閑話「老執事の秘密です」①




 デリック・モリソンの一日は早い。

 主人サミュエル・シャイトが不在の屋敷の管理を任された彼は、起床し、身支度を整えると、まずお香を片手に屋敷の隅々を見て回る。

 管理こそされていたが、長年住人がいなかった屋敷の中は、どこか陰気さを覚えてしまう。そのため、毎日不快にならない程度の香を焚くことで雰囲気を和らげていた。

 いつ来客があってもよいし、主人が現れる可能性もあるので、手を抜くことはしない。

 屋敷の中を見回りながら、気になる部分を見つけては、あとで対処するのだ。


 また、貴族の、それも王弟の屋敷となると、見取り図には書かれていない隠し部屋や通路がある場合があるので、それらを探すのもデリックの役目だ。

 すでに隠し部屋をいくつか見つけてあるが、ほぼ使用された形跡はなかった。

 屋敷の前の主人であり、サムの実父でもある王弟ロイグ・アイル・スカイは、王家を飛び出し冒険者として活躍していたので、この屋敷に暮らしていた時間も短かったと聞いている。


「――それにしても、サム坊っちゃまがロイグ様の御子息だったとは。人生というのはなにが起きるかわからないものですね」


 デリックも、まさかサムの母メラニーが、冒険者となった王弟ロイグと恋に落ち、サムを身篭っていたとは気づかなかった。

 そんなメラニーも、一度は亡くなったと思われていたが、存命であり、現在はティーリング子爵夫人として優しい夫と可愛らしい娘に囲まれて幸せそうだ。

 かつての同僚として、これほど嬉しいことはない。


「何が起きるかわからないというのは、私自身も含めてですね」


 一通り見回りを終えたデリックは、同じく屋敷で生活する妻と息子、そして同僚たちと食事をするために踵を返す。

 この屋敷に住んでいるのは、デリックと、彼の妻子、そして以前からの付き合いであるダフネ・ロマック。他にも、王都で新たに雇った数名のメイド、庭師、料理人がいる。

 一部の使用人は王都にある自宅から通っているが、他の面々はこの屋敷で生活をしていた。

 サムはよくも悪くも貴族らしくなく、使用人たちに専用の部屋を与えた。それも、使用人用に用意された小さな部屋ではなく、空き部屋を好きに使えと言ったのだ。

 さらに、家族がいるのなら一緒にこの屋敷で生活していいとまで。

 これには全員が驚いた。

 さらに、衣食住の保証はもちろん、休憩時間に飲むお茶や菓子をはじめ、使用人たちのためにとこれでもかと用意してくれる。

 挙げ句の果てに、給金は一般的な使用人の倍なのだ。

 募集をかけたとき、応募が多かったのは、おそらく待遇がいいからだろう。


 しかも、使用人やその家族が病気や怪我をした場合、当たり前のように医者を手配してくれる。もちろん、使用人に金銭面の負担はない。

 他にも、子供がいる使用人は、サムのコネを使って学校に通えるし、もちろんその費用もサム持ちだ。

 食事だって、一般的な民が口にする以上の料理であるし、使っている寝具などもそうだ。

 風呂も毎日、大浴場を使うことができるのも評判がいい。

 これで主人のサムが、ウォーカー伯爵家で生活をしているのだから、仕事も屋敷を綺麗に維持するだけという楽な部類だ。さらに、週に二回の休みが義務付けられ、病気や怪我でも休むことができ、さらに有休という私情で休みをもらってもその日の給料が発生するという理解できない制度まで入れてしまった。

 サム曰く、「やっぱりホワイトな職場が理想的だからね」と言うが、デリックにはよく理解できなかった。

 ただ、サムが使用人を家族のように扱ってくれる。それが、ありがたかった。


 おかげで使用人たちのサムへの忠誠心は高い。

 リーゼロッテが出産をした後に、こちらの屋敷に移り住むと聞いているが、その日を待ち遠しくしているのだ。


「あなた、待っていましたわ。さあ、朝食にしましょう」

「待たせてしまって、すまないね」


 デリックは妻と子と同僚たちと一緒に食事をとる。

 基本的に、デリックたちの食事は料理人たちが試行錯誤した料理をいただくことになる。

 使用人たちの評判がよければ、サムたちに出すことになる。

 他にも、出産を終えてからいらっしゃるリーゼのために栄養のある食事を考えるなど、料理人たちは忙しかった。


「そういえばエヴァンジェリン様はどうしていますか?」

「女神様なら神殿に出勤なされました。朝食は向こうでいただくそうです」

「そうでしたか。繰り返し言いますが、いずれサミュエル様の奥様になられる方ですので、くれぐれも失礼のないように」

「はい!」


 食事をしながら連絡事項と、使用人たちとのコミュニケーションも欠かさない。

 多くの使用人が集まるが、やはりサムが食堂を使っていいと言ってくれたので、遠慮なく使わせてもらっている。

 屋敷のほぼ一角が、使用人用になってしまっているが、サムに報告しても笑って「遠慮しないでもっと使って」と言うだけだった。


 よい主人に出会えて良かったとデリックは思う。

 妻も一緒に働き、息子は料理人になるため修行中だ。

 ラインバッハ男爵領にいた頃とは比べ物にならないよい環境に感謝が尽きない。


(あのぼっちゃまが、たった数年でここまで出世なされるとは、感慨深いですね)


 かつては、母がおらず、父と後妻から虐げられ、気が弱かったサムが、魔法の才能とスキルを開花させて今では宮廷魔法使いだ。

 よき導きをしてくれたウルリーケ・シャイト・ウォーカー伯爵令嬢には、感謝してもしきれない。

 サムに家族として紹介してもらった際に、心からお礼を告げたが、やはりサムの師匠と言うべきか謙虚な方だった。

 彼女は遺してしまうサムと家族の身を案じており、デリックに頼むと頭を下げてくれた。

 その時約束したのだ。


 ――生涯、サムと彼の家族に尽くす、と。


 引退などしない。

 自分のことを家族だと慕ってくれるサムのために、全力で尽くすのだ。


「ご馳走様でした。私は少し気になる箇所があったので、その対応をしてきます。各自、今日も頑張ってください」


 食事を終えたデリックは、妻に淹れてもらったお茶で一息つくと、再び仕事に戻っていく。

 いくつかある隠し部屋の中を整理するのも執事の役目だ。

 他にも、地下通路のようなものがあるらしいのだが、見つけられずにいるのでそれも気になっている。

 どうやらこの屋敷を建築した人間は、癖のある人物のようだ。

 デリックが、隠し部屋のひとつに入ると、そこには人影あった。


「――っ、どなたですか!?」


 身構えるデリックに、懐かしい声が届いた。


「やあ、久しぶりですね。デリック・モリソン殿」

「あなたは……魔王遠藤友也様」

「うん。覚えてくれていて良かったよ。ちょっとサムのことで、近しい君に相談したくてね。ほら、ダフネだと暴走するだろう? 冷静な君にね」


 隠し部屋の中にある椅子に腰を下ろし、黒い詰襟の少年は、先日サムが邂逅した魔王遠藤友也だった。

 彼は、まるで友人にでも接するように気さくにデリックに手を振った。


「元魔王の君なら、サムの異変にも気付いていると思ってね。相談させてくれないかな?」




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