61「ハリエット様とお会いしました」②




「私は、愛する人の命を守るために、ラインバッハ男爵家に嫁ぎました。いえ、正確には両親に売られたのです。両親は酒に溺れ亡くなりましたが、悲しくなどありません。私を地獄に叩き落とした張本人なのですから」

「…………」


 サムは、どう言葉をかけていのかわからず、結局沈黙を貫いた。

 彼女の心情は察するにあまりある。

 ラインバッハ男爵に見染められたが最後だったのだろう。

 男爵から渡された金を受け取ってしまった両親のせいと、恋人の身の安全を考えた結果、泣く泣く嫁ぐ以外の選択肢がないハリエットが、なにを思い今まで生きていたのか想像もできない。


「あの男の妻として振る舞うことも、ハリーがあの男の子供だと勘違いされていることも不快でした。毎晩、あの男にこの身を弄ばれるのも、地獄のようでした」

「お腹にお子様がいると聞きましたが?」

「ふふ、ラインバッハ男爵家とは関係ない子です。男爵家に出入りする商人を誘惑し、子供を作ったのです。あの男は、自分の子供ができたと喜んでいましたが……軽蔑なさるでしょうね」

「いえ」

「いいのです。それだけのことをしました。ですが、これが些細な私の復讐なのです」


 暗い目をしたハリエットに、サムは恐怖を覚えた。

 年単位で愛していないどころか、憎んでさえいる相手と生活していたハリエットに執念のようなものを感じる。

 少なくともサムは真似できない。


(女性は怖いな。男にできないことをしてしまう)


 サムは、話題を変えるべく、抱いていた疑問を口にした。


「ハリーの父親のもとには戻らないのですか?」

「――彼は亡くなりました」

「……それは、申し訳ございません」

「私がラインバッハ男爵家に嫁いだせいで、自分を捨てて貴族に嫁いだ女だと勘違いし、釈明も弁明もさせてもらえぬまま、自ら命を絶ってしまったのです」

「お悔やみ申し上げます」

「ありがとうございます。ですが、もう過去のことだと割り切っています。今の私にはハリーがいます。剣の才能があると、騎士様からおっしゃっていただけました。今も、騎士様に剣の手ほどきを受けています」

「それはよかった。ハリーの今後はどうするつもりですか?」


 ハリーにはまったく罪はない。

 顔を知らぬ、血の繋がらない弟がどのような未来を歩むのか案じる。

 少なくとも、マニオンのようにはなってほしくない。


「イグナーツ公爵領の小さな村で生活する提案を受けています。私たちも、貴族にはかかわらず静かに暮らしたいと思っているので、ありがたくお受けします。ですが、ハリーが将来、どうなりたいのか、それはまだ私にもわかりかねます」

「……そうですね。まだ子供ですものね」

「ふふっ、失礼ですが、サミュエル様もまだ未成年ですよ。息子には、あなたのように成功して欲しくはありません。できることなら、私と違う心優しい人と結ばれ、静かで幸せな日々を送ってほしい――そう願うのはわがままでしょうか?」

「いいえ、親として当然かと思います」


 サムは出された紅茶を飲み干した。

 もう会話も終わりだろうと、判断したのだ。

 ハリエットは、ラインバッハを恨んでいた。

 そして、彼女の復讐は思わぬところで達成した。

 もう彼女を縛るものはないだろう。願わくは、心穏やかに暮らしてほしい。


「今後は、親子三人でひっそりと、慎まやかに生きていきたいと思います」

「どうかお元気で」


 サムは椅子から立ち上がると、ハリエットに頭を下げた。

 母メラニーと同じ境遇ゆえ、なにか力になることがあれば、と思ったが、なにもしないことが一番だと思う。

 彼女もサムとは関わりたくないだろう。

 母と同じ境遇ながら、ハリエットは母よりも心が強かった。

 そんな人に、自分の助けは迷惑だろうし、自分のせいで過去を思い出させるのも忍びない。


「なにか困ったことがあれば、いつでもご連絡ください」

「ありがとうございます」


 サムはハリエットにもう一度礼をすると、背を向け部屋から出ようとする。

 すると、


「あの、サミュエル様」

「はい」


 背中に、ハリエットの声がかけられ足を止める。


「――あの男たちを破滅させてくださり、どうもありがとうございました」


 振り返らなかったサムには、ハリエットがどのような顔をしているのかわからなかったが、気にもならなかった。


「どういたしまして」


 サムは一言、そう言い残し、部屋を後にする。

 その足で、中庭に向かう。

 そこには、もうひとりサムとの面会を求める人がいるのだった。



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