第42話 巨鬼族と不思議な樹の実⑤

「えっと……何、見てるんですか?」


 焚火を前にじっと手元の羊皮紙を眺めていると、ファルファラが僕の横に腰を下ろしてそう尋ねてきた。


「ああ。ロシュさんから預かった地図だよ。

 今は多分、この辺りまで進んでると思うんだけど……目印が少ないから確証がもてなくてさ」


 今は夜半。森の中で夜営の途中だった。

 初日の探索は何度か獣に遭遇したものの、特に大きなトラブルもなく終了した。

 ほとんど目印のない森の中なので確たることは言えないが、目的地である神樹まで距離的には恐らくあと三分の一程度。

 今日の正午に出発したのだから、行程的には極めて順調だ。


 夜の見張り番は僕とファルファラが先番で、残る三人はテントの中で眠っている。

 ちなみに、このテントはこの冒険の前に僕らが新たに購入したもので、軽くて設営も簡単な最新式という触れ込みで、結構なお値段がした。


 見張りの組み合わせを決める時にはひと悶着あった。

 まずスカウト技能のある僕とポンが分かれるのは仕方がないとして、バランスを考えれば僕とエンジュの組み合わせがベターなのだが、カティシュが反対した。

 色々言っていたが、要は妹を男と二人きりにさせられるか、という極めてシスコン的な理由で。

 妹も妹で、すっかりお気に入りになったポンと一緒がいいとごねる。

 結果、こういった組み合わせになったわけだが……魔法使い二人がセットなのはどうなんだろう。

 その分あちらは人数が多いから、極端に戦力が偏っているわけではないけれど。


「わぁ……随分丁寧に書き込んでありますね。

 かかった時間とか、目印とか……これってミレウスさんが書き加えたんですか?」


 ファルファラが、身を乗り出して僕の手元を覗き込む。

 何だこの娘、結構距離感が近くないか?


「ん。帰り道で役に立つと思ったし、もし道を間違えてたりしたらリカバーする時に必要だろうからさ」

「すごいなぁ……ミレウスさんって、私たちと同じ新人ですよね?

 どこでこういうことを教わったんですか?」


 角度的にファルファラの胸が強調されているが、僕は鋼の意思でそちらに視線をやらないよう注意する。

 女性は男のそういう視線に敏感だというが、僕に言わせればそれは九割方冤罪だ。

 だって目立つものがあれば、誰だって視線が吸い寄せられてしまうものだろう?

 僕は誤解を招かないよう、まっすぐファルファラの目を見て返事をした。


「祖父が一時期冒険者をやっていたらしくて、そこから色々とね」


 これは嘘ではない。

 実際に“ミレウス”は祖父から聞いた冒険譚に憧れて冒険者を目指して森を出た、という設定だ。


「……私たちはライルとテッドが勢いに任せて冒険者になったところがあるので、そういうノウハウがあまり分かってなくて。

 その、この間のダンジョンの時もそうだったんですけど、本当に行き当たりばったりで」

「そう言えば、他の三人は今どうしてるんだ?

 君らからしたら、わざわざこんなパーティを分けるような仕事を受ける意味は薄い気がするけど」


 確かライルとテッドは彼女に気があるという話だし、彼らからしたらこういう状況は避けたいだろうに。

 ファルファラは苦笑しながら答えてくれた。


「これ、そのダンジョンの時の罰則で、ギルドからの課せられた奉仕活動の一環なんです」

「これが?」

「ええ。ロシュさんの計らいで皆さんと同じだけの報酬はいただけることになってますけど。

 ……その、私たち冒険者としての常識が不足しているから、他の冒険者さんと組んで常識を学びなさいってことみたいです」


 なるほど。つまりそれぞれ、他の冒険者パーティに混じって研修を受けているようなものなわけだ。

 ファルファラは、ふにゃっと安堵したような笑みを浮かべる。


「知らない人たちと行動するなんて初めてで、どんな人たちと一緒になるのか不安だったんです。

 ……ミレウスさんたちと一緒で良かった」

「――――」


 僕は心を無にして耐えた。

 色即是空。色即是空。

 勘違いしてはいけない。その言葉に他意はないのだ。

 つまり、ゴロツキみたいな男だらけのパーティに女一人混じるようなことがなくて良かった、と。

 何より“たち”だ。つまり僕より、ポンとかエンジュとか、むしろそっちがメインだろう。


「どうかしました、ミレウスさん?」

「いや、何でもないよ」


 僕は努めて何でもない風を取り繕って答える。

 ファルファラは、しばらく不思議そうに僕の顔を見つめていたが、ふと思い立ったように口を開く。


「あ、あの……私たち歳も近いですし、こうしてパーティを組んでるわけで。

 その……ミレウス、って呼んでもいいですか?」


 何だこれ?


「あ、ああ。構わないよ。

 僕も勝手に呼び捨てにさせてもらってるしね」


 無難に返事ができた自分を、僕は褒めてあげたいと思う。


「うん。えっと、ミレウス……改めて言うと恥ずかしいね」


 はにかみながら僕の名前を口にするファルファラ。


 こいつ絶対何か企んでるだろう。

 僕はこの間散財したばかりだから、貯金なんてほとんど残ってないぞ。

 契約書とかどんないい話を持ってきても絶対サインとかしないからな。


 彼女は口の中でもごもごと僕の名前を転がして、花が咲くように笑った。


「改めてよろしくね、ミレウス」


 まさかこいつ……天然か? 養殖じゃなくて天然ものなのか?


 僕は胸中で慄きながら、今度ライルとテッドに会ったら、酒でも奢ってやろうと思った。




「これ……か?」

「……ああ、多分な」


 僕の問いかけに、カティシュはどこか心あらずと言った面持ちで目の前の大木を見上げる。

 樹齢千年ではきかないだろう、根本から見上げると頂上が霞んで見えるほどの巨木。

 話半分に聞いていたが、なるほど。巨鬼族の聖域と呼ばれるだけのことはある。

 探索二日目の正午を前にして、僕らは目的地である神樹に到達していた。


 ここに至るまで、何度か魔物に襲われ、事前に聞いていた目印が見つからなかったりと、いくつかトラブルはあった。

 しかしポンの索敵により不意打ちを受けることはなかったし、目印がなくともマッピングは丁寧にしていたので道を見失うこともなかった。

 多少不自然な気がしたし、ひょっとしたら妨害を受けているのかとも思ったが、確証は持てない程度のトラブル。

 正直僕は、仮に本気で妨害を受けているのだとすれば、僕らでは防ぎようのない事態が想定されるため、そのことを考えないようにしていた。


「……ナイ」


 神樹を見上げていたポンが、気落ちしたように呟く。

 そう。少なくともここから視認できる限り、聞いていた青い樹の実など見当たらなかった。


「まだわからないわ。上の方になってるのかもしれないし」


 エンジュが努めて明るく言う。

 確かに枝葉が生い茂る上の方はここからでははっきり見えないし、そこに実が隠れている可能性はある。


「俺とエンジュが登って確認してみる。三人は下で周囲を警戒していてくれないか?」

「それはいいけど……大丈夫かい? かなり高いよ。

 ファルファラの魔法なら万が一落ちたとしても何とかなると思うけど」

「大丈夫。俺たちは木登りには慣れてるから」

「そうそう。それにファルじゃ登れないだろうから下で待っててよ」


 二人は明るく告げると、それ以上僕らに反論させる間もなくロープとフックを手に手際よく神樹を登っていった。

 確かに言うだけのことはあり、あっという間に二人の姿が小さくなっていく。

 ひょっとしたら、事前にこういった事態を想定して訓練していたのかもしれない。


「……大丈夫かな?」


 彼らを見上げながら、不安そうにファルファラが呟く。


「……まあ、木登りの方は大丈夫だと思うけど。

 念のためファルファラは魔法の準備だけしておいてくれる?

 僕とポンは周りを見てるからさ」

「うん」

「バウ!」


 僕もファルファラも、本当に心配していたのはそのことではなかったが。




 一時間ほどカティシュとエンジュは樹上をくまなく捜索したが、結局実は見つからず、消沈して地面に下りてきた。


「……まだ近くに実が落ちてるかもしれないし、他に同じ種類の樹があるかもしれないわ」


 探してみましょうと声を上げるエンジュに、カティシュは俯き、暗い表情で呟いた


「……あるもんか。どうせロンドが手を回して、実を取っちまったんだ」

「そんなわけないわ! 森への出入りは固く禁じられてるし、いくらロンドだって……」

「わかるもんか! でなけりゃ、こう何度も儀式が失敗するはずないじゃないか!」

「カティシュ……でも、まだそうと決まったわけじゃないでしょ?」

「はっ!? そうしてみっともなく地べたを這いずりまわって探して、それをロンドに笑われろってのか!?」

「そんなこと言ってないでしょ! 何よもう、ちょっと上手くいかないからってすぐにいじけて!」


 言い合いを始めた双子に、ファルファラがおろおろと仲裁に入ろうとする。


「ふ、二人とも……まずは落ち着いて、ね?」


 しかし双子の言い合いは止まることなくヒートアップしていく。


「……バウ?」


 そんな彼らのやり取りに口を挟むことなく一人考え込んでいた僕を、ポンが不思議そうに見上げる。


(もし妨害者がいたのだとしたら、僕らじゃそれは防ぎようがない。

 カティシュの言うように、予め樹の実を全てもいでおけばいいんだから。

 いくらロシュさんが凄腕でも、一人ですべての妨害を防ぐなんてことは不可能だ)


 だからこそ、そこに違和感があった。

 そんなことは最初からロシュさんにだって分かっていたはず。

 それに対して、彼女が無策でいるなんてことがあり得るのか?


(考えろ……彼女の言動には必ず何かしらの意味がある。

 僕らにはきっと、この状況を打開する手段が残されているはずだ)


 それはあの英雄たちに対する、無条件の信頼だった。


(――そうだ。そもそも何故、彼女は僕を即決で選んだんだ?

 確かに僕は知り合いではあったけど、彼女から見てお世辞にも信頼がおける人間とは思えない。

 ただの性格、相性……いや、それだけで僕を選ぶほど、彼女は甘い人じゃないだろ。

 僕にあって、弾かれたライルにないもの……)


 僕は言い争いを続ける双子を無視して、そっと神樹に触れ、囁いた。


「【樹精・請願】」


 それは魔法でも何でもない、ただ精霊語を繋げただけの言葉だった。


『――ふふふ』


 けれどその拙い呼びかけでも、“彼女”には届いたようだ。


『初めまして。何の用かしら、小さなお客様たち』


 樹精ドライアード――恐らく、この神樹に宿る精霊だ。

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