29「ナンシーのその後です」②
「お、王宮ですって? わ、私になんの用なの!?」
いきなり王宮から遣いがくる理由がわからず、ナンシーは困惑した。
もしかすると、王女に無礼を働いたことで罰を受けるのかもしれないと身構えそうになる。
「レイチェル・アイル・スカイ王女殿下とデライト・シナトラ宮廷魔法使い様のご結婚が決まりました」
「――は?」
逃げ出そうなどを考えるよりも早く、思考が停止した。
唖然とするナンシーに、男は笑顔を崩すことなく淡々と続ける。
「レイチェル様から、改めて伝言をお預かりしています。――二度と、顔を見せないように、と」
「わ、私はデライト様の」
「はい、存じています。元シナトラ夫人ですね」
「そうよ! そして、これからも! レイチェル様だって、側室くらいいてもいいでしょう!」
「いいえ、レイチェル様は望んではいません」
「そんな! デライト様は伯爵よ! 側室がいたっていいじゃない!」
自分が嫁いでいたときは、絶対に側室など認めなかったナンシーが都合のいい事を言う。
デライト自身が、側室を迎えようとしたことはなかったが、何よりもナンシーが絶対駄目だと口をすっぱく言っていたのだ。
そんなナンシーが、自分がデライトの側室になりたいと願うのだから、質の悪い冗談のようだ。
「誤解なさらないように。レイチェル様はデライト様が側室や愛人を囲っても気になさりません」
「じゃあ」
「あなたを拒絶しているのです」
「そ、そんな」
絶句するナンシーが、その場に座り込む。
確かに、王女に失礼な態度をとってしまったが、こうも拒絶されるとは思っていなかった。
これでは計画がすべて駄目になってしまう、と頭を抱えそうになる。
そんなナンシーの前に、重みのある皮袋が置かれた。
「な、なによ」
「こちらに金貨が入っています」
「――金貨ですって!?」
ナンシーが皮袋に飛びつき、中身を確認する。
青年の言葉通り、金貨が入っていた。しかも、大量に、だ。
これだけあれば、数年は遊んで暮らせるだろう。
「あなたはお金が欲しくてデライト様に復縁を願おうとしました。ならば、お金を差し上げましょう。その代わりに、王都から出て行ってもらいます」
「そ、そんな勝手なことが!」
「もちろん、あなたのお心がお金で買えるとは思っていません。どうするかは、あなた次第です」
「も、もし、お金をもらって、王都から出ていかなかったら?」
あまりにも図々しいナンシーの言葉に、青年は変わらず淡々と応えた。
「ご自由にどうぞ。王家を敵に回すご覚悟があるのであれば、私は止めません。しかし、あなたはもちろん、お子様がどうなるか……私には見当もつきませんが」
「じょ、冗談よ! わ、わかったわ、王都から出ていく! お金さえもらえれば、あんな冴えない魔法だけの男になんて用はないわ!」
「ご英断に感謝します。我々も、民の命を散らしたいわけではありません。なによりも、王家に、スカイ王国に尽くしてくださるデライト様の元とはいえ奥様を亡き者にしたくはないのです」
「……そ、そう」
ナンシーは王都から出ていく選択をした事に安堵した。
王家を敵に回してまでデライトと復縁したいわけではない。そんなことになれば、可愛い息子の未来が確実に潰れてしまう。それだけは避けたかった。
「もちろん、お金だけお渡しして出て行けとは言いません」
「どう言うこと?」
「ウォーカー伯爵家の領地に、小さいですが親子ふたりで暮らすには十分な家を用意させていただきました」
「も、もしかして、住まいをくれるの?」
大金と住まいをもらえると聞き、思わずナンシーが聞き返す。青年は「もちろんです」と笑みを浮かべたまま頷いた。
ウォーカー伯爵領は、税も安く、仕事も多い。ワインの生産に力を入れていることもあり、農家仕事ばかりだが、給金もよく人気の領地だ。
そんな場所に、住まいを用意してもらえるのは好条件だった。少なくとも、王女の顔色を伺いながら生きるよりいい。
「デライト様とご縁のあるウォーカー伯爵様のご好意で、お子様を領地の学校に通わせることもできます。あなたにも仕事を用意しました。少なくとも、これで今以上の暮らしを続けることができます。いかがでしょうか?」
「行くわ! そこまでしてくれるなら、王都にも、旦那様にも未練はないわ!」
ナンシーは目の前に掲げられた提案に飛びついた。
貴族の妻という立場も理想的だが、王女と後継問題で戦うとなると勝てる見込みはない。
もしかすると、息子が成長したら亡き者にされる可能性があるし、今よりも惨めな生活を強いられるかもしれない。
ならば、今よりもいい生活ができるならそれでいい。
とにかく今は、この惨めな生活から抜け出したかった。
「――あなたたちの良い暮らしを、心からお祈りしています」
ナンシーと息子は、その後、ウォーカー伯爵家の領地にある、小さな町で生活を始めた。
葡萄栽培とワインが有名で、賑やかで、住人たちも親切な良い町だった。
商家の嫁となり、贅沢を覚えたナンシーだったが、その町に意外と馴染み、息子と一緒に健やかに生活をした。
大金を持っていたせいで、少々金遣いの荒さは残ったが、よい母として息子と幸せだった。
しかし、数年後――流行病であっけなく亡くなってしまった。
その後、彼女の息子は住人たちに支えられて立派な青年となる。
町長の娘と恋に落ち、堅実に関係を進め、結婚し、三人の子供の父親となるのだった。
彼は結婚越し、町長補佐として、町のために働く、誠実な人であり、多くの人に慕われる人生を送るのだった。
◆
ナンシーが王都を出たと報告をもらったレイチェルは、王宮の自室から窓の外を眺めて冷たく微笑んだ。
「わたくしも鬼ではありませんわ。デライト様も、フランチェスカも、口ではああ言いましたが、あなたを案じていたはずです。ならば手を差し伸べましょう。あなたのおかげで、わたくしはデライト様を独り占めできるのですから、このくらいのお礼はして差し上げますわ」
レイチェルとナンシーの関係は、噂話が大好きな貴族たちによってあっという間に広がった。
最終的に、ナンシーが王都を追放された、いや、殺された、など憶測なども飛び交いもした。
そのおかげで、デライトに娘を嫁がせ甘い汁を吸おうと考える人間たちは、レイチェルを敵に回したくないと、手を引いた。
レイチェルを押し除けて正室にという強気な人間や、側室となりレイチェルを操ろうと考えていた者もいたようだが、これらは母コーデリアが潰してくれた。
「ナンシーとその息子は監視させましょう。万が一、欲を出されても困りますから、そうですわね、息子のほうには数年したら適当に女性を当てがい、幸せになってもらいましょう。今の生活が大事、そう思わせておけば、欲など抱くことはないでしょう」
ナンシーも彼女の息子も、レイチェルにはどうでもいい。正直、亡き者にしてしまったほうが楽だと思うくらいだった。
ただ、早々に消してしまえば、デライトたちは気づくだろうし、悲しむに違いない。ならば、幸せの牢獄に閉じ込めて生涯を送ってもらおう。
レイチェルは、ゆっくりと時間をかけて、敵を封じ込める選択をしたのだった。
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