第15話 国境の川岸
「もうすぐ国境に着きます。今夜宿泊する宿場町まであと少しです」
ニコラは護衛している国王夫妻の馬車の窓に、乗っている馬を寄せて声を掛ける。
窓から見えるリリアーヌの顔が今夜の宿泊先への到着の知らせに、ふっと緩んだ。
プロヴァリー王国とフレイア神聖王国の、国境を隔てて流れる川が見える。
対岸に渡れば、もうフレイア教会の総本山だ。
国境の川は、巡り巡ってニコラたちの故郷の海へと続く。
先日の離宮の夜の事件の後、ニコラはかなり落ち込んだ。
面子を潰され、静かな怒りに満ちたジェレミー。
リリアーヌがかばってくれなかったら、今頃ニコラはどうなっていたのだろう。
そしてニコラがいなくなったら、誰がリリアーヌの心を守るというのか。
ニコラが聖騎士になったのは、リリアーヌのためだ。
彼の剣は、リリアーヌただひとりだけに捧げられている。
(しっかりしろよ、俺。リリィを守るために、もっと強くなって、もっと考えて行動しなきゃダメだ)
国王夫妻の馬車の隣を騎馬で伴走するニコラは、度々二人の様子が気になって、ついつい目がいってしまう。
ジェレミーは向かい合って座るリリアーヌに、なにか言いたげに口を開くが、結局つぐんでしまう。
リリアーヌは、窓の外をぼんやりと眺めている。
以前より少しやせて、目の下には薄っすらとくまがあり、よく眠れていないようだった。
(リリィはまだ、あんな奴のことが好きなんだろうか)
神聖王国との国境沿いの宿場町は、普段から巡礼者でにぎわっている。
今回はさらに、教皇の崩御によって葬儀に参列する人々でごった返していた。
一行は入国する前に川岸の宿場に泊まり、旅装から礼装へ着替え、身なりを整えてから国境を渡る予定になっている。
国王夫妻は、プロヴァリーの国境を守る辺境騎士団長から城塞へ招待されたが、移動が不便な場所だったため断って、この宿場町の貴族用の宿を貸し切った。
宿の食堂で夕食に出されたのは、味付けが濃く油っこい肉や魚料理だった。
護衛騎士たちはエールと共に豪快に食べていたが、リリアーヌはほとんど手をつけていない。
辺境騎士団長が国王に挨拶をしに訊ねて来たので、ジェレミーは席を立った。
その時、ニコラに「リリアーヌのために、何か果物でも調達して来い」と言って出て行った。
ニコラは、街の食堂に行って林檎や他の果物を分けてもらい、厨房を借りて綺麗にカットして皿に載せ、リリアーヌの部屋に届けた。
「ありがとう、林檎は大好きよ。
ねえ、ニコラ。むかし浄化の旅をしていた時に、林檎の木を見つけるとあなたたちが、競争して私に実を採ってくれたわね」
「そんなこともあったかな。……ところで、最近ちゃんと眠ってないのか? ひどい顔をしているぞ」
「そうなの? たしかに近頃よく同じ夢を見るの。誰かが遠くの方で私を呼んでいるような、変な夢」
リリアーヌは夢の中で、冷たい水底から聞いたことのない言語で呼ばれていた。
故郷にいた時も見た夢だ。
幼少の時、その夢を見た後で
「国境の川は、巡り巡って故郷の海に流れている。リリィ、故郷に帰りたくないか?」
「故郷は……楽しい想い出も、悲しい想い出も両方ある。祖国はお父さまとお母さまを……私から奪った。帰りたくないわ」
「……なあ、あんまり辛かったらさ。いっそのこと、俺と二人でどっかに逃げちまおうか。もうさ、ジェレミーの奴なんか、ポイっと捨てちゃって。リリィは俺じゃ、頼りないって思うかもしれないけど」
ニコラはわざと明るく、何でもないことのように、王妃の逃亡を提案した。
「逃げるって、いったいどこへ? 故郷から亡命してプロヴァリーへ来た時と、今は違う。王妃という立場で、どこに行けばいいというの? 下手なことをしたら国と国の問題に発展してしまうわ」
「これから行くフレイア教会の総本山はどうだろう。リリアーヌは聖女なんだし……味方になってくれないかな」
ジェレミーと決別して、お互い別の道へ。
リリアーヌは目からウロコが取れたように、ハッとした。
「新教皇は、教義に背いているジェレミーとあの
「これはチャンスだろ。前の教皇は大国への日和見主義だったけど、新教皇はどうだろう。機会を作って話してみる価値はある。力になってくれるかも」
「……そうね、考えてみる。離婚は教義上だめだけど、何か方法があるかも――」
「ジェレミーにはあの寵姫がいて、リリィは王宮に帰っても辛い思いをする。これまで聖女としてリリィが尽くして来たのに、蔑ろにするなら、いっそのこと俺が――リリィは、絶対に幸せになる権利があるんだ」
「……ありがとう、ニコラ」
リリアーヌは、どこか寂しそうに微笑んだ。
「でも、祖国を追われて後ろ盾のない私たちを、受け入れてくれたのよ。王国とジェレミーには感謝しなきゃ」
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