4:平穏な日々
エルティに着いてから、セトは働くことを希望したあたしを一軒の宿に連れて来た。そこはノタナという宿主が経営しているこじんまりとした宿で、あたしはその日からすぐに住み込みの従業員として迎えられ、今日で十日目を迎えていた。ノタナさんはとても気のいい主人で、あたしがどんな失敗をしても——それほど数は多くなかったけれど——怒ることがなく、平穏な日々を送ることができていた。
窓を覗くと、高く上った月が見えた。仕入れに行ったノタナさんはまだ戻ってこない。白女神祭を明後日に控えた今、宿は当然のように満室、毎日てんてこまいだったが、この時間になるとさすがに手も空く。これ以上仕事が残っていないか確認し、箒を片付け終えると手持ち無沙汰になってしまった。
ふと思い立って、厨房へ向かうことにする。ノタナさんは必ず決まった時間にまかないを出してくれたが、あまり忙しいと自分は食べない。今日はあたしでも二人に分身したいと思うほどだったから、ノタナさんはきっとまだ夕食を食べられていないだろう。あんなにも美味しい料理を作れる自信はないが、あたしも料理の手間は知っている。こんなに遅くから作るくらいなら、味は落ちてもすぐに食べられた方がいいと思うはずだ。何もしないまま待つのも退屈だし、いくらそうしろと言われていても、先に休むなんて論外だ。何か作って待っておこう。
厨房に残っていたのは、野菜が少しと、鶏肉が少々、各種調味料。ポトフを作ることに決める。煮込みの時間がどれだけ取れるかは分からないけれど、それほど手間は掛からないから、味の差だって出にくい――といいのだが。手を動かしていると、違和感があった。それで料理をしたのはずいぶん久しぶりだったことに気付く。ふいに、妹の顔が蘇った。手が止まる。蘇った? ぶるりと、身が震えた。あたしは、あの子のことを……忘れていた?
「ユウラ?」
呼ばれて我に返ると、鍋から立ち上る湯気の向こうにノタナさんの顔を見つけた。ようやく戻ってこれたようだ。
「あ、厨房勝手に使ってごめんなさい。ノタナさんは夕食、まだなんじゃないかと思って」
「それはちっとも構わないけど、あんたも疲れてるだろうに」
「あたしは平気です」
「本当によく働く子だね。料理もできたのかい」
「そんな大層なものじゃないんですけど……もう少しだけ待っててください。すぐにできますから」
「残りはやるよ。ユウラはもう休んでおいで。明日も早いよ」
「もしかして、迷惑ですか?」
「迷惑なわけないだろう。大助かりだけど、あんたがあんまりくるくる働きまわるんで心配なのさ。倒れちまわないかってね」
「お世話になってるんで、たまには何かさせてください。じゃなきゃあたしの気が済みません」
「……そうかい。それじゃあ、ごちそうになろうか」
心配顔で、けれども最終的に折れてくれたノタナさんに、そっと感謝する。鍋をかき回しながら、食堂で待っていてくださいと伝えた。大丈夫、いい匂いだ。失敗しなくて良かった。もう少し煮込んだ方が美味しくなるだろうけれど、肉にも硬い野菜にもちゃんと火が通っている。念のため味見をしておくが、あたしにしては上出来だ。待たせてしまっては意味がないからと、急いで皿に盛った。見栄えもそんなに悪くない。喜んでもらえればいいのだけれど。
そう言えば、ポトフは妹の好きな料理のひとつだった。笑った顔が浮かんできて、泣きそうになった。
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