8「ギュンターの企みです」




 ジム・ロバートは、宮廷魔法使いギュンター・イグナーツに呼ばれ、イグナーツ公爵家に足を運んでいた。

 応接室に通されたジムは緊張しながら、待っていたギュンターと向かい合う。

 ジムも伯爵家の跡取りであるが、公爵家の次期当主と挨拶を短く交わす程度ならまだしも、こうしてふたりきりで面と向かい合うのは初めての経験だった。


「さて、ジム・ロバート君。すまないね、今日はわざわざ屋敷にまで足を運んでもらって。本来なら、こちらが出向くべきだったのだが、なかなか僕は多忙でね」

「いえ、ギュンター・イグナーツ宮廷魔法使い様とお会いできて光栄です」

「そう硬くならずともいいよ。僕のことはギュンターと呼んでくれたまえ」

「は、はい、ギュンター様」


 まず緊張を解きほぐそうとしたギュンターだったが、声をかけるたびにジムの態度が硬くなってしまうことについ苦笑が漏れた。


「堅苦しくする必要はないんだがね。まあ、そのうち慣れてほしいかな。さて、僕は君のことをジムと呼ばせてもらおうかな。いいかい?」

「光栄です」

「すまないが、こちらで君のことは調べさせてもらったよ。魔法学校では上位の成績を収める優れた魔法使いだと聞いている。サムの弟を名乗る不届きものとの戦いも、相手が魔剣を持っているという事前情報さえあれば遅れを取らなかっただろう。まあ、マニオンとかいう小僧は、ただの素人らしかったので、当然といえば当然だがね。だが、襲撃者に立ち向かい、ウォーカー伯爵家のみんなを守ろうとした心意気を僕は高く評価しているよ」

「ありがとうございます」


 口にはしなかったが、ジムがかつてのアリシアの婚約者候補であり、失恋してしまったこともギュンターは知っていた。

 そして、息子が短慮な行動に走らないように、両親や友人が協力して、ジムを捕縛し部屋に閉じ込めたことも。

 実にいい判断だと思う。失恋ゆえ普段とは違う行動をしてしまうのは思春期ならしかたがないことだが、それを理由にサムに突撃していたらいろいろまずかった。

 サムなら軽くあしらっただろうが、意外に沸点の低いところがあるあの少年が、もし大切にしている婚約者たちやウォーカー伯爵家の誰かを悪く言われていたら、大変なことになっていただろう。

 ジムは両親と友人に心から感謝すべきだろう。


「いや、お礼を言いたいのはこちらの方だよ。君にはとても感謝している。アリシア、リーゼ、そしてグレイスおばさまは僕にとってかけがえのない家族だ。守ってくれてありがとう」

「いえ、僕とっても大切な方達ですので、お礼なんて」


 謙遜ではなく、心からの言葉を述べているジムに、ギュンターは好感を抱いた。

 なので、当初の予定通り本題に入る。


「僕は君のことを評価した。君が、魔法学校を卒業したら、こちらに迎えたいと思っている」

「――感謝します。ぜひ、よろしくお願いします」

「色良い返事をもらえてほっとしているよ。しばらくは、リーゼたちの護衛を兼ねてもらう。花蓮殿や水樹殿がいるが、先日のようにふたりの用事が重なったところを襲撃されてしまったなんてことがまた起きないとは限らいのでね。守りの手数は多いほうがいい」

「そう、ですね。仰りたいことはわかります」

「理解してくれて嬉しいよ。ありがとう」


 花蓮と水樹は、先日の襲撃のタイミングで自分たちがいなかったことを悔いていた。

 当初は、用事が重なったものの、どちらかが予定をずらすことを提案していたのだが、他ならぬリーゼやグレイスたちに「あなたたちはサムの婚約者であって護衛ではない」と言われたことで用事を予定通りに消化した。

 だが、結果的に、タイミング悪くふたりのいない時に襲撃が起きてしまった。幸い、ジムがいたのでリーゼが剣をとって戦うという事態は回避されたが、それでも同じ婚約者であり、友人でもある花蓮と水樹は自分たちを責めた。

 その後、ふたりは話し合い、婚約者であるが、ウォーカー伯爵家の護衛としても務めようと決めたらしい。よほど今回の件が堪えたようだ。

 そんなふたりに、「そこまでする必要はない」と誰もが言うのだが、頑なに聞き入れようとはしなかった。


「家族の中に序列を作るつもりはないが、複数人いる妻の中で君の立場はそう高いものではない」

「はい。――え? あの、どういう」

「サムから夜のお呼びがかかるまで時間があるだろうが、そのあたりは我慢してもらおう。無論、僕が先だ。それだけは譲れない。いいね?」

「あ、あの」

「なにかな?」


 なにかがおかしい、とジムが困惑顔でギュンターに問いかける。


「一体、なんの話をしているのでしょうか? サムの妻とは?」

「妻は妻だが?」

「あの、本日は、ギュンター様の部下にしていただけるための面談ではなかったのですか?」

「――なにを言っているんだい? サムの妻になるために、面談をするために君を呼んだに決まっているじゃないか」

「……ふ」

「ふ?」

「ふざけるなぁあああああああああああああああああああああっ!」


 ジムは、立場を忘れ怒声をあげた。


「僕はサムと友人です!」

「わかっているよ。友人という立場となってからサムと徐々に関係を深めていくのだろう。なかなかいい考えだ」

「違います! あのですね、僕はその、もう諦めましたが、アリシアのことを好いていたんですよ!」

「承知している。失恋は辛かったね。だが、君はサムをアリシアにふさわしいと思ったゆえに身を引いた」

「はい」

「そんなサムだからこそ、恋をしてしまった。そうだろう?」

「いいえ!」

「別に責めたりはしないさ。僕も出会いはあまりいいとは言えなかったが、今では夫婦仲睦まじくしている」

「だから違うって言ってるだろ!」

「――まさか、本気で言っているのかい? そんな馬鹿な、僕とはまるで違うじゃないか。てっきり君もサムにのめり込んでいる同志だと思ったからこそ、呼んだのに」

「お前と一緒にするな!」


 ジムはあくまでもサムと友人であり、ギュンターのように愛情を向けたりはしない。

 そもそも、アリシアに振られてすぐに、彼女と結ばれた相手に恋愛感情を抱くはずがない。

 というか、アリシアのことを諦めたが、まだ仄かな思いは残っているのだ。


「ええいっ、ならば、君にもサムのよさを知ってもらおう!」

「友人としていい奴だというくらいわかっています!」

「せっかく僕の味方の奥さんが増えると思ったのに!」

「知るか!」


 そんなやりとりをしていると、


「あらあらギュンター様、またおいたですか?」


 少女の声が突如響き、ギュンターがびくぅっ、と体を跳ねさせた。


「や、やあ、クリー。いい天気だね。散歩をしていたはずでは?」

「ギュンター様がなにかおいたを企んでいるようでしたので、散歩にいくふりをしただけです」

「そ、そんな」

「言っておきますが、ギュンター様は単純です。行動を読むことなどわたくしにとって朝飯前ですわ」


 顔を真っ青にしているギュンターを尻目に、少女がドレスの端を持ってジムに挨拶をする。


「ご挨拶が遅れました。ギュンター様の妻、クリー・イグナーツです」

「あ、はい、ご丁寧に、ジム・ロバートです」

「この度はギュンター様がご迷惑をおかけいたしました。お義父様にもちゃんとご報告しておきますので、ご安心ください」

「いや、別に、その大きな問題にするつもりはありません」


 ジムは、どう見ても年下の少女に圧倒されていた。

 なぜだか冷や汗が止まらない。

 嫌な圧迫感があった。


「この小娘! 誰が僕の妻だ! さりげなくイグナーツと名乗るんじゃない!」

「お義父様、お義母様のご許可は得ています」

「その呼び方もやめてもらおうか!」

「――ギュンター様」


 感情の込められていない少女の声音が響いた。


「は、はひ」

「――お仕置きです」

「いやだぁあああああああああ、助けてくれ、ジム! 僕を連れてここから逃げ出してくれぇええええええええええ!」

「おほほほほ、ジム様、この度は夫が申し訳ございませんでした。ジム様が優れた魔法使いであることはお義父様も重々承知していますので、お義父様からお声がかかると思いますわ」

「あ、はい」


 逃げ出したくても足がすくんで動けないギュンターが助けを求めてくるが、ジムは彼を見ずに、クリーに返事をする。


「これから躾がありますので、本日はこれにて失礼致します。また、改めて謝罪をさせていただきたいと思います」

「い、いえ、大丈夫です。では、その、僕は失礼しますね。えっと、それでは!」


 ジムがそそくさと部屋から出ていく。

 残されてしまったギュンターは絶望を顔に貼り付けて小刻みに振るえている。


「おかしいですわね。当初は、ジム様をご自身の部下にスカウトするという話でしたのに、どうしてサム様の妻になる話になっていたのでしょうか……まあいいでしょう。時間はたっぷりとありますので、それらを含めてじっくりその体に問いかけさせていただきましょう」


 クリーはとても十二歳とは思えない艶やかな笑みを浮かべた。

 ギュンターには、そんな婚約者がなによりも恐ろしかった。

 そして、これから自分の身に起こることを考えるだけで、震えが止まらない。


「おほほほほ、では、お仕置きです」


 その日、ギュンターの悲鳴がイグナーツ公爵家に木霊した。

 しかし、両親も、使用人たちもいつものことか、と気にも留めなかった。

 数日後、ジムの元にイグナーツ公爵から息子が迷惑をかけたことへの謝罪しと、ギュンターの部下に推薦する旨の手紙が届くのだが、あの男の部下になっていいものだろうか、と悩むことになるのだった。



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