外伝 —夢の章—

支部男子の二つの鉄則

 これは、某氏がよからぬことを企まず平和な日常があったとしたら、というもしものお話。


 白軍北支部に入ることになったランテは、初めての遠征任務を終えて支部に戻ってきたところだ。対峙した黒獣は中々手強かったが、優秀な支部副長の部隊というだけあり、不慣れなランテがいても難なく討伐して帰還した。


「お疲れ様。報告はオレの方で済ませておくから、各自ひとまず二日休みを——」


 時は夕暮れ。ちょうど日勤と夜勤の交代の時間ということがあり、支部玄関には多少人の行き来があった。支部副長兼遠征部隊長のセトから解散命令が下るかと思われた、ちょうどそのときのことだ。


「副長ー!」


 絶叫と共に、セトの足元に滑り込んで来た人影が一つ。そのままの姿勢で——つまり床に額をつけた状態のままで——続けて彼は言う。顔は見えなくても、声と服装だけで、まだ新米のランテにもその人物の正体はよく分かった。マーイだ。


「助けてください!」


「怪我人か?」


 瞬時に表情を引き締めたセトだったが——マーイとセトは、支部でたった二人の癒し手という接点があるゆえ、深刻な事態を想像したのだろう——拍子抜けするような答えが返って来る。


「彼女が、彼女が、他の男に取られてしまいそうなんです!」


 三つ重なった溜息をランテは聞いた。ここにいるランテとマーイ以外の全員が——すなわち、セトとユウラとテイトが——同時についたものだ。マーイが教会の神僕女に懸想しているのは有名な話で、彼がとんでもなくマイナス思考であることもまたよく知られたことだ。


「それ、前の任務帰りにも聞いたけど?」


「前よりもっと深刻な事態なんです!」


「分かった。とにかくオレが戻ったから、数日休み取っていい。その休みで解決して来いよ」


「適当にあしらわないで、助けてください副長!」


 マーイはそのまま足に縋りついてきそうな勢いなので、セトは苦笑いして「恋愛相談なら人選ミスなんだけどな」と言いつつ彼に手を差し伸べた。どうやら、立たせてもらったことで助けてもらえると思ったらしいマーイは、ちょっと表情を明るくする。溜息がもう一度聞こえて来た。今度は一つだけで、ユウラのものだ。


「あのね、セト。あんたはそうやって甘いから、いつまでもくだらないマーイの相談事に付き合わされるのよ。分かってる?」


「く、くだらない!?」


「くだらないわよ。この間も隣で聞いてたけど、単に敬虔な信者が教会に通ってただけだったでしょ。大体、あんたは彼女の何? ただ片想いしているだけの男でしょ。そういうことを言いたいのなら、さっさと彼女を口説いてきなさい。彼氏でもない男が、彼女の交友関係に口出しする権利、ないと思うわよ。あたし、何か間違ったこと言ってる?」


 ユウラの正論は、マーイの心にかなり大きなダメージを与えたらしかった。せっかく立たせてもらった彼は、そのまま萎れるようにへなへなと座り込む。


「容赦ないな」


「あんたが甘すぎるのよ。自覚して」


 セトとユウラの短い会話を聞きながら、ランテはテイトと顔を見合わせて苦笑いしていた。


「だけど、そうだね。僕はユウラの言うことは正しいと思うよ、マーイ。動かないで見ているだけだと、そうやって不安になっちゃうでしょ。そろそろ告白でもしてみたら?」


「告白……振られるに決まってる……」


「本当にそう思う? 僕は結構、上手くいくんじゃないかなと思っているんだけど」


「嘘だ! だってこんな後ろ向きでへなちょこな男を、彼女のようなすばらしい女性が好きになるわけない!」


 テイトが一生懸命に元気づけようとしたが、マーイの超絶という冠詞が付きそうなほどの後ろ向きさの前には、何の効果もなかったようだ。


「本当面倒くさいわね、あんた」


 またしてもユウラにばっさりと切り捨てられて、マーイはさらに身体を折る。その姿はあまりに悲壮で、ランテはなんだか可哀想になって来てしまった。


「話くらい、聞いてあげない?」


 ランテの一言は、途端に彼を勇気づけたらしい。がばっと自力で立ち上がった彼は、ランテの手を両手で握り締めて来た。


「ありがとう、ありがとう、ランテ! 任務帰りなら夕食がまだでしょう。副長、皆さん、ぜひ食堂で食事をしながら!」


「うわっ」


 そのまま手を引かれるのだが、思いのほか力が強くて、一切の抵抗ができない。


「前から思ってたんだけど、マーイって戦士の素養ない? 結構腕力あるよね?」


「あるだろうな。鍛えてみるか?」


「あの後ろ向きさで戦場に立たれたら敵わないわよ。まったく……」


 食堂まで攫われていくランテを見つめながら、テイト、セト、ユウラは悠長に会話をしていた。自分一人だけが生贄に捧げられたのかと一瞬疑ってしまうが、そこは何だかんだ面倒見のいい三人であって、結局ランテを追って食堂に来てくれた。


 ■


「オレは聞きたいんです。皆さんならどうするかを!」


 マーイはやはり敬虔な信者が教会に足しげく通っているだけとしか思えない事態を、まるで彼女が執拗に言い寄られているかのように説明し、おまけに彼女のすばらしさを追加で延々と語って、最後にそう締め括った。


「マーイとその人って、どの程度親しいんだっけ?」


「言葉で説明するなら知り合いって程度だな。ただ、知り合いになってからは結構長いはずだ。よく怪我人の治療も一緒にしてるし」


 ランテの疑問には、セトが答えをくれた。マーイに話させると長いからだろう。


「だから言ってんでしょ。さっさと口説けって」


 そう言うユウラは呆れ顔だ。行動派の彼女は、マーイがいつまでも仲を深められないまま指を咥えて立ち止まっていることに、苛立ちを感じてしまっているようだ。


「……ユウラさんだってできてないくせに。リイザさんから聞きましたよ」


「は?」


 マーイが小声でぼそりと言った言葉は、ランテの聞き違えでなければそんな内容だった。


「よく分かったわ、マーイ。さっきそこで、あんたは結構戦士に向いてるんじゃないかって話が出てたのよ。あたしが鍛えてあげる。そしたら自信も出るんじゃない? 表、出なさいよ」


 若干怒気を孕んだ——というよりは凄みを利かせたの方が正しいかもしれない——ユウラの返答を聞くに、おそらく間違っていなかったのだろう。マーイが腰を抜かしそうな様子で「ひっ」と声を上げたことで、ユウラは多少留飲を下げたらしかった。腰を浮かせていたが、椅子に座り直す。


「いきなり告白が難しいなら、少しずつ距離を詰めてみたらどう? まずはどこかに出かける約束を取りつけてみたりとか」


「で、出かける!? オレと彼女が!? そっ、そんなっ、彼女の隣を歩くなんておこがましい!」


 テイトの、おそらく状況的に最も適しているであろう助言は、謎の謙遜によって退けられた。小さく溜息がつかれたのを、ランテは聞き逃さなかった。怒らせたら一番怖いのは実はテイトだと知っているため、少々肝が冷える。


「大体一般的な助言はし終えてるんだよな」


 ユウラとテイトの反応を見ていると、こう述べて笑うセトは気が長いなとランテは思う。マーイが彼を選んで話をしに行くのも、この辺りが理由なのだろう。


「だから今日は、違った方向性で。そもそもの話だけど、お前、本当にあの人のことが好きなのか?」


「え?」


「普通、相手が好きなら隣を歩きたいと思うんじゃないか? できるだけ長く二人で過ごしたいって思いそうなものだけど。お前の話を聞いてると、それって好意じゃなくて憧れなんじゃないかって思うんだよな」


 そう言われると、マーイは目を丸くして黙りこくってしまった。


「……何? 経験論?」


「いや、一般論」


 やや緊張した面持ちのユウラに軽く応えて、セトはマーイを見つめる。彼はまだ考え込んでいた。


「好きかどうか分からないうちに背中を押すわけにもいかないから、一度よく考えてみたらどうだ?」


 誠意からの助言なのか、それとも話を切り上げるために——全員で囲んだ食事はとっくに全てなくなっている——場を収めようとして選んだ言葉なのか、ランテには分かりかねたが、意図はともかく内容についてはもっともだと感じられる。そのためランテも見守っていたが、マーイは思いのほか早く結論を出した。


「……誘ってみます」


 消え入りそうな声ではあったが、マーイは確かにそう言った。顔が真っ赤になって、身体がふるふる震えているのを見ていると、何とも応援したい気持ちに駆られる。


「うん、頑張って、マーイ!」


 思わず明るく言うと、マーイは弾かれたように顔を上げてランテを見た。身を乗り出すと、またもランテの手を取ってくる。


「君はなんて優しいんだ……ありがとう、ありがとう! それで、じゃあ、彼女をどこにどうやって誘うかなんだけど」


 あまりもの勢いに気圧されていたランテだったが、がたりという音がして思わずそちらに目を遣る。示し合わせたように、セトとユウラ、テイトが立ち上がっていた。


「じゃ、悪いけど後は頼むな、ランテ。仕事が山積みでさ。マーイもほどほどにしてやれよ?」


「ま、これも一つの社会勉強ね。今回の休み丸々潰れるかもしれないけどご愁傷様。それで学びなさい」


「明日から夜は呪の勉強会するから、それまでには片づけておいでね。じゃあ、おやすみ、ランテ。……ああ、今日は眠れないかもしれないけど」


「えっ、えっ?」


 ランテが戸惑っている間に、三人は素早く食器を手にし、颯爽と去っていく。慌てて追いかけようとしたランテだったが、それができないようにマーイにしっかりと手を掴まれていた。


「何て声を掛けたらいいだろう」


 最終的に、ランテ一人が生贄に捧げられる事態になってしまった。やたらと輝く目を向けられているので、ここで逃げ出すわけにもいくまい。観念するしかなさそうだ。ただ、良い相談相手になれるかは甚だ疑問である。


「オレも、恋のことはそんなに詳しいわけじゃないんだけど」


「いいんだ。じゃあ、一緒に悩んでくれ!」


「えっと、なんて声を掛けたらいいのかだっけ? それは、ほら、普通に」


「普通にとは!?」


「え、普通は普通で。いついつにどこどこへ行きませんか、みたいな」


「どれくらい先を提案すればいいだろう!? どこに行くのがいいだろうか!」


「えー……えーっと」


 今こそ皆がいて欲しい。時期はともかく、女性を誘うのに適した場所なんてランテには皆目分からない。頭を悩ましてみて、ようやく一つ浮かんだが、果たしてこれは正しい答えなのだろうか。


「こ、公園……? とか?」


「公園!?」


「駄目かな!?」


 マーイがひたすら感嘆符をつけたような語気で返してくるので、ランテまで引きずられ始めてしまった。


「いや分からないが駄目じゃないだろうきっと! その発想はなかった!」


「う、うん、良かった」


「それで、公園で何をすればいい!?」


「な、何って、え? 散歩? かな?」


「そうか、散歩か。だが無言で散歩する訳にもいかない。何を話したらいいか考えて欲しい!」


「何をって……そんなの話してみないと分からないんじゃ……」


「そんな、話しながら何を話すか考えるなんてオレにはできない! 台本がないと!」


「じゃ、じゃあ好きなこと聞くとか、休みの日何してるかとか」


「他は?」


「ええ、他?」


 ランテなりに一生懸命応対するのだが、マーイの質問は途切れることなく続いていく。いつになったら満足してくれるのだろうか。結局それは、食堂から人の姿が残らず消えてしまった夜遅く、セトが助けに来てくれるまで終わらなかった。


 ■


「当日何を着ていって、どこの花屋でどんな花を買って、会ってから別れるまでどこを歩いて何を話すかのチャートまで作ったのに、相手が開口一番で予想外の反応を返してきたから、結局誘えなかったと」


「うん、マーイが声を掛ける前に『今日はいい天気ですね』って言われちゃって、それで計画が崩れたんだって……」


 後日、マーイから今回の戦果について聞かされたランテは、さすがにげんなりしてしまった。あんなに苦労したのにと、少しばかりマーイを恨みたい気持ちになる。報告しに行くと、セトとテイトは同情するような表情を浮かべているから、きっと同じような目に遭ったことがあるのだろう。


「マーイの恋愛相談とリイザの誘惑には乗るな。支部男子の鉄則だよ、ランテ。覚えておいて」


「先に引っかかったのがマーイの方でまだ良かった。リイザだと、な」


「ね」


「まあそっちは、リイザにオレから釘刺しとくよ」


 二人はそれ以上語らなかったが、リイザの誘いに乗ったらどんな目に遭うのだろう。恐ろしい。もしかして、北支部は思った以上に危険な場所ではなかろうか。


「オレ、やっていけるかな」


 気弱になって言うと、何の根拠があるのか、セトとテイトは口を揃えて「やっていける」と言うのだが、先程マーイに改稿依頼された分厚い台本を見つめていると、ランテは不安で仕方がないのだった。

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