138話 不退転

 異常を目の当たりにしたのは、死した魔人だけではない。


 コハクが襟首をつかみ上げられる姿を目の当たりにしながら、指一本動かせずにギリギリと歯噛みする事しか出来なくなっていたハイクと、両腕のひじと手首を自壊させ、最後は槍の石突いしづきによる一撃で呼吸困難に陥っていたリブシェもそうである。


 特にハイクに至っては、ヨーンオロフが一瞬にしてバラバラになった所をしっかりと目撃していた。その後も自身が一度は憐れんだ少女がをして木人形の動きを止め、二人の魔人に近づく。


 ゆらゆらと歩く少女の頭が揺れるたびに鈴が鳴る。だらりと垂れた指先には極薄の氷が釣り下がっており、陽光の反射でそこにある事に気が付いたほどだ。


 少女はハイクの知る武器の射程の遥か手前で両腕をすくい上げ、腕が見えなくなるほどの速度で振り抜かれた斬撃は、微動だにしない魔人二人を格子状に斬り裂いた。


 自らの確信に相違なく、ヨーンオロフと同様の結末を迎えたラドミラとウルメンは、主を失った木人形デクと共に静かに消えていった。



 ――やっつけた――



(味方…で、いいんだよな?)


 ハイクは魔人を瞬殺して傍で携帯食を頬張っている獣人ベスティアの少女を見て思う。殴られ、蹴飛ばされても表情一つ変えず、拘束されたと思ったら難なく脱出し、一言二言魔人と話したあと突然攻撃を加えた少女の事が全く理解出来ずにいた。


 だが、まず言うべき事は感謝だろう。あっという間に携帯食を食べ終わった少女に、ハイクは語りかけた。



 ――がんばってない――



「お嬢ちゃん、助かった。ありがとう」



 ――― ……(コクリ)―――



(頷いた!? ヨーンオロフやつとも会話してたし、やっぱ耳も聞こえてたのか!)


「す、すまないが、お願いがあるんだ…」

「………」


 コハクは草よりよほど美味しかった食べ物のお礼をしようと思っていた。食べ物をくれたという事は少なくとも悪い人ではないと思っているので、話し始めたハイクを怖がることなく先程頬を突っついていた距離まで行き、聞き耳を立てている。


「ここいらに倒れてる人…いや…人間を、軍の後ろの方に連れて行ってもらえないか…?」


 彼は獣人である少女が捕虜として人間から数々の仕打ちを受けていたと思っているので、同じ人間を助けたがらないと思っていてもおかしくはないと考えていた。


 なのであえて『人間』という言葉を選び、少女と同種ではない事への遠慮をチラつかせ、無理強いはしないという意思を含ませたのだ。


 だが、そのような配慮は的外れな上にコハクが理解できるはずも無い。幸い『ジンは人間である』という事をつい先ほどマーナから学んでいたので、人間に対する抵抗感は少し薄れていた事が幸いした。


 ほんの偶然だが、ハイクの選んだ言葉は正解だったのだ。


 だが如何せん、コハクは『軍』という言葉が分からない。聞き返すことも出来ないので、キョロキョロと辺りを見回して倒れている人間を数え、自分が行きたい所へとりあえず皆を連れて行く事にした。



 ――おおかみさんところいく いっぱいもてない――



 マーナに言われた通り、倒れた人間を何かに乗せようと思案したコハクは地面に手をかざし、大きな薄い氷の板を作り出した。


(な、なにしてるんだ? やけに寒い…ダメだ…意識……が…)


 気を失ったハイクに気付くことなく、倒れた人間と地面の間に氷の板を滑り込ませていく。合計九人の冒険者を乗せた氷の板は、コハクの後ろから草の上をシュリシュリと音を立てて付いてくる。その様ははたから見れば何が起こっているのか、少女は何をしているか到底理解できるものでは無いだろう。


 マーナの気配を頼りに、氷の板と共に歩き出したコハクの前に、帝国軍の後方部隊が現れる。マーナのいる回復部隊は後方部隊の丁度中央に当たる位置だった。



 ――にんげんいっぱい とおれない おおかみさん… ――



 泣きそうな声を上げながら、『吹雪』と言われて分からないままにホワイトリムの住み家を思い出す。横殴りの雪と揺れる樹氷、時折遊びに来るエルククゥの親子を想う。そのイメージは魔法となり、コハクの周囲はいつしか極寒のホワイトリムと化していた。


 帝国軍後方部隊は、こちらに向かって歩いてくる少女を見て、先程頭上を飛んで行った者だと気が付いた。


「あの少女はさっきの…ど、どうする?」

「う~ん…戦場ここに迷子預かり場所なんて無いしなぁ」

風人エルフの姫のお連れだし、回復部隊に向かってんじゃねぇのか? こっち方向だし」


 当然彼らはコハクが魔人を討っての凱旋だとは思わない。しかし、少女が近づいてくるにつれ違和感を感じる事になる。


「おいおいおいおい! あの子の周り、氷魔法が展開されてるぞ!」

「さ、寒いっ! 俺達をめちゃくちゃ警戒してるって事か!?」

「ん!? 後ろに人が倒れてる!」

「回復部隊に怪我人を連れて行こうとしてるのか!」


 そのうちの誰かが『道を空けろ』と叫び、コハクの目の前に突如道が開けた。



 ―― とおれる ――



 道を空けた兵達は、相手は少女ながらに優れた魔法師であり、さらに魔人と戦って怪我をした冒険者を連れている事の敬意と、警戒するコハクに対して敵意がない事を示す為、胸に手を当てて道を作ったのだ。震えているのは寒さと、途轍もない氷魔法への畏怖からだった。


 マーナが言った通りになり、コハクは回復部隊へ歩みを進める。



 ―― じん まだ ――



 ◇



 水蒸気爆発の衝撃を辛くも防ぎ切ったアッガス、ウォーレス、フロール、ジャックの四人は一人も欠けることなく消耗戦を続けている。


 だが各々が打開策を探るが、未だ見つけられずにいた。


 バチンッ!


「くっ!」


 弓術士アルクスの魔人エンリケの見えざる矢が獣人ジャックの頭に命中する。無属性魔法によって形作られた矢はジャックの纏雷てんらいき消えるが、徐々に十分な相殺が出来なくなり、矢が当たる度に体勢を崩すようになってきた。彼の纏雷はエンリケの放つ矢に削りに削られ、無視できるレベルを超えてきている。


 そんなジャックと共に盾術士スクードの魔人ドルムの攻略を目論んでいたウォーレスも、ジャックの手数が減った事によりドルムに集中的にマークを受け、動かぬ山に攻撃を行っているかのような状態になっている。この高くそびえる山は一人では越えられないと、ウォーレスは攻めあぐねていた。


 敵の特攻役、斧術士ハルマーの魔人ゴドルフを相手にしているアッガスも、ジャックと同様に手数が減り防戦一方となっていた。未だ大きな傷は負わされていないものの、それも時間の問題。本人がそれを嫌と言う程感じ取っている。


(負ける)


 魔法師の魔人ソルムの魔法を相殺し続けているフロールは、彼らの戦いを見ながら冷静に分析する。一か八か大魔法を繰り出し、そこに敵の混乱の芽を生み出す手段を考えるが、その思考はブンブンと振り払った。


(一か八かなんて考えたの初めてね…それほど、手がないわ)


 フロールは喚水の冠帯アクルトクラウンのメンバーと共に、帝国内屈指の危険地帯である『あかつきの森』に入ったことがある。森の最深部に到達したが、そこで森の頂点に君臨する緋王熊カリストに遭遇。一目見るなり殿しんがりを受け持ち逃げを打ったが、その時でさえいくつかのマシな手は思いついたものだ。


「ふふっ。逃げらんないってきっついわねぇ」


 苦笑いを交えてそうつぶやいたフロールに、ふとジャックが視線を飛ばした。


 ピクリと反応したフロールはジャックが何かすることを察知。彼の行動に併せてサポートの手を出せば、何かしらのチャンスが生まれるかもしれない。意識をジャックの動きに少し傾けたと同時に、ジャックはドルムとの距離を取った。


「ぬぅぅぅあぁぁっ!!」


 バチッ、バチチチチ!


 あらん限りの魔力を差し出すかのように、魔力を解放したジャックの姿が猛々しく変容をげる。脚は二倍に近くに膨れ上がり、一本角の先端を起点に紫電がほとばしる姿はウギョウとの激突時と同じ。変わっていくその姿を見てフロールは覚悟を決め、ウォーレスもジャックが生み出す成果を繋げるべく身構えた。


「おっけー、おっけー! んなきゃ殺られるってね!」

「ぶちかませ」


「行くぞっ!」


 ゴガン! ドッドッドッドッ!


 助走から最高速に至るまでの時間を、脚を強化する事により大幅に短縮。ジャックの重量と踏み込みの力で進行方向に傾き大きく窪んだ足跡は、その膂力の強さを物語っていた。


 突進の目標は魔法師ソルム。そうすれば勝手にドルムが射線に入り、大盾を構えるだろう。ドルムが大盾を構える時間を少しでも減らすための小さな戦術である。


 エンリケが数本の矢を撃ち込み突進の威力を殺そうとするが、さすがに移動要塞と化している今のジャックには無力。すかさずフロールが敵の回避の選択肢を無くすべく、魔法を繰り出した。


「―――切り裂く水の円環クライスザリッパー!」


 超高速で回転する五つの水の輪がソルムとドルム、加えてジャックとウォーレスを囲う。ジャックとソルムの距離が縮まるのに併せ、水輪も小さく形を変えている。


 水流操作、形態操作、位置操作が必要となる複雑怪奇な魔法を思いつき、瞬時に実現させる事が出来るのはフロールの天才性の為せる技である。


 回避の手段を断たれたソルムは、賞賛と共にソルムの前に急ぎ立ちふさがったドルムに小さく問うた。


「あの者、恐ろしい才能だ。ドルム」

「止める」


 突進するジャックと身構えるドルム。


 それを見たウォーレスは拳に力を込めながら、相手の油断をわらった。


あなどり過ぎだ」


 瞬間、紫電を纏う一本角と、強化魔法が膨れ上がる大盾が激突した。


 ドゴンッ! バチチチチチ!


「があぁぁぁ!」

「ぬぅぅおぉぉっ!」


「ぬっ!?」


 ドガッ!


 ジャックの紫電が大盾の強化魔法を食い破り、大盾が上空に向け弾かれる。ジャックは勢いそのまま自身と同等の巨躯を持つドルムにぶちかまし、ドルムは大きく体勢を崩した。


「これは凄い」


 絶対防御を信条とする弟ドルムの力負けを見ても、なお冷静な兄ソルム。


 そしてジャックを信じ、彼が作り出したこの一瞬の隙をウォーレスが逃すはずが無い。


「―――三合掌さんごうしょう


 ズドンッ!


「ごはあっ! ――ぐあぁぁっ!」


 ウォーレスの固有技スキルをノーガードで打ち抜かれ、ドルムが吹き飛んだ先はフロールの水輪。五つの水輪が背に触れた瞬間、ドルムの背は竜爪に裂かれたかのごとく、さんたる傷跡を残した。


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