過去は消えない


 ドアを開けたらそこには義妹の遥が立っていた。

 なにやら焦った様子である。


「あれ? お、遅かったね? し、静ちゃんと一緒に帰ったの?」


 なるほど、家の前で話していたから防犯カメラで監視していたのか。


「只今帰りました。……申し訳ありませんが、上がってもいいですか?」


「あ、う、うん……、ねえ、お兄ちゃん、もっと友達作ろうよ? 昔はあんなに明るかったのに……、それに敬語はやめようよ……。わ、私と仲良く……」


 俺の心には何も響かない。これが中学の時だったら違っていただろう。

 あの時はまだ弱さと希望を抱いていた。


 俺の悪い噂が流れた時、義妹は『痴漢なんてさいてー』と言って信じてくれなかった。

 ……思い出してももう何も感じない。


 さっきの幼馴染の嘘告白を受けても、俺の心は傷まない。誤解をされないようにきっぱりと言えば大丈夫だ。


「遥さん、失礼します」


「お兄ちゃん……」


 血が繋がってない俺たちは兄弟でもなんでもない。

 ただの同居人だ。


 俺は自室へと帰ろうとした。




「あら、お帰りなさい、真。遅かったわね? 早く準備しなさい。私の仕事のせいで遅れちゃったけど、今日は入学お祝いでご飯食べに行くわよ?」


 そんな予定は聞いていない。


「いえ、俺は結構です。家族で楽しんで来て下さい」


 子供の頃は家族で出かけるのが楽しみであった。

 事件があってからも、両親は家族の責務として俺を誘ってくれた。

 あの時は精神的に幼かったから付いていったけど、俺が行くと家族の雰囲気が悪くなる。


 だから、俺は旅行も外食も行かないようにした。

 誰もいない家は心地よかった。幼い時は寂しさは感じていたのかもしれない。だが、今は何も感じない。

 ずっと一人で勉強したり、小説を書いているのが楽しかった。


 家族からは、「お兄ちゃんなんだから――」といわれて、全て義妹のことが最優先だ。

 だが、それも仕方ない。物事には優先順位が必要だ。

 俺の優先順位は平穏だ。


「あなた……、いつまでも拗ねてないで……、お父さんも単身赴任でいないし、私達は家族なんだからもっと――」


「すみません。以後気をつけます」


 拗ねている? そんな感情は全くない。思ったこともない。

 俺が行かないのが一番良い選択肢。家族が一番うまく回る。

 実際、義妹もお義母さんも俺がいない時の方が明るい顔をしている。


 お義母さんは苦い顔をしていたが、心の中では俺が行かなくて安心しているのだろう。


 勉強をして真面目な学校生活を送る。俺の噂で家族に迷惑をかけた俺のせめてもの罪滅ぼしだ。

 俺は二人にお辞儀をして自室へと戻った。







 勉強はそのことしか考えなくていいから楽だ。

 趣味の小説を書くのは物語に没頭できるから好きだ。


 何も持たない俺にとってこれほど良い趣味は無い。

 スマホ一つあればできる。

 ……お金か、これ以上家に迷惑かけないために稼がなきゃな。


「うん? なんだ、これ?」


 小説サイトのメッセージがピコンと赤文字で浮かび上がっていた。

 二件ある。

 一通目のメッセージを開くと、そこには俺が書いている異世界転生物の感想が書かれてあった。どうやら熱心なファンらしく、長文で作品を褒め称えてくていた。


「……ありがとう」


 思わず俺は頬を緩ませた。この時だけは自分の感情を感じられる。

 これがなかったら精神が安定しなかっただろう。


 二通目を開くと……そこには――


「運営? ……出版社……連絡ください?」


 スマホを持つ手が震えてしまった。

 俺でも焦るということがあるのか? 深呼吸をして心を落ち着かせる。

 ……嬉しい反面、面倒なことにならないか心配であった。

 一瞬でも喜んだ心が萎んでしまう。


 学業とは関係ない……、見なかった事にしよう。


 その夜、俺はなかなか眠りにつくことが出来なかった。




 *****************




 HR前の教室はいつも通り騒がしかった。


 メガネを外した斉藤さんは美少女と評判であった。

 斉藤さんとは不本意ながらも同じクラスになってしまったが、関わり合いはない。

 中学の時とは違い、流行りの髪型に化粧もしている。もう誰も地味なんて言わない。

 クラスのリア充として君臨していた。


 俺の心は何も感じない。関わらなければいいだけだ。


 あの時の事件は不運が重なっただけだった。

 斉藤さんと図書室で立ち話をしていた。同じ趣味ということで俺は浮かれていた。

 淡い恋心みたいなものを抱いていたのかもしれない。今となっては覚えていない。

 その日は雨だったから普段よりも図書室が混んでいた。


 ――地震が起こった。


 揺れは一瞬で収まったけど、本棚の上に置かれていた荷物が斉藤さん目掛けて落ちて来た。そんなところに物を置くなよ! という文句が出る前に身体が勝手に動いた。


 俺はとっさに「斉藤さん!!」と言いながら斉藤さんに抱きついた。

 硬い何かが俺の頭や背中にぶつかる。

 衝撃に耐えきれなかった。


 俺は斉藤さんによりかかるように倒れてしまった。


 一瞬だけ気を失っていたのかも知れない。意識がちゃんとあったのかも知れない。

 よく覚えていない。


 気がついたら、泣いている斉藤さんがいて――

 俺の頭からは血が流れていた。そして――生徒の群れから糾弾されていた。


「お前何抱きついてんだよ!」

「斉藤さん大丈夫? 保健室行こ?」

「マジありえね……、噂本当だったのかよ……」


 幼馴染の宮崎さんの時と同じ空気を感じた。俺は心の底から後悔をした。

 一人でいれば良かった。


 それでも、俺は心の片隅で斉藤さんを信じていた。

 物が落ちて庇ったのをきっとわかってくれる。


「う、上から物が――」


 斉藤さんは俺の言葉を遮って、俺を睨みつけながら叫んだ。


「真君がいきなり!! こ、怖いよ……、近づかないで!!!」


 信じられる人が出来たと思った。

 だけど、それは幻想だった。

 誰も俺を信じてくれない。


 記憶が飛びそうになるくらいの衝撃だった。


 そして、噂は尾ひれがついて、俺が斉藤さんを襲った犯罪者となっていた。


 それ以来斉藤さんとは話していない。

 俺は頭の傷が原因で高熱を出して三日間学校を休んだ。

 弁明する機会はない。する必要もない。


 義妹からは馬鹿にされた。義妹を通して家族にも知られて、俺に迷惑そうな顔をしていた。もう俺を叱ることさえしない。諦めた表情であった。


 幸い斉藤さんが無傷だった。

 俺はそれを聞いて――何も思わなかった。ほのかな恋心と一緒に何かが抜け落ちていった。





 斉藤さんの笑い声で過去の記憶から現在に戻る。


「えっとね、みゆはカラオケ行きたいな〜、へへ」

「おう、今日はカラオケだ!」

「うん、みゆっち、歌うまいもんね!」


 俺は自分の席で本を読む。

 スマホはいじらない。万が一小説サイトを見ているのがバレたら面倒だ。

 誰かがスマホを奪って中身を見たら最悪だ。

 無駄な事はしない。

 本を読みながら自分の小説の次の展開を考える。

 それが俺の幸せであった。


 俺の隣の席に座っている篠塚さんも一人であった。

 険悪な顔をしながら本を読んでいる。話しかけるな――というオーラが強く出ていた。見た目からして金髪で制服を着崩して、目つきが悪いので、ヤンキーと陰口を叩かれていた。

 入学して一ヶ月経っていないけど、篠塚さんの悪い噂は俺も聞いたことがある。

 だが、そんなものどうでもいい。俺だって悪い噂がたくさんある。


 先生が教室に入ると、俺も篠塚さんも本を閉じる。

 騒いでいる教室の中、俺と篠塚さんの周りだけは静かであった。





 *****************


 


「えっと、新庄、次は視聴覚室だぞ。早く移動しろよ」


「そうですね。ありがとうございます」


「また、敬語かよ、まあいいけどさ」


 クラスメイトの男子が気を使ってたまに声をかけてくれる。

 俺は当たり障りのない返答を笑顔でする。

 そうすればフラットなままの関係でいられる。


 全く喋らないで無視するのは敵意の対象になる。たとえば篠塚さんを見たらわかる。女子はみんな篠塚さんのことが嫌いだ。理由なんて他愛もない。喋りかけても無視された、顔が可愛いからって調子乗ってる、ヤンキーだから――


 俺は話しかけられたら無視しない。会話を笑顔ですぐに打ち切る。

 笑顔なんて簡単だ。目を細めて口角をあげれば勘違いしてくれる。

 クラスで世間話をする程度の陰キャ。

 ……正直、宮崎が中学の頃の噂を広めると思ったけど、その気配はない。


 広まったとしても俺は変わらない。心が何も感じないんだから。






 隣の席の篠塚さんはグースカ寝ていた。

 起こそうとも思わなかった。起こして間違いが起きたら面倒だ。

 さっさと移動しよう。


 教室の入り口の前でたむろしていたリア充グループに変化があった。


「ごっめん〜、みゆ、ちょっと用事があって、先行ってて! すぐ行くよ!」


 予想外である。

 斉藤みゆが俺の席に近づいて来た。


「えっと、真君、だよね? あ、わかる? みゆだよ? ほら、図書室でいつも一緒だったでしょ? ほら、私達色々あったからさ〜、超話しかけづらかったじゃん」


 リア充特有の上から目線の口調である。

 俺は作り物の笑顔で流そうとする。


「ええ」


「なにそれ? 超ウケるんだけど!? ねえねえ、今ってどんな本読んでるの? あっ、私もそれ読んだ! 面白いよね!」


「そろそろ視聴覚室に移動をした方がいいです」


「敬語っ、超ウケる!!」


 俺が斉藤さんに最後に投げつけられた言葉は「近づかないで、怖い」だ。

 それ以来話していない。一体どういうことだ? 

 わかる事が一つだけある。


 ――関わるな。逃げろ。問題を起こすな。


「ていうか、さ。みゆ、超気にしてたんだよ? ほら、みゆの勘違いで……真君が大変な事になっちゃってさ。だからさ、高校生活は楽しんでもらいたいっしょ! 友達もみんな良い人だからさ! クラスのみんなで一緒にカラオケ行こうよ! 真君のためだよ! ……それに……また二人で本読みたいじゃん……」


 顔を赤らめながら言い放つ斉藤さん。

 俺のために――


 なるほど、これは善意として解釈していいのだろう。

 大丈夫。俺は何も感じない。押し付けられた善意はいらない。


 俺は席を立とうとした。


「――失礼します」


「ちょ、ちょっと、行かないでよ!? もう! みゆは真君の事信じてたよ……。卒業の時にね、図書委員の子から聞いたけど、優しい真君がみゆの事を庇ったんだもんね? ……ありがとう。地味なみゆを見てくれた真君……大切な時間だったんだ……。だから、これからも――」


 しんじてる――か。

 あの時、誰かが本当の事を言っても、空気がそれを許さない。真実なんて関係ない。

 俺はあの噂で身にしみた。だからもう間違えない。


 流そうと思っても出来なかった。それでも心は空虚であった――

 だから――



「斉藤さん、俺が君を襲った、という疑惑の過去は消せない。――すまない、今さら俺を信じるなんて言われてももう遅い――空虚な言葉だ」



 思わず敬語を忘れてしまった。

 俺は席を立って、プルプルと震えている斉藤さんの横を通り過ぎる。

 そういえばいつの間にか、篠塚さんがいなくなっていた。



「――ま、真君……み、みゆが……悪いの? なんで……真君のために……綺麗に……」



 俺はその言葉に返事をせず、教室の扉をそっと閉めた――




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