さつじんき

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 紅里さんは、私たちよりも八歳上の狩人だったらしい。

 それも、狗狼さんと同じように一滴の混じりもない、純粋な狩人。


 一滴の血の混じりもない吸血鬼も狩人も、基本的にその血を尊ぶ。

 だから、親戚間での婚姻なども、年の差も、珍しいものではない。


 ただ、紅里さんには、狗狼さんとは別に、好きな人がいた。


「紅里は、吸血鬼に恋をしていた。そしてその吸血鬼は、紅里の想いを利用した」

 

 狗狼さんは、私の手元にあるノートを、そっと指で弄ぶように撫でた。


 親戚中が集まる正月の朝。

 それは、起きた。

「あの日、朝から担当地域内やその周囲で、複数の吸血鬼が人間を襲っていた。普段なら即座に親戚一同でそれぞれを始末するところだったが、まるでおびき出すようなそれに、逆に僕一人をそれらに対応させて、他の人たちは家にとどまった。なにがあっても、対応できるように」

 狗狼さんは、近くの地域の狩人に応援を求め、人間を助け、吸血鬼を始末した。

「すべてを終えて家に戻れば、辺り一面狩人の血の海だった。立っていたのは、一人の吸血鬼と、紅里だけ。状況が読み込めなかった僕は、きいたんだ。なにがあったんだって。紅里は、教えてくれたんだ」

 自分は、今そこにいる吸血鬼を愛していること。

 彼女と狗狼さんの両親は、それを反対し続けて、狗狼さんを選ぶように説得し続けていたこと。

 今朝出した料理や飲み物に毒を盛ったこと。

 弱ったところに大量の吸血鬼を招き入れて、襲わせたこと。

 そして。

「僕のことを、ずっと疎ましく思っていたことを伝えられた。なにも信じたくなかった僕はそれを拒否して……紅里に、刺された」

 なんとか避けたから微妙に致命傷は免れていたけれど、紅里さんはそれに気付かず、吸血鬼の元へと駆け寄ったそうだ。

 自分が、ただ利用されていただけだとは、知らずに。

「吸血鬼は、紅里を容赦なく殺した。恐らく、僕が死んでいるかを確認するために、奴は近づいてきた」

 狗狼さんは、ありったけの力をかき集めて、その吸血鬼を始末した。


「そのまま意識を失って、また目が覚めたときには僕は、家を襲った吸血鬼たちと、裏切り者の狩人をたったの一人で殺した凄腕の狩人、ということになっていた」

「否定、しなかったんですか」

 最後の吸血鬼を除いた他の吸血鬼たちを殺したのは、狗狼さんの親戚だ。

 狗狼さん自身では、ない。

「そっちのほうが、都合がいいからな。ある程度強いとわかっていれば、依頼がそれなりに舞い込んでくる」

「依頼をこなすことで、忘れたかった……?」

 狗狼さんは、静かに首を横に振る。

「そのノートには、例の吸血鬼への愛と、僕たち狩人への恨み言がびっしりと書いてある。読んでもいいが、あまり気持ちのいいものではないぞ」

「でも、捨てないんですね」

 灰色の三白眼が、ノートに視線を落したまま、ゆっくりと細められていく。

 口元にはいつもの笑みを浮かべているくせに、なにかを堪えるように、口角が引きつっているように見えた。


 ああ、この人も、生きているんだ。


 当然のことだけれど、でも、その表情が視界に入った瞬間、唐突に理解した。

 きっとこの人は今、柔らかい部分を出している。

 それが、意図してのものなのか、そうではないのか、わからないけれど。

「紅里が僕のことをどんなに疎ましく思っていたのだとしても、彼女が僕にいつも優しく接してくれていたことに変わりはない。他の人がどう思っていようと、両親と同じくらい、僕は紅里のことを愛していた。だからこそ」

 狗狼さんの眉間にしわが寄り、灰色がかった瞳に、強い憎悪の色が浮かぶ。


「僕は、吸血鬼が、嫌いだ」


 吐き捨てるようにそう言うと、狗狼さんは部屋から出て行ってしまった。


 そっとノートをめくる。


 狗狼さんの言ったとおり、可愛らしい文字で、吸血鬼への愛と、そして狩人への、同じ人が書いたとは思えないくらいに汚い、罵詈雑言が書き連ねられていた。

 その中に、見知った文字を見つけて私はページをめくる手を止める。


 クロは、吸血鬼を何人も殺している。殺人鬼となんか、死んでも一緒になりたくない。


 冷たい指で、心臓を撫でられたような、そんな心地がした。

 狗狼さんほどではないとはいえ、何人もの吸血鬼の命を、私は奪ってきた。

 人間と吸血鬼、そして誰よりも茜を守るために。

 それを後悔することも、謝罪することも、罪だと思うことも、私はないけれど。


 ああそうか、と依頼を受け続けた理由が、わかった。

 彼は、紅里さんの中にいた自分にしか、意味を見出せないのだ。


 殺人鬼だと言われても。

 紅里さんが認識していた自分を失わないことできっと、紅里さんを自分の中にとどめているのだ。

 単純に憎いのもあるのだと思う。

 だけどそれ以上に、そう、定義してしまったのだろう。

 自分は、人間を守るために吸血鬼を殺す、狩人なのだと。

 そこにしかきっと、生きている意味を見出せないのだろうと。


 親戚中から、一人で吸血鬼の対処を任された。

 そこからして、おそらく彼は、誰からも期待をされていたのだろう。

 罪を犯した吸血鬼や狩人をより多く始末できる、立派な狩人になることを。

 きっとそれが、更に拍車をかけてしまったのかもしれない、なんて。


 本人がなにも言っていないのだから、勝手に考えることではない。

 そんなの、悪趣味以外のなにものでもないのだから。


 私は一つ息を吐くと、ノートを閉じて、本棚に仕舞った。

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