閑話「ルーチェ・リーディル」




 ルーチェ・リーディルにとって、王都はあまり縁のない場所だった。

 同じ田舎貴族の友人などは、いつか王都に出てみたい、と話していることを何度も聞いたことはあるが、ルーチェはあまり興味を持てなかった。

 幼いころから彼女の興味は、サミュエル・ラインバッハだけだったから。


 友人とお茶をする際、彼の話をすると「あなたも物好きね」と苦笑されてします。

 子爵家長女のルーチェが、リーディル領よりも田舎の成り上がり貴族と縁を結ぶために政略結婚することに不平不満を抱かず、むしろ男爵家の長男に懸想していることを友人たちは驚くのだ。


 ラインバッハ男爵家は悪政こそ敷いていないが、良くも悪くも領民に興味のない男爵として有名だ。

 また息子たちの扱いに関してや、正室のわがままなどもよく話題にあがる。

 そんな家に嫁ぐことになるルーチェのことを友人たちは案じていたが、あまりにも彼女がその日を夢見ていたので、余計なことを言って彼女の気持ちに水をさすことはしなかった。


 しかし、ルーチェのそんな想いが叶うことはなく、サムがラインバッハ男爵家を出奔し、それを死亡と正式発表とした。


 その後、サムの弟だったマニオンの婚約者になるも、この時点で子爵家と男爵家の関係は悪くなり、話が流れると決まっていた。

 そんな折に、マニオンが暴走した。

 なにを思ったのか、王都で成功している兄からすべてを奪えるなどと勘違いしたのだ。

 さらに、その過程で魔剣を手に入れて暴走。

 リーディル子爵領を荒らし、ルーチェたちの命まで狙った。

 命がけで逃げ出し、王家に保護され、サムに再会した。

 彼はルーチェのことを覚えていなかった。

 そのことに憤りを覚え、きつく当たったりもした。


 そして、サムの手でマニオンが倒された。

 サムと別れの挨拶を交わし、ルーチェは子爵領に戻った。

 父と家族と一緒に、領地の復興と、被害者のために出来る限りのことをした。

 あっと言う間の日々だった。

 ありがたいことに、王家、イグナーツ公爵家、ウォーカー伯爵家から支援があったので、復興も早かったのだ。


 領地がひと段落すると、今度は自分の心の整理の番だった。

 何日も泣き、サムの名を呼び、マニオンを呪った。

 毎日、目を腫らすほど泣いても、サムへの思いは消えることはなかった。

 かつて、一度優しく笑顔を向けられただけだというのに、人の気持ちとは不思議だ。


 父はルーチェを見かねたのか、知らぬ間に王都で行儀見習いとして働けるよう手配していた。

 おそらく、なにかをしていたほうが気が紛れると思ったのだろう。

 同時に、行儀見習いとして伺った貴族の屋敷で、見初められて側室か愛人になることができれば、という考えもあったと思う。


 ルーチェには非がないのだが、一度はマニオン・ラインバッハの婚約者だった過去は変えられない。

 すでに男爵家は存在しないし、マニオンもいない。

 だが、婚約者だった事実は消えないのだ。

 実際、マニオンとなにかあったわけではない。言葉だって最低限しかかわしていない。当たり前だ。ルーチェにとってマニオンはサムを奪った憎い人間だったからだ。

 しかし、世間にはルーチェをよく思わない者もいる。

 心ない言葉が、彼女の知らないところで口にされているのも、薄々だが知っていた。


 リーディル家がラインバッハ家のせいで悪評になるのも、ルーチェが今のままであるのも好ましくない。

 兄弟の未来にも影響ができる可能性があったからだ。

 ルーチェは王都行きを承諾した。

 あわよくば、サムと縁が――などという淡い期待もあった。


 家族に見送られ、王都に向かったルーチェは大きく驚くこととなる。

 なんせ、自分が行儀見習いとして働く場所が王宮だったからだ。

 さらにルーチェを驚かせたのが、表舞台に現れなくなった王太后に呼び出されたことだ。


 緊張のあまり硬直してしまったルーチェに、王太后は優しく微笑んで顔を上げるように言った。


「――あなたが、かつてサムと婚約していたルーチェ・リーディルですね」

「…………はい」


 嘘ではない。

 幼い頃ではあるが、確かにルーチェはサムの婚約者だったのだ。


「運命というものは予想できないことが待っているものです。私もあなたと同じように、想像していないことがおきました」


 王太后は、跪くルーチェを立たせると、椅子に座らせ、自らお茶を入れてくれた。


「出奔していた息子が冒険者として亡くなりました。冒険者として人を守った上での死だったようですが、母として生きていて欲しかった。息子を失い、気落ちし、部屋に引きこもるだけの日々でしたが、そんな私に一筋の光が差し込みました。それが、サミュエル・シャイトでした」

「……サム様」

「すでに一部の貴族たちは知っているようですので、あなたにも打ち明けましょう。サムは、我が息子ロイグ・アイル・スカイの息子です」


 告げられた言葉に絶句する。

 しかし、同時に納得した。

 サムはラインバッハ家の人間とは似ても似つかなかったからだ。


「失礼ながら、そのことをわたくしにお話する意味がわかりかねます」

「あなたはまだサムを愛しているのでしょう」

「はい」

「だからです」

「え?」

「サムには支えが必要です。まだ十四歳でありながら、背負わなくてもいい重荷を背負っています。リーゼたちが支えられていないというわけではありません。ですが、サムを幼い頃から愛したあなただからできることもあると思うのです」


 ルーチェは震えた。


「わ、わたくしが、サム様のお側に?」


 王太后は静かに頷いた。


「今、サムに取り入ろうとする人間が多くいます。利用しようと企む者もいます。サムの血を欲している者も。私は孫に幸せになってほしい。ならば、彼を心から愛する人たちに、と思うのです」

「わたくしが……よろしいのですか?」

「もちろんです。まず、王宮でしっかり働きなさい。サムと会う機会もつくりますので、あとはあなたの頑張り次第です」

「――はい! わたくし、頑張ります!」


 こうして、ルーチェはサムの側にいられるよう努力することとなる。

 そして、


「そうではない、ルーチェ! その程度のこともできずに、王家のテクを取得できると思っておるのか!」

「も、申し訳ございません!」


 現在、ルーチェは、第二王妃コーデリアのもとで王家のテクを学んでいた。

 なぜかバナナを握りしめて。


「いいか、お前は王家のテクを取得することを許された。それはつまり、王族であるサミュエル・シャイトの妻になるからだ。だというのに、この体たらく!」


 やはりなぜかバナナを握りしめたコーデリアが熱血指導をしていた。


「王太后様からお前の面倒を見ろと言われた以上、私がよしと言うまで合格点は出さぬ! いいか! 王家のテクを習得し、いや、王家のテクを極め、自らの技術に昇華し、ステラたちから奪ってやるくらいの気概を見せろ!」

「――はい! コーデリア様!」

「馬鹿者! 先生と呼べ!」

「はい、先生!」


 こうして、ルーチェは厳しいコーデリアのもと、サムにふさわしい女性になるため今日も努力するのだった。



 サムとルーチェが、新しい関係を築くまで――もう少し。




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