62「ルーチェ様とお会いしました」①




 王宮の中庭の噴水の前にサムを待つ人がいる。

 水色のワンピースの上からカーディガンを羽織った、サムよりも少し年上の少女だった。

 サムは彼女に近づき、名前を呼んだ。


「――ルーチェ・リーディル様」

「……サミュエル様」


 振り返った少女の顔を見たのは、先日のマニオンの襲撃の件以来だった。

 以前は、マニオンから逃げてきたこともあり、父親と共に疲弊した顔をしていたが、今では落ち着きを取り戻しているようだ。


 現在、王宮で保護されているリーディル子爵とともに、数日後、子爵領に戻ることを伺っている。

 幸いなことに、子爵の逃げ遅れた家族は無事だった。

 一緒に逃げた妻や、他の娘とも散り散りになっていたそうだが、別の町や領地で保護されており、今は全員王宮にいる。

 マニオンの標的が、かつて婚約者だった少女とその父親だけだったことが幸いしたのだろう。

 結果的に、リーディル子爵家は襲撃こそされたが、死者を出すことはなかった。

 無論、領民には死傷者が多いため、手放しで自分たちの安全を喜ぶことはできない。

 被害者家族には、没収されたラインバッハ家とヨランダの実家の商家の私財から支払われることになっている。

 足りない場合は、子爵家はもちろん、王宮からも援助されるという。

 お金で奪われた家族が戻ってくるわけではないが、それでも被害者家族たちは今後も生きていかなければならない。

 お金は必要なのだ。


「ご無沙汰しています」

「お忙しい中、お会いくださり感謝します。そして、あの忌々しいマニオン・ラインバッハを倒してくださったことを、心から感謝致します」


 腰を折り、深々と頭を下げるルーチェに、サムはどう声をかけていいものかと思う。

 あんな男でも、マニオンは彼女の元婚約者だったのだ。思うことはあるだろう。


「先日は、あなたに失礼な言動を取ってしまいました。お許しいただけるかわかりませんが、申し訳ございませんでした」

「お顔をお上げください。俺はすべきことをしただけです。あなたも辛かったでしょう。かつての婚約者が、あんなことをしたんです」

「望んで婚約者になったわけではありません。わたくしは、あんな男昔から大嫌いでした」

「……そうでしたか」


 顔を上げた少女の瞳には明確な嫌悪と憎しみが宿っていた。


「家同士の関係を深めるために結婚を利用することは珍しいことではありません。わたくしも家のため、領民のために結婚する覚悟をしていたました。ですが、あの男だけは嫌でした」


 はっきりとマニオンを嫌がったルーチェの言葉に、どんな顔をしていいものかと悩む。

 どうやらマニオンは襲撃事件を起こすよりも以前から、ルーチェに嫌われていたようだ。


「あのような怠惰で無能な男では、領地運営をできたとは思いません。現に、短慮な思考でくだらない妄想を広げた挙句、この結末です」

「でしょうね。マニオンは貴族の当主になって、領地を引き継ぐことができるような人間ではないですね」


 カリウスもなにを思い、剣の才能だけで次期当主を決めようとしていたのかいまだに理解ができない。

 領主に求められるのは剣ではない。無論、ときには領地や領民を守るために、剣を振るうこともあるだろうが、まずは領地を運営する才能が必要だ。

 そのためには勉強をし、領地のことを知るなど、多くの努力が必要だ。

 そういう意味では、剣の才能があると怠惰になり、結果的に勉強はおろか、剣まで振るうことができなくなり無能に成り果てたマニオンが次期当主の座を下ろされたのは無理のないことだ。

 彼の性格と思考、そして母親の存在を考えると、最低限の領地運営もできなかっただろう。


「わたくしは、最初あなたと結婚する予定でした」

「そうらしいですね」

「わたくしの本音は、あなたと結婚したかったのです」

「……そうでしたか」


 ルーチェが潤んだ瞳でサムを真っ直ぐ見据える。


「覚えていらっしゃいますか? わたくしたちが初めて会った日のことを……わたくしは、あの日以来、ずっとあなたをお慕いしているのです」



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