8話 二つの奇跡
――――ジェ…シカ?
ふらふらと、壁に手をつきながら家から出てくる。そんなジェシカを見た村の者全員が言葉無くあっけに取られ、信じられないという眼差しを向けている。
対して、当然慌てたのは夫のロンだった。
「ジェシカ! 寝てないとだめじゃないか! それに、自分が何を言っているのか分かっているのか!?」
気を取り直したエドガーとオプトを含め、数人がロンのフォローに回る。
「そ、そうだぞジェシカ。神獣様はお怒りではないんだ。このままお引き取り願おう」
「俺も同じだ。無理しちゃいけない」
「もしも身体に何かあったら…」
さぁベッドで休もう、と身体を支えようとするロンの手を拒み、ジェシカはその手を強く握り締めてロンを見つめる。
「ジェシカ…」
「エドガーさんとオプトさん、皆も心配してくれてありがとう」
皆の方に向き直り、そう言って微笑むジェシカに誰も何も言えなくなる。
「神獣様。その子は普通の人間の子なんですよね?」
「(無論だ。
それを聞いてジェシカは言葉に力を込める。
「ロン…それにみんな。神獣様の言う事は本当よ。なら、その子は望まれて産まれてくるべきだと思うの。何処に行っても恐れ拒まれるなんて、その子の事を考えると、私には耐えられない」
「そ、それは…その通りだとは思うがっ!…しかし君の身体は―――」
ジェシカの強い眼差しに反論できなくなるロン。この村に来てから、いや、冒険者時代でも見た事の無い、固い決意が見て取れる。
「子と共に、村を出ます。誰にも迷惑はかけません」
――安心してみんな。もし災厄だったとしても私一人で受け止めます
その言葉を聞き、ロンは覚悟を決める。
「…そんな事させる訳ないだろう。俺も一緒に行く。君とその子を守らせてくれ」
そういって、ジェシカを抱き締める。
「ありがとう…ロン」
そんな二人を見て、神獣が覚悟を改めて問わんと言葉を発する。
「(勇ましいな娘。だが、お主。その侵された身体では宿すと同時に、死ぬ事になるやもしれぬぞ)」
神獣はジェシカの病を見抜いている。遠からず死ぬことは間違いないし、まして子を宿すとなると相当な生命力を必要とする。即座に命が危険に晒されるのは明白だった。
だが、ジェシカはこの神獣の問いにすぐさま答える。
「私の命に代えて、絶対に産んでみせます」
ロンの腕の中で神獣に向かって決意を宣言するジェシカ。ロンも同様に決意を新たに宣言する。
「俺も、命に代えて妻と子を守って見せる」
「これこれ二人とも。村長のワシを差し置いて、誰が村から出ていく事を許可したんじゃ?」
「ああ、そうだ。前衛がいないんじゃ
「
村長のティルムが柄にもなく凄み、『なんだとっ』と言いながら神獣の前でやりあっているエドガーとオプト。それを見て他の皆も笑っている。
どこかで『女神がいなくなったんじゃこの村終わっちまうよ』と言ったであろう声の主は、村の女性陣にボコボコにされている。
――――みんな、ありがとう。
ロンとジェシカはこみ上げる気持ちを抑えながら、笑顔でそれを見る。
「(ふっ…いいだろう。
そう神獣が言うと、ロンの前に小さな光が寄ってくる。手を差し伸べると暖かい。これは命なんだと実感し、次はどうするべきかロンにはわかる。二人は頷き合い、そっと目を瞑ったジェシカの身体に光を当てる。
光はゆっくりと身体に吸い込まれていった。それと同時にロンは生命力を吸い取られるような感覚に陥り、思わず片膝を付く。
「ぐっ!」
「どうしたのロン!?」
「おい、大丈夫か!」
ロンの異変に驚いたジェシカとエドガーが声を掛ける。村人たちも息を呑んで心配そうに二人を見守っている。
「大丈夫だ…すこし驚いただけだ。多分だが、この子はお腹が空いてるんだろう」
皆を安心させるように、ロンは冗談っぽく振る舞う。
命を宿すんだ。今のはおそらくその代償だろう。
俺にしか出来ないし、させない。
最後までジェシカの身体に光が吸い込まれるのを見届け、ロンは気を失った。
「ロン! だいじょ――――っ!」
倒れたロンを支えようとするが、ジェシカも力なく地面へ座り込む。
それを見たエドガーとオプトがロンへ駆け寄り、気を失っているだけだと伝える。ジェシカは村の女性陣に支えられ、自分は大丈夫だと皆を安心させた。
「(ふはははは、我が使命は成った!
「(これほど早く事が成るとはな。褒美だ、受け取れ!)」
ブワッ――――
神獣は翼を広げ風を巻き起こした。その涼やかな風は村中を包み込み、一時の静寂をもたらす。
「こ、この風は―――」
「ん?」
「脚が自由に動く!?」
「あれ、腰が痛くない?」
「昨日切った腕の傷の痛みが無い!」
「なんだか力が
村長のティムルは杖無しですっくと立ち、エドガーとオプトも体の改善を訴え、村中の人がその異変に気が付き始める。
「うっ、今の…は。なんだか身体が楽に」
膝の上で目を覚ましたロンの目に映ったのは、顔を両手で覆いながら身体を震わせているジェシカの姿。泣いていた。同時にロンは、ジェシカの首筋にあったはずの
「ロン、わたし……」
「ジェシカ、首の―――まさか!」
ロンは急ぎジェシカの袖口をまくると、腕にいくつもあった黒斑が跡形もなく消え去っていた。
「黒斑が無い!」
「神獣様が治して下さったみたい…」
「こっ、こんなことがあるのか!? うぉぉぉぉぉぉっ! よかった! ジェシカ!!」
さっきまで気絶していた状態だったとは思えない。ロンも完全に回復しているようで、喜びを爆発させた勢いでジェシカを抱き上げ、グルグルと回りながら広場の中央を駆けまわった。
「あははっ、ちょっとロン危ないよっ!」
涙の跡を拭いながらジェシカは抗議するが、喜びは隠せない。
「ダメだっ、喜ばずにいられない!」
そんなジェシカとロンを見て、エドガーと他の村の者も涙を流しながら大笑いし、オプトに至っては号泣して言葉にならず。
ジェシカだけではない。他の四人の魔吸班病患者も黒斑が消えているらしく、怪我や他の病を抱えていた者も完全に治っているようだった。
村中が歓喜に包まれる。
神獣は目の前の人間達を静かに見守るのであった。
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