171話 再会の扉

 城の中は外とは違い、静寂に包まれている。


 入ってすぐ、装飾が施された大きな石造りの柱が左右に立ち並び、この列柱廊は絨毯張りの大階段がある広間まで続いている。生涯初めて入る城が敵の城、しかも潜入とは思えばむなしくなってくるが、その荘厳なたたずまいに言葉を失った。さすが、大国の王城と言ったところか。


 床が大理石でできてはいるが、絨毯が敷かれているので足音は響かせずに済んでいる。


 あちこちに扉があるが、遠視魔法ディヴィジョンには何もかからない。本当に誰もいないのかとその範囲を広げると、たった一つ、大階段の近くに人間の魔力反応が掛かった。


 慎重に歩を進め、ようやく魔素の濃度にも慣れてきた頃合で大階段に差し掛かると、そこにうずくまる一人の女中メイド。俺はためらいなくその者に話しかけた。


「もうし」


 ビクッと俺の声に反応し、恐る恐る顔を上げる女中。その表情は憔悴しょうすいしきっており、瞳に光は宿っていなかった。まるでいつ襲い来るか分からない死の恐怖に怯え、疲れ果てたかのようだった。


「…ぼうけん、しゃ?」

「そうだ。話は出来るか?」


 冒険者である事を肯定した途端涙があふれかえり、みるみる瞳に生気が戻った。女中メイドは足腰立たぬまま、何とか壁にもたれかかかるように姿勢を変え、言葉を発する。


「よかったっ…ここまで来たという事は、私の事は他の隠者の目ハーミットの者から聞いていますか?」


 自ら隠者の目ハーミットである事を明かしてしまう当り、よほど切羽詰まっていたのだろう。リージュの街の『空の杯』店主、ジョズさんから王城に潜入している構成員がいる事を聞いていた俺だからよかったものの、王国側の人間だったら間者だと殺されている所だ。


 話は聞いていると伝えると、女中にふんした隠者はこれまでで知り得た情報を次々と話し始めた。魔物騒ぎが起きてからというもの、王が騎士団総出で城を守るよう厳命した事、城が空なのは、使用人は皆地下室に逃げ込んでいるからだという。


 だが、細々こまごまとした情報はいらない。とにかく女王ルイとメフィストという男の居場所を教えろと言うと、若干ためらいながら口を開いた。


「メフィストは王城の入口から少し離れた場所にある、魔導塔という塔にいるはずです。二日前、その助手と共に入っていくのを確認しました。魔物騒ぎが起きてからは城中大騒ぎでしたので、今もいるかは分かりません。ですがあの塔以上に安全な場所はありませんので、恐らく今も」


 この言葉でアイレと共にうなずき合い、事が終わり次第魔導塔に乗り込む事にした。なんとしても魔人を生み出したとされるメフィストには罰を与えねばならない。


「して、女王は」


 急ぎ居場所を言うよう促すと、言葉にするのがはばかられるように顔を伏せて肩を震わせ出した。そして意を決したように再度顔を上げ、一文字に噤んだ口を開く。


「…女王ルイはこの大階段を上った先、王と共に玉座にいるはずです」

「はず?」

「申し訳ありません…私にこの階段は上がれないのです。息が、出来なくなります…ああっ!」


 そう言うと、恐怖を思い出したように悲鳴を上げ、隠者はまたも頭を抱えてしてしまった。とにかく聞きたい事は聞けた。ここから離れるよう言い残し、俺達は大階段の先、悪夢の待つ扉へ向う。



 重い。


 階段の一歩一歩がとてつもなく重い。


 大広間と玉座の間を隔てる扉の向こうから強大な魔力反応を感じる。


 幻王馬スレイプニルの力をほんの一匙ひとさじ垣間見た俺達だが、それとはまた異なる不気味な感覚は、正に魔人の持つ威圧だった。


 階段を上がり扉の前まで至るのに、ようやくと言える程の時間が経過したようにさえ感じられる。


 俺は両手を扉に当て、アイレとコハク、マーナに目配せして重々しい扉を開いた。




「やっと来たわ。アイレはん、コハク。久しぶりやねぇ。って、言うてもそない経ってへんか」




 玉座の間に足を踏み入れた俺達へ、早々に投げかけられる言葉。


 言葉を発した女はボロを身に纏い、玉座で脚を組んで頬杖をつきながら、こちらを嬉しそうに見ていた。



◇ ◇ ◇ ◇



 パキィン!


「なぜだぁっ! なぜ抵抗できる!? おかしい、理屈に合わなぁい!」

「もうだめですメフィスト様! 核の明滅が終わります、逃げましょう!」


 自身の魔力を魔物の魔力へ変換し、ルイの脳への浸食を試みているメフィスト。何度試みても失敗に終わる事を受け入れられず、ブツブツとその場で考え込んでしまう。


 このままではルイは魔人ではなく魔人兵ゾンビとなってしまう。どれだけ強かろうと、自我を持たない魔物などメフィストにとっては塵芥ちりあくたも同然。


 九尾大狐という希少種にA級の魔力核、もう二度と同時に手に入らないと断言できる。集大成ともいえる魔王種の創造は、半生を費やして研究してきた自身の夢なのだ。そう簡単にあきらめる訳にはいかない。


 今度は一つの魔法陣ではなく、小さな魔法陣を複数作成して頭全体を包み込むように展開、ありったけの魔力を変換して浸食を試みた。



 バシュン!―――ピシッ バチッ



「か、雷魔法!? そんな馬鹿な…」


 描いた全ての魔法陣が、込められた魔力もろとも霧散する。目に見えてルイの覚醒が近づいているのが分かったメフィストは、ヘナヘナとその場に崩れ落ちた。


「メフィスト様!」

「くそっ! くそくそくそくそ、くっそぉっ!! なんで魔素がもう魔力に変わってんだ! しかもでどうやって属性魔法をイメージしてやがんだ、この女狐ぇっ!」


 ガンガンと地面を叩き、予想外の出来事に苛立つ。最初はただ浸食するための魔力が足りず、脳の再構築を邪魔できなかっただけと踏んでいたのだが、どれだけ魔力を込めても成功しなかった。


 そして今、明らかにルイが発した雷魔法に邪魔されて魔法陣が弾かれてしまった。同じ獣人で雷属性を持ち、魔人化に成功したウギョウにはこんな現象は起きなかった。多少てこずる事くらいは想定していたものの、まさか手も足も出ないとは思いもよらなかったのだ。


 吸収魔法陣から戻った魔力は胴体と四肢の再構築の際に魔素に変わっているはずで、雷魔法を放つための魔力が今のルイにあるはずが無い。だが、実際目の前で魔法を放ったのは紛れもない事実。


 魔法を放てる魔力が対象に既に存在するという事は、他人の魔力が入り込む余地が無くなったという事である。すなわち、ルイを操る事が不可能となった事、そして魔素による脳の再構築が完了した瞬間、ルイは自我持たぬ魔物となる事が決定した。


「失敗作がぁっ!」


 怒りに我を忘れたメフィストは拷問用の短剣を持ち、やたら滅多にルイに突き刺すが一瞬で再生される。その様に苛立ちは頂点に達し、未完成の頭に向かって短剣を振り下ろすが、強力な電撃により短剣は弾かれ、感電させられてしまった。


「ぎゃっ! ち、ちくしょう…っ」


 メフィストはビリビリと痺れる両腕をだらりと垂らし、助手に支えられて恨み節を残して地下研究室を後にした。


 ◇


「報告します! 大量の魔物が外門を破り侵入! 貧民街および平民街被害甚大! 現在貴族街に向かって侵攻を開始しております!」


 玉座の間に響く尋常ならざる報告。


 反乱民を根絶やしにする機会をうかがいつつ、事の遷移を見守っていた王エンスと各方面の大臣や貴族達も、内乱の最中に起こった魔物侵攻の報を驚愕をもって受け止めた。


「なんじゃとぉっ!? なぜこの王都に近づいている事に気付かなかったのじゃぁっ!」


 王に激怒され、ただただひざまずく事しか出来ない伝令員。反乱民に貴族街の外側を占領されているからとは口が裂けても言えなかった。玉座の間に控える騎士団員達と側仕えは、火の粉が降りかからぬよう黙って目を伏せるばかりである。


 その時、玉座の間に勢いよく入室したのは騎士団長のバーゼルである。


「申し上げます。たった今貴族門前に魔物が到達し、騎士団にて迎え撃っております。確認している限り、十分に対処可能な魔物ばかりです。どうか御心をお鎮め下さい」


「本当だろうなバーゼル! 鼠一匹この城へ近づけるな! 騎士団全戦力を持って魔物を排除せぃ!」


「はっ! 僭越ながら万全を期すため、例の魔人を連れてくるようメフィスト殿に掛け合うべきかと愚考します」


「そうだ、それだ! 誰ぞメフィストを呼んで参れ。もう待てぬとな。女狐さえ儂の物になれば全て片が付くわ!」


 伝令員は拝命するや立ち上がり、その場を後にしようとするが、




「女狐って、ウチのことでっか?」




 玉座の間の扉付近から、女の声が響いた。


 女はボロを身に纏い、ひたひたと玉座に向かって歩き出す。


 まき散らされる尋常ならざる圧力に気がついたのは、戦いを主とするバーゼルと騎士団員だけだった。


「お、おおっ! 完成したか、魔人ルイよ! 苦しゅうない、これへ」

「はいはい。なんでっしゃろ」


 王に対する受け答えとは到底思えぬ不敬さに大臣や貴族たちは眉間にしわを寄せるが、当の王エンスは待ちわびた最強の戦力に目がくらんでいた。


 目の前に立ったルイへ、エンスは声高に命令する。


「ルイよ! 早速其方の力を儂に見せて見ろ。まずはこの王都に土足で上がり込んだ魔物どもを駆逐し、その後儂に逆らう下賤な輩を皆殺しにするのじゃ!」


 にこにこと笑みを浮かべ最後までエンスの言葉を聞いたルイは頬に手を当て、ファサッと黄褐色の尻尾を揺らした。


「はは~ん。確かに魔物に囲まれてまんなぁ。下賤な輩っちゅーのが分からんけど…とりあえず気にいらんのを皆殺しにしたらええんやね?」


「そうだ! 下民ども、帝国の犬ども、帝国に寝返りよったヤツらも全員殺せっ!」


「わかったわかった、そない興奮しなや。唾かかりそうやん、きったないなぁ……ほな早速いきまっせぇ。ホイと―――」



 パァン!



「うんうん。ええ感じに仕上がっとるな、ウチのカラダ♪」


 尻尾をゆらゆらと揺らし、おもむろに歩き出したルイ。空席となり、血に染まった玉座に腰を下ろす。


「固ったいイスやで。ようこんなもんに座っとったなこのオッサン。おしり痛なるわ」


 そう言いながら、そばで立ったままの首の無い王を邪魔だと言わんばかりに足蹴にする。



 ――――は?



 目の前で起こったありえない光景。誰もが言葉を発するどころか、理解できないでいた。


 時が止まったかのように皆が動けないでいる中、たった一人現状をようやく理解した者がいた。騎士団長のバーゼルである。


「きっ、貴様ぁっ! 何という事を」


 ドン!


「かひゅ……」


 ルイの指先から放たれた雷がいきり立ったバーゼルを一瞬にして焼き焦がし、炭となったバーゼルは倒れると同時にホロホロと崩れた。


「あかん、強すぎてもーた。魔法こっちはまだ加減むつかしいわ」


 雷の音でビクリと目を覚ましたその場の者達が狂ったように悲鳴を上げる。ようやく身の危険を察知し、逃げ出そうと扉へ向かって走り出す有象無象に、ルイはククッと笑いながらその背中に指を差す。


「どんだけ気づくん遅いねん…王サマも皆殺しゆーてたやん。ついでに練習さしてもらうで」


 ピシッ! バチチチチチチ!


 無慈悲に放たれた雷電がその場の全員に降り注ぎ、人の焼ける匂いが玉座の間に立ち込める。ルイは不満げに溜息をついた。


「弱すぎて何の参考にもならんなぁ…ここおってもしゃーないし、とりあえずそこらの人間りに行こかな」


 スッと立ち上がり、大勢の人間がいる場所を魔力反応で探す。魔人となって魔力を感じることが出来るようになったルイは、この力を大いに歓迎していた。


 獣人の頃から魔素の濃淡や、人や魔獣、魔物が発する威圧や殺気といった力の波動には敏感な体質だった。得たばかりの力だが、使いこなすのに十分な素養を持ち合わせていただけに、彼女の遠視魔法ディヴィジョンとも言える力は広大な範囲を探れるレベルとなっていた。


「この反応…わざわざ迎えに来てくれたんやろか。やっぱええ子らやねぇ」


 見知った反応を感じ取ったルイは再度座し、玉座で同胞を迎える。


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