56「変態の妻になれと言われました」①
「近所迷惑よ!」
涙まで流し始めた青年の背中に、苛立った顔をしたエリカが蹴りを入れた。
「ぐへっ」
そのまま前のめりに倒れ、動かなくなる青年。
「えっと、なに、なんなのこれ?」
サムは意味がわからず動揺しっぱなしだ。
いい加減説明してほしいと、再び姉妹に視線を向ける。
「えっとね、サム、この人はね」
「ただの変態だから気にしないで」
言いづらそうにしていたリーゼの言葉を遮って、エリカが一言「変態」と言い切った。
「変態?」
「こいつはね――」
エリカがサムに説明をしようとすると、音もなく青年が立ち上がった。
涙に濡れた彼の瞳がサムを見つめる。
びくっ、とサムが一歩引いた。
「……ウルリーケが亡くなったとふざけた情報が届いたときには驚いたが、僕は信じたくなかった。だが、君を見て確信した。本当にウルリーケは亡くなったんだね」
「はい。残念ですが、ウルは亡くなりました」
「やはりそうか……君からウルリーケの魔力を感じる。どうやら、彼女は探していた後継者を本当に見つけたようだ」
「――っ」
サムは驚いた。
自分の魔力からウルを感じ取るなどできるはずがない。
彼女から力の全てを受け継いだ自分ならいざ知らず、第三者が混ざり合ったふたつの魔力からひとつの魔力を判断できるとは思わなかった。
しかし、ギュンターが嘘をついているようにも見えない。
彼は間違いなく、サムの中にあるウルの魔力を確認している。
「あなたは、一体?」
サムの問いかけに、青年はハンカチを取り出すと目元を拭い、口を開いた。
「失礼。まだ名乗ってもいなかったね。私は、ギュンター・イグナーツ。ウルリーケ・ウォーカーの婚約者だ」
「……う、ウルの婚約者だって!?」
サムは耳を疑った。
いや、ウルも貴族の長女だ。
婚約者くらいいたかもしれない。
だが、その婚約者が目の前の美青年だと知ると、心に嫌な感情が生まれてしまう。
「あのね、サム。ギュンターの婚約者は自称よ」
「――へ?」
「こいつは自称婚約者なのよ」
「えええっ!?」
リーゼに続き、エリカもウルの婚約者を名乗るギュンターを「自称婚約者」と言った。
だが、当のギュンターが反論する。
「違う! 僕は自称婚約者ではない! 本当の婚約者だ!」
「そう言っているのはあんただけじゃない! お姉様だって迷惑してたわよ!」
「彼女は恥ずかしがり屋さんだったんだ!」
「ウル姉様が恥ずかしがり屋なわけがないじゃないの」
呆れる姉妹に、「そんなことはない!」とギュンターが反論を続けた。
「ウルリーケは恥ずかしがり屋だった! その証拠に、いつも僕が笑顔を向けると、顔を逸らせてしまうんだ」
「それって、目も合わせたくなかっただけじゃないの?」
エリカの言葉は辛辣だった。
「エリカ! 未来の兄に向かって!」
「いい加減に現実を見なさいよ。未来もなにも、生きていたってあんたとなんて結婚しなかったでしょうけど、亡くなったんだから絶対に無理よ」
「あ、あの、エリカ様、もうその辺りで」
置いてきぼりだったサムもようやくギュンターが、ウルに恋をしていたことだけはわかった。
婚約者を自称するのは少々言動におかしなところがあるが、ウルの妹たちに頭から可能性がなかったと否定されているのは同じ男としてかわいそうだと思ってしまった。
「あのね、サム。ギュンターとエリカのやり取りで彼がどんな人かわかったと思うけど」
「あ、はい。ウルを好きだったってことですよね」
「それ以上よ」
リーゼが過去を思い出すように盛大にため息をついた。
「昔からギュンターは姉上に入れ込んでいたの。何度も告白して、その度に振られて。その繰り返し。それだけなら可愛げもあったんだけど、ギュンターの言動が過激になってきてね。姉様が出奔する前には、ストーカーになっていたわ」
「……えぇぇぇ」
「家同士の付き合いが深いからって、平気で家に上がってくるし、ここ数年姉上がいないことをいいことに部屋を物色したりもしていたの」
「うわぁ」
「……何度私とエリカが撃退したか。数えるのが面倒になるくらいよ」
エリカがギュンターを「変態」と言った理由がわかった。
(好きな人の部屋を物色とか、普通に引く。ていうか、犯罪じゃない? よく旦那様もこの人を屋敷に出入りさせるなぁ)
「リーゼ、それではサミュエル君が僕を誤解してしまう」
「え? 誤解もなにも全部事実」
「僕は、純粋にウルリーケへの愛が深いだけだ!」
「はぁ。このやりとりも何度したのかわからないの。それで、ギュンターはなにをしに来たんですか? まさか、また姉様の部屋を物色しようとするのならさすがに許しませんよ」
音もなく木刀を構えるリーゼに、ギュンターが両手をあげた。
「誤解しないでくれ、今日はウルリーケのことを確かめたかっただけさ」
「では、御用がお済みならおかえりください」
「いや、まだ僕の用事は終わっていない。サミュエル君にも用あるんだよ」
「サムに?」
「俺に?」
一体どんな用事があるのか、とサムがリーゼと揃って疑問を浮かべた。
「ウルリーケが弟子を取ったことが信じられれなかった。僕はてっきり君がウォーカー伯爵家に取り入るための嘘をついているのだと思っていた。だから、排除も考えた。しかし、違った。君はウルリーケから本当にすべてを受け継いでいる。弟子であることを認めよう」
「別にあんたに認めてもらう必要はないけどね」
「エリカ、今はサミュエル君と話をしているんだ。口を挟まないでくれ」
「はいはい」
ギュンターがサムに近づいてくる。
「君に怒りを抱いた。次に嫉妬した。僕にはできないウルリーケのすべてを継承した君が素直に羨ましい。そして、なによりもウルが亡くなってしまった事実が悲しくてならない。だが――」
ギュンターがサムの両肩に手を置く。
そして、その端正な顔に笑顔を浮かべた。
「君がいる。ウルリーケの全てを受け継いだ、君がここにいる」
「えっと、つまり?」
「サミュエル・シャイト君。――君を僕の妻にしてあげよう」
「ひぃっ!?」
――全身に悪寒が走った。
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