50「その頃、雨宮家では」
「父上っ! どうしてサムと決闘だなんてことを!」
雨宮家の道場で、正座し目を瞑る剣聖雨宮蔵人に詰め寄る雨宮水樹の姿があった。
「この数日、僕を部屋に軟禁したかと思ったら、サムと決闘って、なにを考えているのさ!」
水樹は、蔵人の手によって、部屋の外から出ることを禁止されていた。
しかし、使用人が気を利かせたのか、それとも蔵人の行動を理解できなかったのか、サムに決闘を申し込んだことを教えてくれたのだ。
たまらず父の言いつけを破り、問い詰めにきたのだ。
「それに、ことみの姿が見えないのも変だ。ことみをどこにやったのさ!?」
ことみが屋敷からいなくなったことに水樹は気づいていた。
数人の使用人もいなくなっていて、何が起きたのか把握できていない。
水樹の世話役に訪ねても、「どこかで療養すると伺いました」という理解できない内容が返ってきたのだ。
「サムはリーゼの婚約者だし、ことみの魔法の師匠になってくれる人じゃないか。父上だって、喜んでいたのにどうしてなんだい!?」
父親が自分から決闘を申し込んだことなど、初めてのことだった。
少なくとも水樹が生まれてから十六年間そんなことはなかったはずだ。
剣聖という立場を欲した身の程知らずに決闘を申し込まれることはあっても、その逆はなかったのだ。
それだけに父親の行動をいまだに信じられないでいる。
しかも、その決闘を申し込んだ相手が、サムと言うのも水樹を大いに驚かせた。
先日、門下生であり、水樹にとっては友人で、父にとっては娘のように可愛がっていたリーゼロッテ・ウォーカーの婚約者として挨拶に来たばかりの少年と、なぜ決闘することになったのか。
「リーゼから大切な人を奪うつもりなのかい? ことみだって、父上がサムを斬ったと知ったらあとでどれだけショックを受けるか」
「…………」
「父上っ!」
「……水樹。ことみと一緒にこの国を出なさい」
「――な、なにを言ってるんだい?」
「私は、明日サミュエル君を殺します」
ようやく口を開いた父から放たれたのは、言い訳でも、弁明でもなかった。
「だから、どうしてそうなるのかって、僕は聞いているんだよ!」
「リーゼから最愛の人を奪う私はきっと許されないでしょう。それだけではありません。サミュエル君は王女殿下の婚約者でもあり。彼を殺したとあれば、私はただではすみません」
「それがわかっているならっ、どうしてサムと決闘なんて! 今からでも遅くないから、取り消してよ!」
父親がすべてを理解してなお、サムを斬ろうとすることに理解が及ばない。
ただでさえ、サムは宮廷魔法使いであり、スカイ王国最強の魔法使いでもあるのだ。
つまり、蔵人と同じく国王陛下の直属の部下とも言える。
そんなサムを殺してしまえば、なんらかの責任を問われるだろう。
サムがアルバートと王国最強の座をかけて決闘したのとは訳が違う。
王宮が認めた決闘ではなく、私的な決闘だ。
決闘が許されないわけではない、剣聖が理由もなく宮廷魔法使いに決闘を挑んだのが問題なのだ。
しかも、蔵人自身が自覚しているように、サムはステラ王女の婚約者だ。
殺したら大きな問題になるに決まっている。
「ことみは明日戻ってきます」
「どういう意味かな?」
「水樹とことみには迷惑をかけてしまうことを申し訳なく思います。――手紙を用意しました」
「手紙? 手紙ってなにさ?」
「ことみが戻り次第、その手紙を持って、日の国にある私の生家で世話になりなさい」
「ち、父上の故郷で?」
「家を飛び出した身ですが、この手紙を持っていけば受け入れてもらえるでしょう。水樹の剣の技量ならば、むしろ歓迎されるはずです。ことみに関しても、将来有望な魔法使いの才覚があるのであれば悪く扱われることはありません」
「そうじゃなくて! 父上がサムと戦うのをやめればいいじゃないか!」
いつか父親の故郷に行ってみたいと思っていた水樹だが、こんな形では望んでいない。
それに、父を置いて、逃げるように日の国に渡るのもなにかが違う。
病気ではないとはいえ、体の弱いことみを連れて見知らぬ土地に行くのも躊躇われた。
「それはできません」
「だから、その理由を僕は聞いているんだよ!」
「――水樹、あなたを私の後継者に選ばなかったのは、自由に生きて欲しかったからです」
「……なにを急に、そんなこと」
「私は家を継ぐことが嫌で、剣一本でどこまで強くなれるのか確かめたかった。好き勝手に生きた、この人生は充実していました。よく友人と巡り合え、愛する人と出会い、愛しい娘たちも生まれてくれた。私は、もう思い残すことはありません」
「父上っ!」
まるで最期の別れのような言葉を言う蔵人に、水樹はたまらず声を荒らげる。
水樹が聞きたいのは父がサムと戦う理由であって、こんな言葉ではない。
「残念なのは、あなたたちの花嫁姿を見られなかったことです。サミュエル君、彼とこのような巡り合わせでなければ、ぜひ水樹の結婚相手にしたかった」
水樹は父親の言葉に理解が追いつかない。
それほど悔やむのであれば、なぜサムと戦わなければならないのか。
なぜ、その理由を語ってくれないのか。
「剣聖はユリアン・ミッシェル様が継ぐでしょう」
「……そんな馬鹿なことが。あいつにはその資格も実力もないじゃないか!」
水樹に実力が劣る劣らないの問題ではない。
剣聖候補者の中で、最も実力が低い人間がユリアンだ。
これがまだ別の候補者であれば、理解できずとも無理やり納得することはできる。
だが、ユリアンではそれもできない。
「とはいえ、王宮が彼を認めれば、ですがね。私が指名したところで、王宮が剣聖の資格ありと認めなければ意味がありません。どうなるかは、私も知りませんし、私の義理もそこまでです」
「義理? 義理ってなにさ?」
「もうあの家に、義理などありません」
何度となく問いかける水樹の疑問に、結局最後まで蔵人は答えることはなかった。
「ことみにはなにも知らせないようにしてください。なにも知らないまま、明日、決闘が終わったらあなたがこの国から連れ出すのです」
「嫌だよ!」
「言うことを聞きなさい。――これは命令です」
「――っ」
はじめて父親から「命令」されたことに驚く。
それでも水樹は、その命令を受け入れることができず蔵人に考え直すように言葉を重ねた。
だが、ついに彼は娘の言葉を聞き届けることはなかった。
「精神統一をさせてください。明日に備えたいのです」
「父上」
「下がってください」
蔵人はそう言うと、口を閉じてしまう。
それでも言葉をかけようとした水樹だったが、父の意識がもう自分に向いていないことに気づくと、大きくため息をつき、道場を後にした。
――そして、決闘の日を迎えた。
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