第77話 峡谷の夜


 そして――実技試験1日目の探索は終了した。

 時間は夕刻となり、紫色の空が黒く染まっていく。

 24時間365日を通して日の光が差すことのないマルガリタ峡谷であったが、そんなダンジョンにもきちんと夜はやってくる。

 夜間はRPGのお約束として魔物が強くなり、数も格段に増えてしまう。

 足元が暗くなれば谷を滑落する恐れもあるし、素直にキャンプは張って朝まで休むことにした。


 魔物避けの効力がある結界石を設置して、念のためテントの四方に魔除けの護符を張り巡らせる。

 これで魔物が近づいてくることはまずないだろうが……それでも、念のため交代で見張りをすることにした。

 敵は必ずしも魔物だけではない。こちらには美女が2人もいるのだ。他のパーティーの野郎どもがトチ狂ってテントに飛び込んでこないとも限らない。

 時に人間は魔物以上に恐ろしい怪物になるのだ。警戒するに越したことはない。


「晩御飯はカレーにいたしましょうか」


 エアリスが笑顔で宣言して、キャンプ飯がスタートした。

 キャンプといえばカレーはおなじみだが、決して遊び気分でメニューを選んだわけではない。

 昼間のうちに山ほどアンデッドと戦った。格下ばかりを相手にしてきたためケガなどはなかったが、匂いのキツイアンデッドのせいで鼻がすっかり参ってしまった。

 カレーのように匂いが強い食べ物でリセットしなければ、何を食べても味なんて感じないことだろう。


 鍋や包丁、フライパン、料理の材料などの必要な物はアイテムボックスに入っている。

 完成した料理をそのまま持ってきても良かったのだが、せっかくなので野外での料理を楽しむとしよう。


「ナギサさんは野菜を切ってください」


「ああ、刃物は任せろ。エアリス」


 エアリスの指示で、ナギサが包丁で野菜をカットする。

 自信満々な表情に違えず、その手つきは鮮やかなものだった。見る見るうちに野菜が一口大になっていく。


 俺の担当は米を炊く役。飯ごうに米と水を入れて火にかける。

 炊飯器を使わずに米を炊くのは初めてのことだが、日本にいた頃にネット配信でキャンプ動画を視聴していたため、何とか失敗せずにできそうだ。


「ん……?」


 作業をしているうちに、ふと気がついたことだが……エアリスとナギサは、いつの間に下の名前で呼び合うようになったのだろうか。

 少し前まで、ファミリーネームで呼び合っていたような気がするのだが……。


「一緒に冒険する仲間ですからね」


「同じ釜の飯を食った仲だからな」


 エアリスとナギサはそろってそんなことを言ってくる。

 仲がいいのは非常によろしいことなのだが……。


「私達が仲良く脇を固めていないと、ゼノン様はすぐに女性を増やしてしまいますからね!」


「ああ、私達が結束せねばなるまい。英雄色を好むとは言うが、取るに足らない女が寄ってきては困るからな!」


 ……などと意気投合されるのは、非常に不本意である。

 まったく、俺がいつ女性を囲ったというのだろう。

 自分の意思で傍に置いているのは奴隷のウルザくらいのもので、エアリスもナギサもそっちの方から寄ってきたのではないか。

 むしろ、こんな状況で誰にも手を出していない紳士ぶりを褒めてもらいたいものである。


「はい、出来ましたよ。皆さん召し上がれ」


 カレー粉に炒めた具材を入れて、鍋で煮込んでいたエアリスがニッコリと笑う。

 アンデッドの腐敗臭で麻痺していた鼻に、香辛料のツンとした匂いが香ってくる。

 食欲がそそられる香りを嗅ぐと思わず生唾が出てきてしまう。


「美味そうだな……カレーなんて久しぶりだ」


 どうしてヨーロッパ的な異世界にカレーがあるのかは若干謎であったが、この世界に来てからカレーを食べるのは初めてである。

 やや辛口のカレーは刺激的なスパイスが効いており、食べれば食べるほどに食欲が湧いてくるような味わいだった。


「美味しくできましたね。今夜はごちそうです」


「うむ、美味だな」


 エアリスとナギサも3人で協力して作ったカレーに舌鼓を打ち、顔をほころばせながらパクパクと口に運んでいる。


「明日のことだが……朝から中層まで進んでみようと思う」


 カレーを半分ほど食べた辺りで、俺はそんなことを切り出した。

 ダンジョンを進みながらさりげなく空に意識を向けていたのだが、思いのほかに救難信号を打ち上げている生徒が多い。

 勝手な予想ではあるが、中層までたどり着いている生徒はほとんどいないだろう。

 朝のうちに中層まで行って狩りをして、制限時間の正午までに峡谷の外へと脱出する。

 おそらく、それで上位の成績に食い込むことができるだろう。


「ふむ……私としては、下層に興味があるのだがな……」


 ナギサがちらりとこちらに視線を送りながら、さりげなく提案してきた。

 やはりこの麗しき狂戦士は上層や中層では物足りないようだ。向上心があるのは結構なことであるが、それも命あっての物種というやつだ。


「そう焦るなよ。師として言っておくが……強さを求めるのであれば、必要なのは『効率』だ。無理をすれば無理をしただけ強くなるなんて根性論は、今のご時世に流行らないぜ?」


 ナギサが仇討ちのために力を求めているのは知っているが、無理をして命を落としてしまえば元も子もない。

 力を欲するのであれば、なおさらに生き残らなくてはいけないのだ。


「心配せずとも……いずれ仇は討たせてやる。お前よりも強い俺を信じろよ」


「……我が師がそう言うのであれば是非もない。貴方が私の悲願を叶えてくれると信じよう」


 ナギサはそっと目を閉じて、着物に包まれた豊かな胸に手をあてる。

 その隣では、エアリスもまた慈母のように優しい笑みを浮かべて俺達の会話を見守っている。


 それから、俺達は無言のまま食事に戻った。

 3人の間に会話はなかったが、不思議と気まずい空気にはならない。


 夜間は魔物の襲撃などのハプニングも起こることはなく、何事もなく朝を迎えることができた。

 そして――実技試験2日目の幕が開いたのである。

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