第27話 西の牢獄塔
王宮の外れにそびえ立つ、不気味な西の牢獄塔。
ここは昔、王宮を敵軍や
聖女リリアーヌの功績によってプロヴァリー王国に平和が訪れると、王都に人々が集まり人口は増加した。
すると城壁の外にも市街地が広がっていき、内側の貴族区と外側の平民区に別れる。
その結果、防衛の役割が薄くなった西の塔は、囚人を収容する牢獄として使用されるようになっていった。
塔は深い堀に囲まれ、跳ね橋だけが出入り口の構造になっていて、侵入が困難であるため都合がいいからだ。
入ったら二度と出て来れない、などと人々から恐怖と共に噂されている場所。
リリアーヌとニコラは、衛兵に前後左右を囲まれ、その西の牢獄塔へと連行される。
堀に架けられた橋を渡る前に、衛兵の隙をついてリリアーヌはニコラに小さな声でささやいた。
「私を置いて逃げなさい。ニコラだけなら、夜陰に紛れてきっと逃げ切れる」
「いやだ。例えこれが
塔に着くと獄吏長と衛士が出迎え、衛兵たちは二人を引き渡した。
彼らは、王妃のリリアーヌを上階の貴人用の牢ではなく、劣悪な地下牢へ入れた。
ニコラが猛烈に抗議したが、獄吏長は「国王陛下のご命令ですから」とニヤニヤ笑うばかり。
暗くかび臭い牢の中は、天井近くにある明り取りの小さな窓から月の光だけが照らしている。
壁の隅をネズミが走り回る音や、上からはコウモリの羽ばたきが聞こえる。
疲れ切ったリリアーヌが壁にもたれようとすると、ニコラがとっさに腕を掴んで引き寄せ、壁面にいたサソリを剣で突き刺した。
「ひっ!」
リリアーヌは悲鳴を飲み込み、その場にへなへなと崩れるように膝をつく。
ニコラは上着を脱いで石の床に敷くと、リリアーヌを座らせた。
「壁にはあまり近づかない方がいい。俺に寄りかかって、休め」
「ニコラ……ごめんなさい。私、とんでもないことに、あなたを巻き込んでしまった」
「気にするな。俺はリリィの守護聖騎士だ。むしろ、ピンチの時にこそ、側に居なくちゃだ。帰国が間に合ってよかったよ」
「でも、これはきっと何かの間違いよ。きちんと調べればわかるはず。ジェレミーも落ち着いたら、私が赤ん坊を殺したりなどしないって思うわ」
「リリィ……こんな目に遭っても、まだ王を……ジェレミーを愛しているのか?」
リリアーヌはぎゅっと手を握りしめ、目蓋を固く閉じた。
これまでにあった、様々な出来事が甦る。
「――本当に、フェリクスは殺されてしまったのかしら。
いったい、だれが、何のために。
私、あの小さな子を、守ってあげられなかった」
ぽたぽたと涙をこぼすリリアーヌに、ニコラは「リリィのせいじゃない。自分を責めるな」と言い聞かせる。
ニコラは、リリアーヌの気持ちが落ち着くのを待ってから切り出した。
「――祖国で俺が、ラグランジェ一族について調べた話を聞いてくれるか?」
「ええ、もちろん。聞かせて」
「実は、ひょんなことから、むかし一族に仕えていた人の死に際を看取ることになったんだ」
ニコラは、祖国の旧ラグランジュ領の、海辺にある古い礼拝堂を訪ねた時の話を始めた。
礼拝堂はすでに朽ちて、人々から見捨てられていた。
しかし敷地内にある小屋に、司祭の下男をしていたという老人が住んでいるのを見つけた。
かつてラグランジュ侯爵家が、領地を治めていた頃からずっと居たのだという。
その老人は死にかけていた。
聞けば、妻に先立たれ、子供たちも家を出て久しいという。
今では、近隣の者が時たま様子を見に来るだけで、たった一人で死の床に居た。
孤独な老人の最期を、ニコラが側にいて看取った。
「世話っつっても、身体を綺麗にしてやって、清潔な寝間着を着せ、寝床を整えて、かゆを作ってやっただけだけどな」
老人はニコラにたいそう感謝して、亡くなる前にラグランジュ一族の昔話を聞かせ、礼拝堂に置いてあった司祭の日誌のありかを教えた。
「じいさんの話は、最初信じられなくて、ボケているのかな、と思ったんだ。だけど、司祭の古い日誌を読んだら――」
リリアーヌも、にわかにはニコラの話を信じられなかった。
それはラグランジュ一族のルーツとも言うべき話で、これまで信じていたことが、すべてひっくり返されてしまうような内容だった。
「もう今夜は遅い。こんな時だからこそ、休める時は休んだ方がいい」
ニコラは、憔悴しているリリアーヌに、少しでも眠るように勧めた。
そして彼自身は辺りを警戒しつつ、何かあればすぐに臨戦体勢に持ち込めるよう、剣の柄を握る。
(色々、気に入らねえことばかりだ。王子殺害のリリィへ冤罪も、こうして俺たちを一緒に投獄したことも。それに、なぜ俺の剣を徴収しなかったのか……)
石の床に座り、リリアーヌはニコラにもたれたまま、眠りの中に落ちていく。
温かい陽気の夜だったことが、せめてもの救いだった。
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