さつじんき
+ + +
紅里さんは、私たちよりも八歳上の狩人だったらしい。
それも、狗狼さんと同じように一滴の混じりもない、純粋な狩人。
一滴の血の混じりもない吸血鬼も狩人も、基本的にその血を尊ぶ。
だから、親戚間での婚姻なども、年の差も、珍しいものではない。
ただ、紅里さんには、狗狼さんとは別に、好きな人がいた。
「紅里は、吸血鬼に恋をしていた。そしてその吸血鬼は、紅里の想いを利用した」
狗狼さんは、私の手元にあるノートを、そっと指で弄ぶように撫でた。
親戚中が集まる正月の朝。
それは、起きた。
「あの日、朝から担当地域内やその周囲で、複数の吸血鬼が人間を襲っていた。普段なら即座に親戚一同でそれぞれを始末するところだったが、まるでおびき出すようなそれに、逆に僕一人をそれらに対応させて、他の人たちは家にとどまった。なにがあっても、対応できるように」
狗狼さんは、近くの地域の狩人に応援を求め、人間を助け、吸血鬼を始末した。
「すべてを終えて家に戻れば、辺り一面狩人の血の海だった。立っていたのは、一人の吸血鬼と、紅里だけ。状況が読み込めなかった僕は、きいたんだ。なにがあったんだって。紅里は、教えてくれたんだ」
自分は、今そこにいる吸血鬼を愛していること。
彼女と狗狼さんの両親は、それを反対し続けて、狗狼さんを選ぶように説得し続けていたこと。
今朝出した料理や飲み物に毒を盛ったこと。
弱ったところに大量の吸血鬼を招き入れて、襲わせたこと。
そして。
「僕のことを、ずっと疎ましく思っていたことを伝えられた。なにも信じたくなかった僕はそれを拒否して……紅里に、刺された」
なんとか避けたから微妙に致命傷は免れていたけれど、紅里さんはそれに気付かず、吸血鬼の元へと駆け寄ったそうだ。
自分が、ただ利用されていただけだとは、知らずに。
「吸血鬼は、紅里を容赦なく殺した。恐らく、僕が死んでいるかを確認するために、奴は近づいてきた」
狗狼さんは、ありったけの力をかき集めて、その吸血鬼を始末した。
「そのまま意識を失って、また目が覚めたときには僕は、家を襲った吸血鬼たちと、裏切り者の狩人をたったの一人で殺した凄腕の狩人、ということになっていた」
「否定、しなかったんですか」
最後の吸血鬼を除いた他の吸血鬼たちを殺したのは、狗狼さんの親戚だ。
狗狼さん自身では、ない。
「そっちのほうが、都合がいいからな。ある程度強いとわかっていれば、依頼がそれなりに舞い込んでくる」
「依頼をこなすことで、忘れたかった……?」
狗狼さんは、静かに首を横に振る。
「そのノートには、例の吸血鬼への愛と、僕たち狩人への恨み言がびっしりと書いてある。読んでもいいが、あまり気持ちのいいものではないぞ」
「でも、捨てないんですね」
灰色の三白眼が、ノートに視線を落したまま、ゆっくりと細められていく。
口元にはいつもの笑みを浮かべているくせに、なにかを堪えるように、口角が引きつっているように見えた。
ああ、この人も、生きているんだ。
当然のことだけれど、でも、その表情が視界に入った瞬間、唐突に理解した。
きっとこの人は今、柔らかい部分を出している。
それが、意図してのものなのか、そうではないのか、わからないけれど。
「紅里が僕のことをどんなに疎ましく思っていたのだとしても、彼女が僕にいつも優しく接してくれていたことに変わりはない。他の人がどう思っていようと、両親と同じくらい、僕は紅里のことを愛していた。だからこそ」
狗狼さんの眉間にしわが寄り、灰色がかった瞳に、強い憎悪の色が浮かぶ。
「僕は、吸血鬼が、嫌いだ」
吐き捨てるようにそう言うと、狗狼さんは部屋から出て行ってしまった。
そっとノートをめくる。
狗狼さんの言ったとおり、可愛らしい文字で、吸血鬼への愛と、そして狩人への、同じ人が書いたとは思えないくらいに汚い、罵詈雑言が書き連ねられていた。
その中に、見知った文字を見つけて私はページをめくる手を止める。
クロは、吸血鬼を何人も殺している。殺人鬼となんか、死んでも一緒になりたくない。
冷たい指で、心臓を撫でられたような、そんな心地がした。
狗狼さんほどではないとはいえ、何人もの吸血鬼の命を、私は奪ってきた。
人間と吸血鬼、そして誰よりも茜を守るために。
それを後悔することも、謝罪することも、罪だと思うことも、私はないけれど。
ああそうか、と依頼を受け続けた理由が、わかった。
彼は、紅里さんの中にいた自分にしか、意味を見出せないのだ。
殺人鬼だと言われても。
紅里さんが認識していた自分を失わないことできっと、紅里さんを自分の中にとどめているのだ。
単純に憎いのもあるのだと思う。
だけどそれ以上に、そう、定義してしまったのだろう。
自分は、人間を守るために吸血鬼を殺す、狩人なのだと。
そこにしかきっと、生きている意味を見出せないのだろうと。
親戚中から、一人で吸血鬼の対処を任された。
そこからして、おそらく彼は、誰からも期待をされていたのだろう。
罪を犯した吸血鬼や狩人をより多く始末できる、立派な狩人になることを。
きっとそれが、更に拍車をかけてしまったのかもしれない、なんて。
本人がなにも言っていないのだから、勝手に考えることではない。
そんなの、悪趣味以外のなにものでもないのだから。
私は一つ息を吐くと、ノートを閉じて、本棚に仕舞った。
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