繋がり(1)

 こうするしか、方法がなかったのだ。


 高校生が制服姿で出入りするにはおよそ似つかわしくないモダンな外観のオフィスビルに、華音は一人で足を踏み入れた。

 もうここへ来るのは何度目だろう。回数が増えても、緊張感がいつまでも拭いきれない。

 華音は玄関から入ったところで一度立ち止まり、大きく深呼吸をした。


 受付の社員は華音の姿をとらえると、愛想のいい笑顔を向け、すぐに電話を取った。秘書室に繋いで、何かを問い合わせてくれているらしい。慣れたような、穏やかな声でのやり取りが続く。

 用件はまだ告げてはいなかったが、もう華音の素性は受付社員に知れ渡っている。華音がここへやってくるということは、社長である赤城に用事があるということに他ならない。

 若く美しい受付の女性社員は、音を発てずに受話器を置くと、申し訳なさそうに言った。


「社長はただいま会議中とのことです」


「そう……ですか」


 アポも取らずにやって来たのだ。当然の結果である。

 美濃部に頼んでシティフィルの知り合いに事情を聞くという手もあるが、鷹山の目が怖い。それに、鷹山と華音の関係をまったく知らない美濃部が、鷹山に華音の行動を漏らしてしまう可能性もある。

 華音は悩んでいた。


「お待ちになられますか? あと十分ほどで終わるそうですが」


 華音の心の裏を読んだかのように、受付社員は言った。




 社長室のある最上階までやってくると、すぐに赤城の秘書が華音を出迎えた。キャリアウーマン風の女性秘書だ。

 赤城には男性と女性の秘書が一人ずついる。来客の応対をしてくれるのはいつも女性秘書で、外出時の同伴は男性秘書が多い。その状況に応じて、秘書を使い分けているらしい。

 女性秘書は、社長室の中の応接セットで待つように華音に勧めた。そして、すぐに隣接する秘書室へと姿を消してしまう。


 部屋の主がいないというのに、自分がここに通されてもいいのだろうか――華音はどうも落ち着かなかった。家族や近しい友人ならともかく、華音は赤城に使われて、アルバイトをさせてもらっているという立場にすぎない。

 アポも取っていないのに、勝手に部屋に通されていい人間ではないのである。



 身を硬くしてソファに座っていると、しばらくして赤城が社長室へと戻ってきた。

 もうすでに事情を聞いていたのだろう。特に驚いた素振りも見せず、華音の座るソファの後ろを通り過ぎ、大きな窓を背にした自分のデスクに、赤城はどかりと豪快に座り込んだ。


「どういう風の吹き回しだ? こんな平日の真っ昼間に。学校はどうした」


 いつもながら、赤城の装いには一寸の隙もない。濃いグレーの縞生地のスリーピースに、華やかな水色の柄のネクタイが人目を惹く。

 華音は怖ず怖ずと口を開き、威圧的な態度を崩さない大男に説明をした。


「今日から実力テストで、あさってまでは午前で終わりなんです」


「時間があるからといって、私のところへ遊びに来たわけでもあるまい。また鷹山君の差し金か?」


 赤城は訝しそうに首を傾げ、華音の顔を観察するように見ている。

 歓迎されるとは思っていなかったが、赤城オーナーの頑なな態度は、華音の予想をはるかに上回るものだ。

 何を言っても友好的な雰囲気に変えることはできない――華音は観念し、大きくため息をついた。


「……鷹山さんにテストのことは言ってません。バイトも夕方からにしてるから、学校で授業受けてると思ってます」


「ハッ、兄妹とは本当、名ばかりだな! 陳腐な嘘でお互いを欺いて、か?」


「……どういう意味ですか、それ」


「君は彼に嘘をついてここまでやってきた。彼のついた嘘を暴くために。違うか?」


 嘘も誤魔化しも言い訳も通用しない。この男はすべてを見抜いている。

 赤城は社長専用椅子に悠然と座り、威圧的に華音の顔を見据えたままだ。普段であれば、来客用の応接セットのソファに移動して、向かい合うようにして話を聞いてくれるのだが、今日は不自然にも自分の席から動こうとはしない。

 華音はソファから立ち上がると、自分から赤城のデスクの前へと進み出た。

 オーナーの赤城に聞きたいことは、たったひとつ――。


「祥ちゃんが入院している病院を、教えてください」


「君の『お兄さん』に聞いたらどうだ?」


「…………教えてくれるわけ、ないです」


 いつもこの男は無慈悲な物言いをする。

 鷹山に聞けるなら、わざわざここまでやって来ないと分かりきっているはずなのに、この男は――。


 それでも。


 どうしても会いたい。

 会って確かめたい。

 今はただ、それだけしかない。



 赤城は返事もせず、デスク上の電話に手を伸ばし、器用にも受話器の先でボタンを操作した。

 そして、耳に当て待つこと数秒。その後、秘書とスケジュール調整するようなやり取りがしばらく続く。


 すでに自分の存在は眼中にないのだろう――華音は諦めて赤城のデスクから離れ、ソファの隅に置いていた通学用のカバンに手をかけた。

 情報が得られないのであれば、長居は無用だ。

 華音はそのまま社長室をあとにしようと、ドアノブに手をかけた。


 すると。

 背後から、受話器を叩きつけるようにして置く音が聞こえてきた。

 華音が振り返るとそこには、手早く身支度を整え、颯爽と近づいてくる愛車のキーを手にした大男の姿があった。


「私も一緒に行こう。ついてきたまえ」


 軽く背中を押されるようにして、強引に社長室の外へと連れ出される。

 華音は途惑った。

 まさか赤城が同行を申し出るとは、思ってもみなかったのである。


「赤城さん……でも」


「万が一知られた場合の、鷹山君への言い訳は必要じゃないのかな?」


 華音は両目を見開き、思わず赤城オーナーの顔を見上げた。

 鷹山に、知られてしまったら――どうなってしまうのだろう。

 華音はこれから自分がしようとしていることを、途端に躊躇し始めた。


「そのときは、私に無理矢理連れていかれたと言えばいい」


 華音の困ったような顔を見て、赤城は肩をすくめてそう言い切った。




 赤城の運転する車に乗せてもらうのは、これが二度目だった。愛車・BMWである。

 車内は独特の雰囲気が漂っている。高級感あふれる装飾設備もそうだが、もちろんそれは持ち主のこの男によるものが大きい。

 高野和久や美濃部青年の車に乗せてもらっているときには、もっと自由に外の景色を眺める余裕があるのだが、赤城の運転する車にはそれがない。


 ――秋に鷹山さんとドライブしたときは楽しかったな……。


 華音はふと、半年前の出来事を思い出した。

 鷹山と初めて遠出できることが、嬉しくてしょうがなかった記憶がある。

 そしてまた彼も、楽しそうにはしゃぎ、持ち前の饒舌さを発揮して、好き勝手に喋りまくっていた。

 そして。彼の大きな瞳からあふれた涙。


【君の分の涙だ。どうしてこんな……この十五年という歳月が、僕たちを狂わせてしまった】


 取り留めもなくいろいろなことを思い出していると、赤城が運転席から毅然した態度で話しかけてきた。


「芹沢君、私との約束はちゃんと守れているか?」


「……たぶん」


「たぶん?」


 赤城はいつも以上に凄みをきかせ、一瞬だけ助手席の華音を睨みつけるようにして振り返った。

 その表情だけで、赤城の言わんとすることが手に取るように分かる。

 華音は怯むことなく、開き直った。


「そんな怖い顔しなくても。鷹山さんにそんな気、ないですよ。うちにあんまり長く居たがらないし」


「ふうん? これまでずっと君の家の書斎で仕事をしていたじゃないか? 仕事場がホールに移されても、あの家にいる時間はたいして変わっていないだろう?」


「仕事だと割り切ってる分には良くても……」


「フン、まあいい。君の言うことを信じよう」


 閉ざされた空間に赤城と二人だけという状況は、決して居心地のいいものとは言えない。

 しかし、不快というものとは違う。それは、言葉では言い表せない、今までに感じたことのない感情であることに華音は気づく。


「君は君のままでいい」


「どういう意味ですか?」


「無理に大人にならなくてもいい」


 鷹山と一緒にいるときとは当然のことながら流れる空気が違う。独特のテンポがある。

 鋭い観察眼と空気を読む力は並外れている。多くを語らずにすむからある意味楽なのかもしれないが――同時に多大な緊張も強いられる。

 華音から見た赤城という男は、ずっとずっと大人だ。味方でいるうちはとても心強い。知恵と力を併せ持つ。

 鷹山も華音から見たら大人だが、その質がまるで違う。自分の知らない世界をたくさん知っていて、言葉巧みに誘い込んでくる。


 ――どっちが大人なのか、分からない。

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