5:二人の恩人
「うん、美味しいよ。あんたは本当に何でもできるんだね。その年で、しっかりしてる」
即席のポトフを、それでもノタナさんは美味しそうに平らげてくれた。たくさん褒めてくれるのだが、じきに恥ずかしくなってきてあたしは別の話題を探す。そのときふと気づいた。ノタナさんは一度もあたしの素性には触れてこない。気を遣ってくれているのだろうか。
「聞かないんですね」
「何をだい?」
「あたしがどうして、この町に来ることになったのか」
勇気を出して切り出してみると、ノタナさんは優しく笑んで、片腕を持ち上げた。頭を撫でられる。
「誰だって言いたくないことのひとつやふたつ、あるだろう。言いたくないなら言わなくていいよ。そんなこと分からなくたって、あんたはよくやってくれてるしね」
「……ありがとうございます」
「ほんと言うと」
ノタナさんは、さらに笑みを深くした。
「セトに――あんたをここに連れて来た子だけどね、あの子に止められていたのさ。聞かないようにってね」
「そうだったんですか……」
「いい子だろう」
誇らしげな言葉だ。頷くが、同時に申し訳ない気持ちになった。あたしが俯いたのを察知したノタナさんが、首を捻る。
「どうしたんだい?」
「色々助けてもらったのに、あたし、まだちゃんとしたお礼も」
妹を失った直後で、混乱していた。言い訳だ。たくさん迷惑もかけてしまったのに。
ノタナさんの顔に微笑みが戻った。
「気になるんなら、今度会ったときに一言言っておくといいよ」
「それだけで?」
「十分さ。喜ぶよ」
あんなに助けてもらったのに、お礼を言うだけで構わないのだろうか。けれども他にできることが、何かあるのか。きっとない。結局のところ、あたしは無力だった。あのときと同じく、ひとりでは何もできないままだ。
「おや?」
外で鳴ったベルの和音に、ノタナさんが立ち上がった。間もなく日付が変わるこの時間に、一体誰が何の用で? まさか客と言うことはあるまい。少し嫌な予感がしたので、ユウラも席を立った。万一のために箒を握っておくべきかなと考えたが、必要なかったらしい。
「あんたまたこんな時間まで働いてるのかい!」
ちょっと怒ったような声が聞こえてきた。「いや、これ最後の仕事。終わったら寝るから」と答える声に聞き覚えがあって、気付けば食堂を飛び出していた。噂をすれば何とやら。ロビーに出た途端、目が合った。
「あ」
お礼を言わなきゃ、お礼を言わなきゃ、お礼を言わなきゃ――。いきなりすぎたのか、頭でぐるぐる回るだけで、とても言葉にならない。あたしが出てきたことに軽く驚いたらしい恩人は、しかしその後微笑した。ますます声が出なくなる。
「元気そうで」
あたしに向かって一言そう言って、恩人は——セトはノタナさんに目を戻した。立ったまま話し始めたのを途中で制して、ノタナさんは食堂を指した。
「あんた晩は済ませたのかい?」
「晩? ああ、飯? それなら、もう」
「私に嘘が通用すると思ってんのかい」
どうして分かったのか、ノタナさんが詰め寄ると、セトは観念したように肩を下げた。
「でも、この時間から作らせるのは悪いし、どうせ寝て起きたらすぐ朝――」
「子供が大人に気を遣ってんじゃないよ! 四の五の言わずに来る!」
「……はい」
剣幕に押されて頷かされたセトは、罪悪感を含んだ目でノタナさんを見、それからあたしの方も見た。それで気付いたノタナさんが振り返る。
「ああ、すまないねユウラ。あんたはもう休んでおいでよ。明日も頼むね」
「いえ、あたし、大丈夫です」
「そうは言っても」
「ノタナさん」
遮ったのはセトだった。
「やっぱりオレ、今は遠慮する。こんな時間にごめん。また朝来るよ」
「お待ち! 私が飯も出さないまま帰すわけがないだろう?」
「でも」
「ノタナさん」
今度はあたしが呼んだ。鍋の中身を思い出す。もう一杯分くらいはあっただろう。
「さっきのでよければ、少し残ってます」
再度振り返ったノタナさんの顔が、俄かに綻んだ。そこに秘められた意味を読み取る前に、ノタナさんはセトに向き直ってしまう。
「食堂へおいで」
そう言った声は、とても優しかった。
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