第6話 ヒーローの一日③






 学生生活を充実させるものって何だろう。


 体育祭や文化祭などのイベントとか、委員会とか、友達とのバカ話とか恋人とのほのぼのした会話とか……この答えは生徒によって様々だろうけど、それらの中でも部活動というのは、わりと上位にあるものだと思う。

 俺も部活に入っている。ヒーローとしての時間もあるため、そんなに熱心に参加してるわけではないが、時間が取れる限りなるべく参加するようにしている。


 部活は美術部。中学の頃はクラスメイトに誘われてバドミントン部に入り、高校一年生と合わせて四年間所属していたけど、ハイドロードとして活動することを機に転部した。

 転部した理由は、異常な身体能力のせいでフェアな勝負ができなくなったからだ。美術部ならそんな心配もないし、休みも取りやすくて都合が良かった。


 ちなみに、運動が大好きな沙織は陸上部だ。その他にも、綾辻さんは料理研究部、秋月は文芸部兼図書委員。後どうでもいいけど、葉山は軽音部だったりする。




 さて、時刻は放課後。ややデンジャラスだった昼休みを過ごし、「バイト先からの電話が長引きましたぁ!」と東山先生を誤魔化して物理の授業に遅れて参加した俺は、そのまま残りの授業を受け、いつも通りの学校生活を過ごした。

 午後の授業とHRも終わり、他のクラスメイトと同じく俺は教室を後にする。沙織や葉山もそれぞれの部活の活動場所へと向かった。


 俺が向かった先は美術室。言わずもがな、美術部の活動場所だ。


「お疲れ様でーす」

「……あっ、お、お疲れさま、です」


 俺が挨拶を言いながら美術室の扉を開けると、中にはすでに人がいた。その人は俺の声にピクッと反応すると、画材を持ったまま律儀にお辞儀をした。

 後輩であるはずの俺にそこまでする必要もないのに、目の前の先輩は毎回今のように頭を下げる。育ちが良いというよりかは、人見知りゆえの行動だ。


 先輩は顔をあげて顔を俺に向ける。けど長い前髪のせいで先輩の目元をはっきり見ることはできない。

 いくら女子生徒が長い髪を許されてるとはいえ、その髪型は校則違反では……と前から思ってるんだけど、不思議と先輩は先生から注意されない。


「……水樹、くん」

「はい?」

「あっ、いや……今日は、来てくれたんだね」

「えぇ、今日はバイトもなかったので」

「そう、なんだ……」

「すみません、副部長なのになかなか顔出せなくて」

「う、ううん。水樹くんは、ちゃんと絵を描いてくれてるし、入部してくれただけで、嬉しい、から……」


 相変わらずのその辺の物音にも負けてしまいそうな小声だ。ハイドロードとしての超人的な聴覚を持ってなきゃ、ボソボソ言ってて何言っているか分からないくらい声量が小さい。


「俺が来てないうちに何かありました」

「あっ、え、えーっと……とくにはなかった、かな……」


 先輩はうつむいて考える仕草をした。顔を下げたせいで、ただでさえ見えにくい眼がすっかり隠れてしまった。


 先輩の名前は、舞鶴まいづる絵里香えりか。美術部部長の3年生だ。

 目元まである前髪と黒縁の眼鏡、若干ボサっとした腰辺りまである後ろ髪……長身で顔立ちは整っているはずなのに、頓着してない容姿とオドオドした振る舞いのせいで、だいぶ損をしている先輩だ。

 面倒見が良く、やさしい性格だから、身なりを整えて普通の話し方さえ身につければ、かなりモテモテなJKになれるだろうなぁ、なんて個人的に思っているが、それを本人に言っても冗談だと思われて、いつもスルーされる。


 舞鶴先輩は美術部の部長。俺は副部長だ。担当顧問は相沢先生という美術の先生がいる。

 今の美術部に、他に部員はいない。去年までは5人いたらしいけど、4人の部員が卒業して、舞鶴先輩だけとなった。そこへ今年はじめに、俺が転部してきたというわけだ。

 俺と先輩しかいないこの部は、廃部寸前の部活動だ。今年中に5人以上部員が確保されなければ、廃部が決定する。

 けど、先輩は今年で卒部するし、俺は美術部にこだわりがあるわけではないため、特にこれといって部員の募集とかはしていない。

 俺にとっては今年限りの部活だ。



 さてさて、美術部についてはここまで。

 今日の部活動開始だ。

 俺と先輩は、絵を描くため道具の準備を始めた。俺は2B鉛筆とスケッチブックのみ。先輩のは油絵セットとイーゼル、キャンバスだ。

 画材の準備を終えると、俺は備品の幾何学立体模型を机においてスケッチブックを開く。開いた先のページには立体と同じ形の絵が半分描かれていた。

 今日の活動はこの絵の続きだ。俺が描いたデッサンだが、形は描けているが陰影がまだ描けていない。

 俺は2B鉛筆を握って、その絵に手を加えていく。


「うーん……」

「……ん、よし」


 俺が作業に取り掛かり始めて少しして、先輩もようやく自分の作品に手を付け始めた。鉛筆で描く俺と違い、油絵は準備が大変なようだ。


「………」

「………」


 そしてしばらく、俺たちは作業を進めた。活動中の俺たちにほとんど会話はない。先輩も俺も、黙々と筆と鉛筆を走らせていく。

 時折、先輩がチラチラと俺を見てくる。入部当初はその視線が気になり、何度も「どうしましたか?」とか「何かありましたか?」と訊いていたが、いつも「なッ、ななな、何でもない、ですぅ!」としか返してこないため、だんだんと訊かなくなっていった。

 この先輩の行動……最初は人見知りからくる挙動なのかなんて思っていたが、どうやら後輩である俺に気を使ってくれているらしい。前に絵の描き方について訊ねたら、嬉しそうに口元を歪めて答えてくれた。

 それ以来、何か分からないことがあると先輩に訊いてみたりしているのだが、そうそう訊きたい事もないので、普段は何事もないようにして過ごすことの方が多い。


 今日も刻々と時間が過ぎていく。

 気がつけば、外は雨空に変わって雨粒が落ちる音が響いていた。




 ***




 今日も絵を描いている内に、いつの間にか下校時間になった。

 下校時間を過ぎてまで部活をしていると、生徒指導の先生がうるさいので、俺と先輩は急いで画材を片付ける。もちろん片付けも準備と同様、俺の方が早く終わる。

 はやく片付け終わった分、俺は美術室の窓の施錠を確認した。


「先輩、戸締り終わりました」

「あっ、ありがとう。あ、あとは私がやっておくから、先に帰っていいよ……」

「はい、ありがとうございます。じゃあ、お疲れ様でしたー!」


 いつも通りのやり取りを終え、俺は美術室を後にした。




 昇降口で靴を履き替え、俺は空を見上げた。

 空は鼠色の雲に覆われ、周りの地面にはたくさん雨粒が跳ねている。朝は綺麗に晴れていたのに、今の空には、そんな様子は欠片も残っていない。


「うわぁぁ、思ったよりも降ってるなぁ」


 そういえば朝、父さんが夕方に雨が降るって言っていたような……。

 寝ぼけてて、いままですっかり忘れてた。

 この雨の中、傘なしで帰ろうものなら、水につかったようにずぶ濡れになることは不可避だろう。


「……まぁ、いっか」


 普通なら購買で傘を買ったり学生鞄を雨よけにするところだが、俺に限っては濡れることを気にする必要はない。

 俺は小走りで雨の中を下校する。けどその時、俺の身体はずぶ濡れになるどころか雨粒ひとつ制服に当たることはなかった。俺は雨粒の水を避けるように操作することで、傘を差さなくてもまったく濡れないでいられるのだ。

 どんな大雨でも濡れないでいられるのは、とても便利だが、注意するべきことがある。それは、決して長時間その場にいないこと。もし雨の中誰かといれば、濡れない身体を見て普通じゃないのがバレてしまう。

 まぁ、そんな時は水を操って服と髪の毛を濡らせばなんとかなるんだけど……。


「あっ、優人!」

「ん?」


 特に息も切らさずに走って帰っていると、突然、誰かに呼び止められた。

 振り返ると、そこにはシアン色の傘を差した沙織がいた。


「あぁ、沙織」


 俺は沙織と向かい合うと直前に、自分の制服を濡らし、髪の毛を湿らせ、毛先に水滴を垂らせた。


「なにぃ、傘忘れちゃったの?」

「ま、まぁ、御覧の通り……」

「まったく……夕方の天気は降水確率80%だって、朝テレビで言ってたのに。見なかったの?」


 そういって沙織は、そばまで来て俺を自分の傘に入れてくれた。

 葉山や秋月あたりに見られたら相合傘だなんだとからかわれそうだが、いまさら沙織と相合傘をしたところで恥ずかしがることでもない……。


 ……すみません、嘘です。けっこう恥ずかしいです。

 わりといつもと違う近い距離に、胸がドキドキします。


「もう、折りたたみ傘くらい持ち歩きなよ。風邪ひくでしょ!」

「はいはい、ごめんなさいよ」

「適当に返事するなぁ!」


 沙織は頬を膨らませ細くした眼で俺を睨みつける。身長は俺の方が高く、沙織が見上げる形となっているため、あまりプレッシャーはない。俺は口を閉じ、沙織と眼を合わせないことでその場をやり過ごした。

 やがて沙織が根負けして、「まったく……」と大きなため息をこぼした。


「それで、優人は部活の方は最近どう?」

「ん? 別に、どうって訊かれてもなぁ……」

「ピカソみたいなの描けるようになったりした?」

「なってねぇーよ……。まぁ普通かなぁ」


 ハデスやノーライフが現れる日々に比べたら、たまの部活動なんて、どうというほどのものではない。とりわけ今日なんて昼休みに抜け出して怪人と戦ったりしたせいで、いっそう平凡に感じた。


「……ふーん」


 俺の返答に、沙織はなにかイマイチ納得していないような顔をした。


「ねぇ、なんでバドミントン部を辞めて美術部なんて入ったの?」

「それは前にも言っただろ。バイトしたくなったから時間管理の楽な部活に転部したって」

「うん……でも、中学の時はあんなに頑張ってたのに、急に辞めてバイトなんて……なんか、もったいないっていうか……」


 まぁ、不自然に思う気持ちも分かる。

 高校生になってからならまだしも、2年生の4月末って中途半端な時期だったしな。


「そのバイトっていうのも、何のバイトか訊いてもはっきり答えてくれないし……」


 ガーディアンズに所属しているなんて言えないし嘘をつくのも面倒なので、俺はハイドロードとしての活動は、すべて“バイト”と言っている。

 そしてそのバイトに関しての話題は、基本話さず、訊かれてもウヤムヤにしている。


 たしか前に沙織達には、警備関係のバイトだって話した。その時は、駐車場で車を誘導する仕事だとか出入口のゲートの開け閉めの仕事だとか、適当なことを言った気がする。


「ねぇ、そのバイトって四年間やってきた部活よりも大事なの?」

「……あぁ」


 ふいに俺の頭の中にあるの映像が過る。

 そういえば、“あの日”も、今みたいに冷たい雨が降っていたな……。

 あの日があったから、いま俺は生きていられるし、ハイドロードをやっている。間違いなくあの出来事が、俺にとっての分岐点だった。


「そっか……」


 横から視線を感じる。目を移すると、観察するような眼で俺を見上げていた。


「優人って、今年になってなんか変わったよね」

「……そうか?」

「うん」


 妙に確信のある言い方に、顔には出さなかったが思わず身構えてしまった。


「なんか、こう、バカっぽくなくなったっていうか……」

「……ん?」


 えっなに?

 いま遠回しに『昔の俺はバカだった』って言った?


「テストの点数は昔からお前より高かったと思うけど……」

「いや、別にそういう意味じゃなくて……その、うまく言えないけど……子供ぽっさが抜けて、大人っぽくなった気がする。前はもっと無邪気だったのに……」

「………」


 沙織の言っていることには、いくつか心当たりがある。その原因も、おそらく身体を改造されてガーディアンズに所属したことがきっかけだろう。

 流石に人の生き死に関する事件を目の前で見ていると、無意識に日常の振る舞いや考え方も変わってしまってくるのも無理ないだろう。


「意識して何か変えたつもりはないけど……まぁ、もう俺も高校生だし、色々成長したってことで」


 ここはそういうことにしておこう。

 健全な高校生なら反抗期や思春期を通るなりして声変わりなりして、振る舞いのひとつやふたつ変わるものだろうし……。

 てかむしろ沙織みたいに昔と変わらず無邪気で普段のテンションが高いままの方が珍しい。


「……沙織は、あんまり成長してなさそうだけどな」

「えっ?」

「高校生のくせに走り回るのが好きで、いまだにグリンピースが食べられず、ホラー映画を見たら夜眠れなくなる。たまのメイクもしない。身長は伸びたけど体形はあまり変わってないし……あっ!」


 やべっ!


 自分がマズいことを口走ったことに気づき、俺は足を止めた。

 頭上の傘も止まっている。ゆえに、隣を歩く沙織の足も止まったのだろう。しかも隣から凄く穏やかじゃないオーラと視線を感じる。


「……へぇー」

「あっ、い、いや、今のは違ってェ!」


 横を見ると、沙織が怖い顔でこっちを見ていた。その顔は目が瞳の奥に光がない眼で見開かれ、口元は笑う気がないと分かるのに緩んでいる。


「……いま優人、私のこと、“貧乳”って言った?」

「言ってない言ってないッ!」


 いや、間接的に言ったかもしれないけど、そんなつもりは全然なかった。


「ねぇ、ちゃんと私の眼を見て答えて。いま優人は、私の胸を見て小さいっ言った? ねぇ言った? 言ったよね? 正直に言ってみてよ? 怒んないからさ。さぁほら」


 それ、完全に怒るヤツやん……。


「沙織さん、落ち着こうか」

「いやだなぁ、まるで私が落ち着きがないみたいな言い方してぇ……」


 この反応を見て分かるとは思うが、沙織は自身の身体、というか“小さめの胸部”にコンプレックスを持っている。いつからか忘れたが、沙織は自身の胸が小さいと言われたと感じたら、変なスイッチが入って、まるで鬼も泣いて逃げだすんじゃないかと思わせるほどのキャラに豹変する。

 この時の沙織には、ヒーローの俺でも恐怖を覚える。


 俺は後退りして沙織と距離を取ったが、俺が後ろに下がれば下がるほど沙織はじりじりと寄ってくる。


「ねぇ……ゆ、う、と、君!」

「お、おぅ……な、なんか、ごめん!」


 沙織の気持ちが落ち着くまで、俺は平謝りしてその場をやり過ごした。






 このとき、俺は気がつかなかった。

 俺と沙織のことを、背後から見ている存在がいたことを……。






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