持ちが完全に舞白のほうに向かってからずっと苦しい。
二人のことを考える度に、息をするのさえ難しくなるくらい。
そんなの、狗狼さんなら手に取るようにわかっていそうなのに。その上で、玩具にしそうなのに。
「雪は、吸血鬼に両親を殺されている。父親も、母親も、彼女を守る形で命を落とした」
「だから同情しろと?」
「雪の父親も、彼女と同じように吸血鬼に襲われやすい容姿をしていた」
「話がまったく見えないんですけど」
恐らく、同情云々の話ではないことだけ察した。
狗狼さんがそういうことを求める人だとは思えないからだ。
静かな灰色がかった三白眼が、じっと私を見つめてくる。
「僕の家は、この地域を守り続けていた。吸血鬼に狙われやすい容姿を持つ人間がいたからだ。僕たちは代々その家の人間を守る代わりにその人間を利用して吸血鬼を狩ってきた」
ドクリと心臓が鳴る。
心当たりしか、なかった。
「人間を利用していることを今まで隠せていたのは、こちらに人数がいたからだ。だけど、今はもう、僕しかいない。その人間も、今はもう、彼女一人しかいない」
「もしかして」
「その一人は、雪……佐藤舞白だ」
狗狼さんは静かに息を吸い、そして、静かに微笑んだ。
「あいつの家族がいなければ、僕の一族がこの地に縛られることも、紅里が苦しんだ末に一族を恨んで裏切ることも、お前があの吸血鬼に捨てられることも、なかったんだ」
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