第21話 愛と欲望の応酬

「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


 俺が言い放った金額に、オークション会場はしばしの沈黙に包まれた。

 凍りついたように固まっていた参加者であったが、やがて思考が追い付いてきたのか、大きなどよめきがあちこちで生じる。


「い、1000万!?」


「いきなり値をつり上げやがった!」


「女1人にそこまでするのかよ!? どこの金持ちだ!?」


 1000万という金額は、ゲームの世界であっても安いものではない。

 例えば、武器屋で購入することができる最も高価な武器アイテムでさえも100万ゴールドもしないのだ。1000万もあれば、パーティーメンバー全員を最強装備で揃えて、万全の態勢でラスボス戦に臨むことだってできるだろう。

 それだけの金額をたった1人の奴隷を手に入れるために費やす。それは暴挙にしか思えないような行為である。


「やっちまった……また考えなしに、余計なことをしちまったかもしれないな」


 俺はざわつくオークション会場を虚ろな目で見つめながら、内心で嘆息した。

 仮に俺がウルザに救いの手を差し伸べなかったとしても、彼女はこれから『聖海』のシナリオで主人公に救われ、奴隷から解放されることになる。俺がしている行動はそんな未来を狂わせかねない行動である。

 ひょっとしたら、俺の行動により戦争の結果そのものまで変わってしまうかもしれない。


「だけど……悲劇の未来を知っていて無視できるわけねえだろうが」


 ウルザ・ホワイトオーガという少女は、いずれ別ゲームの主人公によって救われる。

 しかし……主人公と出会うまでの間、悪辣な貴族の手で小さな身体を弄ばれることになるのだ。成長途中の未熟な肉体が醜い欲望の餌食となり、拷問じみた調教を受け、心を跡形もなく粉々に破壊されることになってしまう。

 知らないことであれば無視することができるが、俺は前世でそんな凄惨な未来をゲーム画面越しに目の当たりにしたのだ。罪もない亜人の少女を救い出すターニングポイントに立っていて、見て見ぬふりなどできるわけがない。


「『聖海』の主人公には悪いが……主役だったら、シナリオ改変くらい自分で何とかしてもらうとしよう。俺はゼノン・バスカヴィルのような悪党には成り切れないんだから、悪く思うなよ!」


「さあ! さあさあさあさああああああっ! 1000万、1000万Gが出ました! どなたか、どなたか、あちらの美少年と競り合う方はいらっしゃいませんかあああああ!?」


 かつてない高金額を受けてか、司会のレスポルドも腕を振り回してエキサイトしていた。興奮した男の動きに合わせて、たわわに膨らんだ腹部がポヨンポヨンと激しく上下する。


「うぐ……い、いっせんまん……」


 悔しそうに呻いているのは、あと少しで落札できるところに横槍を入れられた貴族の男である。いかにも富豪といった身なりの男は、通路に立っている俺を憎々しげな眼差しで睨みつけてくる。


「……いかにも変態そうな顔をしてやがる。やっぱり、こんな野郎に可愛いヒロインを好きにさせるわけにはいかないな」


 俺はふふんと鼻を鳴らして、先ほど立ち上がったばかりの自分の席へと戻った。どっかりと腰かけて偉そうに脚を組む。

 ゼノン・バスカヴィルは見るからに邪悪そうな顔立ちの男であったが、同時に怜悧に整った相貌と高貴なオーラも併せ持っている美青年だ。

 こうして座っている姿はさぞや様になっているのだろう。会場のあちこちから感嘆の溜息が漏れる。


 前方に視線をやると、ウルザが顔を上げてこちらに目を向けているのに気がついた。

 白い髪、金の瞳の異相の少女は、ぼんやりとした目で俺のことを見つめている。俺は何となく右手を上げて鬼人族の少女に手を振った。


「っ……!」


 ウルザがビクンと肩を震わせて、慌てたように顔をうつむける。

 しかし、白い前髪の隙間からチラチラとこちらを窺っており、意識しているのが丸わかりだ。気のせいか、色素の抜けた頬が薔薇色に染まっているような気さえする。


「そんなに怯えなくてもいいだろうに……一応、君を助けようとしているんだけどな」


 俺は肩をすくめて、今度はウルザを狙っている貴族の男へと目を向けた。

 どうだとばかりに胸を張り、口元に冷笑を浮かべて嘲笑ってやる。


「ぐ、ううっ……」


 そんな俺の堂々たる立ち居振る舞いに、貴族の男が悔しそうに奥歯を噛みしめる。それでもまだ諦めがつかないのか弱々しく右手を上げた。


「い、1050万……」


「おおっと!? こちらの紳士もさらに上乗せしてまいりました! 1050万、1050万Gです! 他にはいらっしゃい……」


「1200万」


「なあっ!?」


 俺は表情を変えることなく金額を上乗せした。瞬き1つしない。この程度のこと、何でもないとばかりに言ってのける。

 間髪入れない反撃を受けて、貴族の男は大いにたじろいだ。自分の懐を――おそらく財布でも入れているのか、胸元を忙しなく手で撫でつけて、額にダラダラと汗を流す。


「い、いいいっ……いっせん……いっせんにひゃく……」


 男は右手を上げようとして、下ろす。

 また上げようとして、やっぱり上がり切らずに下ろす。

 そんな壊れた玩具のような動作を何度か繰り返してから、ガックリと肩を落としてうなだれた。

 言葉にならない降参宣言。男の心がポッキリと折れたのを見て、レスポルドが大きく頷く。


「それでは、こちらの鬼人族の少女は1200万Gでの落札になります! 皆様、どうぞそちらの青年に盛大なる拍手を!」


「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」」」」


「フッ…………」


 会場中が手を打ち鳴らして、俺の勝利を讃えてくる。

 俺は会場の最前列の椅子に腰かけたまま、無言で右手を掲げて左右に振った。



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