第33話 抗う力




 時間は少し戻り、俺と悠希が秋月から逃げるために曲がり角を右折左折しながら走っていた頃。当の彼女は目標である俺達を見失い、しばらく勘だけで走っていた。


「ハァ、ハァ、ハァ……はぁぁ」


 しかし次第に息が上がっていき、いよいよ足が止まる。周囲を見渡すと、そこには河川敷が広がっていた。

 高宮町の端には大きな川が流れている。秋月が走った末に辿り着いたのは、その川の淵部分に作られた沿道だった。人通りはそこまで多くなく、犬の散歩やランニングをしている人をたまに見かける程度だ。


「はぁぁ、見失った!」

《残念ねぇ》


 額に浮き出た汗を拭い、秋月は手を膝に着きながら息を整える。


《……あらぁ?》


 頬に手を当てながら、あらあらと頭を振るミーの耳がピクリと動く。そして何かに反応するように、河川敷の上流の方へ目を向けた。


「どうかした、ミー?」

《んぅぅ……何かしらぁ、イヤぁな魔力を感じるわぁ》


 ミーはニッコリした顔に影を浮かせて身構えた。


「えっ、もしかしてハデス?」

《いいえぇ、彼らのような冷たくて暗い感じじゃないわぁ。もっと別の気配がするのぉ、言葉にするなら刺々しくて危険な感じねぇ》

「そう……よく分からないけど、悪い気配がするってわけね」


 抽象的な話にあまり理解ができなかった秋月だが、普段ゆったりとして穏和なミーが珍しく引き締まった態度をしていることに、事の異様さを察した。


「行ってみましょう」

《えぇ》





 ***




 時間はまた更に戻る。場所は高宮町を流れる川を渡れるように伸びた車道の高架下。

 昼でも影が差し、人通りのほとんどないその場所では、今、近辺にある高校の制服を着た少年たちが高笑いしていた。


「ギャハハ!」

「うぇーい!」

「ほらほら、次々ィ!」

「…………うぅ」


 しかし、その中に一人だけ、やけに身なりのボロボロな少年がいた。表情は苦痛で歪み、目の下には涙の跡がある。


「はーい、じゃあ次、ストレートナックルやりまーす!」

「おぉー、やれやれ!」


 ボロボロの少年は両腕を拘束されて無抵抗のまま、周りの少年達から暴行を受けている。他の少年達はその様子をスマートフォンで撮影をしたり大声で笑いながら鑑賞していた。

 

 その光景はおふざけやじゃれ合いを通り越し、もはやただのいじめとリンチだ。普通の人間なら気分の悪くなるような光景だが、この場に人通りは、ほとんどなく止めに入る者は愚か警察に通報するような人もいない。

 いじめている少年達も、それを分かってこの場所を選んでいた。


(痛い、つらい、死にたい、もうイヤだ、なんで俺が、誰か、助けてくれよ……!)


 砂利の上に倒れた少年の思いなど知ろうともせず、周りの柄の悪い少年達はケラケラと笑い続けた。


 そんな車道の高架下で、ふと新たな人影が現れる。

 その人の気配に気がついて、少年の一人が人影へと目を向けた。


「あん、何か用かよアンタ?」

「俺達、仲良く遊んでる最中なんでぇ邪魔しないでくんね?」


 少年たちは悪ぶった態度で人影に脅しをかける。しかし、人影に全く動じた様子はなかった。

 よくよく見ると、人影の正体は身なりの良いスーツを着崩した男だった。見かけは少年たちの父親とほぼ同じくらいだ。

 その男……雪井彰人は沈黙したまま、ゆっくりと少年たちに近づいていく。その変化の乏しい表情には、周りの少年たちの威圧など眼中にないのが見てとれた。


「人間は逆境に立ってこそ成長する。しかし多くの人間は成長の兆しを見せる前に力あるものにその身を押し潰されてしまう」

「はぁ?」

「何言ってんだ、おっさん?」


 雪井はリンチの末、満身創痍になって地に倒れていた少年の前で膝をつき手を伸ばすと、懐に仕舞っていた注射器を取り出して迷うことなく少年の腕に刺した。

 銃のような形をした注射器に入った薬剤は、雪井が引き金を引くと同時に全て少年の身体に注入された。


「だから私はそんな弱き者に抗う力を授けるのだ」

「お、おい、おっさん何してんだ!」


 少年の一人が動揺して声を上げる。どこの誰とも知らない怪しい男がいきなり人に注射を打つ様を見たら、それは当然の反応だろう。

 しかし、そんな少年たちの驚愕した様子も知ったことではないと言ったように、雪井は立ち上がって身を翻すと、そのままどこかへと去っていった。

 時間にして一分も無いあっという間の出来事に、周りの少年達は唖然としていた。


「な、なんだったんだよ、アイツ?」

「し、知らねぇーよ」

「まさか薬の売人とかじゃねぇーよなぁ」

「がああぁぁァァ!」


 少年達が混乱していると、突然その場に絶叫が木霊する。声を上げているのは、先ほどまで倒れていた少年だった。

 頭痛、筋肉痛、吐き気など、少年は身体中を駆け巡る激痛に苦しみ悶えながら、地面の上で身体をよじったり反ったりしていた。

 心臓は強く多く鼓動を続け、体温も普通ではあり得ないほど上昇している。


「お、おい……?」

「なな、なんなんだよ?」

「うがッッ、イッ、あァァァァ!」


 地獄の底から響いてくるような少年の声を聞きながら、周りの少年達は顔を引きつらせ、ただただ呆然として苦しむ少年を見ていた。


 やがて、少年の身体に異変が表れた。

 皮膚がヘドロのような色に変わり、形も奇怪な見た目へと変化する。その形はまるで蜘蛛の細胞が人間に溶け込んだようだ。

 身体の様々な箇所から蜘蛛の足らしき触覚が生えている。口は大きく裂けながら鋭利な牙がむき出しになり、顔面には複眼のような蜘蛛の眼が張り付いている。身体の皮膚も装甲のように全身硬化している。


 雪井の打った“マージセル”が細胞を侵食し、少年を蜘蛛の怪人へと変身させたのだ。


「アァァァァーー!」


 怪人となった少年は立ち上がり、天に向かって雄叫びを上げる。


「うわぁぁ!」

「ば、化け物ォ!」


 周りにいた少年達は皆そろって腰を抜かして悲鳴をあげた。


「ウゥゥッ!」


 怪人は唸り声をあげて、周りの少年達を威嚇する。その低い声は、おおよそ人間の声帯から出る声色ではない。振る舞いも、知性や自我は感じられず意思疎通はできそうもなかった。

 その姿に恐怖しながら、周りの少年たちは逃亡を試みるが、すっかり腰が抜けてしまい地面の砂利を蹴り飛ばすだけに終わる。


「グワぁぁ!」

「ギャァァ!」


 そんな少年たちを怪人は容易く捕まえて次々と殴り飛ばしていった。中には腰を浮かして這いつくばるように逃げようとした少年もいたが、怪人は体内で生成した糸を口から飛ばして、魚を釣る漁師のように少年たちを引き戻しては、次々と暴行を加えていった。


「なにアレ!」


 そんな現場に、突然、少女の声が響く。その声の主は、ミーに導かれてそこに駆け付けた秋月だった。

 襲い掛かっている怪人を見て、彼女は息を呑む。


「あれってハデス……じゃ、ないわよね?」

《えぇ。でも変ねぇ、あの蜘蛛みたいなの、気配は普通の人間と同じだわぁ》

「なに?」


 首を傾げるミーの言葉に、秋月は目を少し見開いた。今までハデスしか相手にしてこなかった彼女にとって、目の前で人を襲っている怪人は、彼女が敵対する初めての“人間”だ。

 しかしそれを自覚しようがしまいが、正義の味方として彼女が取るべき行動はただ一つだ。

 秋月は気持ちを切り替えて、ポケットに入れていた宝玉を取り出す。


「どんなヤツにしろ、放ってはおけないわね……マジックハーツ、エグゼキューション !」


 宝玉から放たれた清らかな黄色い光に包まれ、秋月はキューティ・オータムへと変身するのだった。



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