第17話 託された願い

 俺が真白桜月に関わる理由。


 それはずっと考えていたけれど、ずっと目を背けていたこと。

 それはずっと自分に問うていたけれど、ずっと答えの出なかったこと。


 ――――結局。


 いくら『仕事』だの『同僚』だのとお茶を濁そうと、そこからは逃げられないのだ。


 真白桜月という個人にんげんの『人生』に関わろうという時に、曖昧に答えの出ぬままに言葉を吐くなど許されるはずもない。


 牧瀬先輩はそこを突いた。容赦なく、苛烈に。だけどそれは、優しさでもあって。


(…………理由か)


 眼を閉じる。浮かべるのは、真白の顔。真白桜月という少女の姿。


 容姿端麗。成績優秀。スポーツ万能。生徒や教師からの信頼も厚く、非の打ちどころのない『完璧』な学園のアイドル。


 だけどその実、努力家で。準備を熱心にしすぎるあまり頼んでもない資料を勝手に量産してくるし、家ではダサいTシャツを着ているし。暗いところと雷が苦手で。


 壊れてしまった家族。壊してしまった家族。母親が再び家に戻ってくることを望み、求め、そのために努力を続けている。呪われたように、『完璧』を追い求めている。


 ……それが、俺の目から見た真白桜月という少女。


 こうして頭の浮かんだものを、ざっと並べてみるだけで、あいつに関わると必要以上の労力を消費することは分かりきっているのに。


 それでも。それでも俺が、真白に深く関わる理由。


 考えていくごとに、頭はふと昔のことを思い返していた。ずっと蓋をしていた、過去の記憶。その中に浮かび上がったのは……面影のある小さな背中。


 ――――ああ、そうか。きっと同じなんだ……あの時と。


「俺はあいつに……泣いてほしいんです」


 喫茶店で会った日。あいつは泣いていた。母親に関する何かのはずなのに、必死に声を押し殺していた。押し殺しながら、涙を流していた。


 母親を見つけて、走り出した時もそうだ。あいつは堪えようと、我慢しようとしていて。


 完璧な人間にんぎょうだから、泣いてはいけない。涙を流してはならないと自分に言い聞かせているみたいで。


 その背中がとても小さく、消えてしまいそうで……何とかしたいと思ったんだ。


 だから。


「声を上げて思い切り泣いてほしい。完璧な人間になんて、なってほしくないから」


 それが俺の理由。

 真白桜月に関わりたいと思った理由わけ


 そして、


「――――それが俺の、『願い』です」


 俺は真白に、『完璧な人間にんぎょう』になんてなってほしくないんだ。


 だってそんなものになったって、幸せにはなれないと俺は知っているから。


 ……俺は、あいつみたいになりたいと思った。そんなあいつに、変わってほしくないから。


「……そうか。それが君の答え……いや。『願い』か」


 呟いて。牧瀬先輩は、カップの中に残っていたココアを飲み干した。


「いいだろう。君の『願い』。本気に対して、私も本気で君に応えよう。君の『願い』が、真のものであると信じて、ね」


 牧瀬先輩は空になったカップから視線を外し、俺の目を見つめる。


「……真白は当時、実の母親の手で殺害されかけたことがある」


「それって……」


 先輩の口から出てきた言葉を、俺は自分でも驚くほど、酷く冷静に聞くことが出来た。


「どういう、ことですか」


「……その日は、雨が降っていたらしい。雷が落ちて、当時真白が住んでいたお屋敷で停電が起きた」


 雷。停電。そのシチュエーションに、俺は心当たりがある。


「停電はすぐに復旧し、父親が真白の場に駆け付けた時……」


 牧瀬先輩の呟きに、俺は耳を澄ます。


「……真白は実の母親の手で、首を絞められていたそうだ」


 ――――……窮屈な服が苦手なだけです。特に制服は、首元を締めるのが、まだ慣れなくて……。


 いつか言っていた真白の理由が、脳裏を過ぎる。


「なぜそうなったのかは分からない。あの暗闇の中でどのようなやり取りが行われたのかも分からない。だが事実として発見された時の彼女は母親に首を絞められて呼吸もままならない状態だったし、危うく扼殺される寸前だった。……経緯や理由を問われても、真白は『ごめんなさい』と謝り続け、更には家から逃げ出してしまう始末でね。今になっても、真相は文字通り闇の中だそうだ」


 ――――ごめんな……さい……ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!


 いつか言っていた真白の言葉が、脳裏を過ぎる。


「それから母親は心を壊し、真白の家を追放された。風の噂で、今ではすっかり回復していると耳にしたがね。それでもまあ、あの母親にとって真白桜月という存在は何かしらの傷として残っているかもしれないね」


 繋がっていく。

 これまで俺が見てきた、真白桜月という少女の姿が。


「以上が……私の知っている真白桜月、そして君の知らない真白桜月だ」


 それだけを言って、牧瀬先輩は席を立つ。


「灰露くん。私は、君が恋人役かりそめとして素晴らしい働きをしてくれることを期待している。……けどね。もう一つ、期待させてほしいんだ」


 彼女が財布から取り出した一枚のお札は、料金以上のものだった。


「真白桜月にかけられた『呪い』を、どうか解いてやってほしい」


 お釣りは要らないとばかりに、牧瀬先輩は去っていく。


「これは融和委員会委員長としてでも、先輩としてでもない……真白桜月の友人としての『願い』だ」


 客の居なくなった、静かな店内で……俺は一人、託されたものを静かに握りしめた。

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