離れていく
三日月が、笑っていた
+ + +
一通りのお説教やらなにやらを終えたのち。
なんとか治療を終えた舞白を、狗狼さんが背中に担ぎ上げる。
そして、私を三日月のように歪ませた三白眼で、見下ろした。
「もしも、冷静になる場所が必要なら、僕のところに来るか?」
突然の言葉に、意味がわからず、ギョッとしてしまう。
「どういう、意味ですか」
優しさ、とか。
ふと、そんなことを考えたが、すぐにそれはないと取り消す。
だって、その瞳には楽しそうな色が浮かんでいたから。
狗狼さんは、口角をクイッと上げた。
「意味もなにも。そこにいる吸血鬼や雪の近くにいると、またいつ今回みたいなことになるかわからないだろ」
「今回みたいなこと」
狗狼さんの笑みが深くなる。
「雪がきっかけでまたそこの吸血鬼が傷ついたとして」
ずいっと三白眼が近づいてくる。
曇った夜空のような色の瞳からは、なにを考えているのか、いまいち読み取れない。
「お前は、もう二度と人間を殺しかけないと、絶対に殺さないと、僕の目を見て言えるのか?」
「……っ」
わからない、なんていうのは、ごまかしだ。
自分のことなんて、嫌というほどよくわかっている。
腕の中の冷たい温もり。
この温もりが傷つくことがあるのなら。
その原因が、舞白なら。
間違いなく私は、躊躇することなく殺してしまう。
「でも、私が、狩人が離れたら」
茜を守ることが、できなくなってしまう。
「僕が、そのことを考えないとでも思っているのか?」
ハッと、狗狼さんが笑う。
「代わりくらい、すぐに手配できる」
言い返そうと口を開いて、でもすぐに閉じた。
私には、茜の代わりはいない。
茜は唯一無二の存在で、だけど、茜にとっての私は?
茜は、私の手を振り払って、舞白を助けに行った。
自分がどうなるか、わかっていただろうに。
いや、もしかしたら、考えてすらいなかったかもしれない。
吸血鬼に噛まれたことのある人間の血。
恋い焦がれている人間の血。
どちらも、吸血鬼にとってはたまらないものだ。
その血が流れていたら、迷わず吸ってしまうくらいには。
もしも耐えられたとしても、耐えることに意識がもっていかれて、やり返すことなんて出来っこない。
それでも助けに行ったのか、そんなことを考えることさえなく、反射的に助けに行ったのか。
どちらだとしても、もう、茜の中での一番は、舞白なのだ。
守りたい人がいるのだと私に言った、あのまっすぐな瞳を思い出す。
私は自分の意思で、彼の守りたい人を殺そうとした。
知られてしまえばもう、そばにはいられない。
「……本当に、代わりを手配してくださるんですね?」
「もちろん。なんなら、お前がそいつを送り届けている間に必要な手続きをすべて済ませておこうか」
「杜矢と、染桜の家にも?」
「当然」
しっかりとした声に、私は一度うつむく。
父さんは、呆れるだろうか。
母さんは、落胆するだろうか。
ここで手を離してしまっても、私は二人の娘でいられるのだろうか。
茜の従妹で、いられるだろうか。
どちらかといえば吸血鬼を守る側にいた狩人が、人間を守る側にいる狩人の元に行くことを、許してくれるのだろうか。
きっと、よくは思われないだろう。
それでも、私は。
このまま茜に嫌われてしまうようなことを積み上げていく前に、一度、離れたかった。
茜に失望されて、嫌われてしまうくらいなら、離れるほうが、はるかにマシだから。
「わかりました」
それに、少しだけ、期待しているのだ。
「狗狼さんのところに、行きます」
もしも私がなにも言わずに姿をくらませたら。
茜は、舞白を置いて、私を探してくれるかもしれない。
そんな、ありえない期待を。
顔を上げた先。
狗狼さんのうしろで、三日月がにんまりとほほ笑んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます