第36話 本物の慈愛の女神の生まれ変わり
何が起きたのか……
目の前の状況は慌ただしく変化し、気づけばフューリズとヴァイスはその場に倒れた状態となっていた。
「父様! この女を拘束してください! この女が王子の心臓を握りつぶしたのです!」
「なに?!」
言われてすぐに動いたのはフェルディナンだった。控えていた侍従に騎士を呼びにいかせ、フューリズを拘束した。
美しかったフューリズの純白のドレスは、ヴァイスの血に染まって赤くなっていた。
それからすぐに医師を手配したが、ヴァイスはすでに息を引き取っていた。
こんな事が起こるとは誰も想定しておらず、暫く茫然とする他無かった。
侍従のルドルフはフェルディナンに今後の動きを確認する。
婚礼の儀ができなくなったからだ。
既に王城の一角に据えられている神殿には招待客は集まっており、もうすぐ始まるであろう婚礼の儀を心待ちにしていたのだ。
フェルディナンは考える。フューリズが慈愛の女神の生まれ変わりであると、公言はせずとも皆が知っていた事だった。今日はそのフューリズがどんな姿なのか、一目見ようと赴いた者も多く、今か今かと待ちわびている状態なのだ。
それがヴァイスが殺され、慈愛の女神の生まれ変わりと思っていた少女は別人だったと、全てを告げる事は得策ではないと思われた。
では慈愛の女神の生まれ変わりは何処にいるのか。
それを知ると他国は躍起になり探しだすだろう。それはダメだ。そうであってはいけない。強国として知られるアッサルム王国の失態を広げてしまうわけにはいかないと考えたのだ。
「ルドルフ……ヴァイスが急死したと告げよ。これは病死だ。突然心臓が止まってしまったと、そう伝えよ。よって式は中止となる事と、手土産に用意した物を持たせて帰って頂くように手配するのだ。贈られた物は後日、詫び状と品と共に送り返す旨告げ、丁重に頭を下げよ」
「……畏まりました」
「此度の事、決して外部に漏れぬよう箝口令を敷け。漏らした者には厳罰を与えると申せ。良いな?」
「はい。心得ております……!」
すぐにルドルフは動き出す。
ヴァイスが亡くなった事が知れ渡り、集まった人々は突然の出来事に驚き、花嫁であるフューリズを憐れに思った。ルドルフはフェルディナンの指示通りに体よく動き、状況が大きく変わり動揺する招待客達を混乱させる事なく自国へと帰路につかせたのだった。
一大イベントとなる筈だったヴァイスとフューリズの婚礼の儀は、ヴァイスの死亡により取り止めとなった。
王城は目まぐるしく変わる状況に、皆が対応に追われていた。
そんな中、フェルディナンは失った息子を悼む暇もなく、今後どうするかを考えていた。
とにかく、まずは慈愛の女神の生まれ変わりが何処にいるのか探し出す事が先決だと思われた。
フェルディナンはブルクハルトとナギラス、リシャルトと共に応接室に移動し、ナギラスに慈愛の女神の生まれ変わりの行方を問いただす。それにはブルクハルトも前のめりになっていた。
「まずは早急に本物の慈愛の女神の生まれ変わりを探し出さねばならぬ。何か手掛かり等は無いのか?」
「気配は……感じます……」
「なに?! ではこの近くにいると言うのか?!」
「恐らく……腕輪が壊れた時、溢れ出す力を感じました」
「それはフューリズのものではなく、か?」
「えぇ……そんな邪悪なものではありません。優しく慈愛に満ちた力です。リシャルトも何か感じませんか?」
「感じます……この王城の何処かにいるかと思われます」
「ここに?! こんなに近くにいたのか?!」
すぐにルドルフを呼び寄せ、王城にいる黒髪と黒い瞳の少女を探し出すように伝える。
そして、それはすぐに見つかった。
フューリズの腕輪が壊れた頃、ゴミの収集に慌ただしく働いていたウルスラの左足首に嵌められた足輪が突然音を立てて割れ、地面に落ちたのだ。
物心ついた頃からあったそれは、呆気なく壊れてウルスラから離れていった。突然の事に思わず立ち竦んでいると、体の中から力が漲る感じがする。
その状態に困惑し、ウルスラは暫くその場から動けずにいた。
何が起こったのか。考えても分からない。けれど、何かが起こったのは分かる。
そしてこうなって初めて、ずっと何かに押さえつけられていたと知る。
この足輪は奴隷だという証拠であり、恐らくエルヴィラが着けた物であると、ウルスラは何となく分かっていた。そして足輪が壊れた瞬間に力が漲るような感じがするのだから、意図的にエルヴィラが力を押さえていたのだと考えられる。
そんなに憎まれていたのか……
その答えにたどり着き、ウルスラは悲しくなった。分かっていたとは言え、実感するとその悲しみは胸を苦しくさせる。
唇をギュッとつぐみ、下を向く。こんな事にいちいち傷ついてちゃいけない。きっとお母さんにも何か理由がある筈だ。そう思い直して前を向く。
なぜ壊れたかは分からないけれど、これはお母さんが自分に残してくれた物である事に変わりはない。そう思って壊れた足輪を拾って手に取り、それを包み込むようにして胸に抱く。
それから深呼吸をして、気を取り直す。
自分がどうなろうと、する事に変わりはない。だからゴミの処理をしなくては。ウルスラはすぐにまた仕事をはじめた。
暫く一人で焼却炉でゴミを燃やしていたら、そこに貴族と思われる人達がやって来た。
「この娘、が……?」
「はい、そうです。慈愛の女神の生まれ変わりはこの人です」
「ロシェル……に……似て……」
「え……あ、あの、どうした、ですか?」
明らかに高位の貴族か王族と思われる出で立ちでいる人物に、ウルスラは驚きを隠せなかった。なぜこんな所にいるのか、自分の前にいるのかさっぱり分からなかったからだ。
狼狽えるウルスラを見て、ブルクハルトは我が娘だと確信した。若かりし頃のロシェルに雰囲気がそっくりだった。
僅かばかりの記憶にあった、ロシェルの鼻と口元が似た赤子は、やはり成長しても同じであって、目元は自分に似ているとブルクハルトは思った。
あの時感じた愛しさが、フューリズには感じられなかった愛しさが胸に湧く。
フューリズを娘だと思うからこそ愛そうと思った。自分を慕う姿は健気だとも思った。しかし、素直に心から愛せていたのかと言われればそうではないと、今なら言えると感じた。こんなに自然に愛しいと思える存在を目にすれば、無理に愛そうとしていたのはなんだったのかと思えた程だったのだ。
フェルディナンもまた、ウルスラを見てこの娘こそが慈愛の女神の生まれ変わりだと思った。
フューリズとは放たれる雰囲気というかオーラというか、そういうものが全く違うのだ。
優しく包み込まれるような、そんな感じがする。ずっと見ていたい、声を聞いていたい、そう感じてしまうのだ。
しかしウルスラの身なりを見て、フェルディナンは表情を強張らせた。
あまり食べられていなかったのか痩せていて、ゴミを取り扱っていたからか服は所々破れているし、見える所には痣や切り傷の痕が至る所にあった。
そんな姿に驚き、そして戸惑った。慈愛の女神の生まれ変わりは幸せを感じなければならない。なのにこんな姿で、こんな所で働かされていたとは、なんたる事かと怒りが湧いてきた。
すぐにここの担当を呼び寄せ、事情を説明させる。ウルスラの上司である担当者は騎士に取り押さえられた状態で連れて来られた。そしてウルスラを見て、髪の色と瞳の色が変わっていることに驚いた。
「お前がこの者にこのような過酷な仕事を強いておったのか?」
「え?! あ、いや、その……きょ、強制では、ありませんっ!」
「見てみよ! 痩せて体の至る所に傷があるではないか! 暴力があったのではないか?!」
「それはございません! 断じてそのような事はっ!」
「もうよい! この者を牢獄にでも入れてしまえ!」
「ええっ! そんなっ!!」
「ちょ、ちょっと待って、ください!」
「もう大丈夫だ。今までご苦労されたようだが、これからはそなたを守るのでな」
「苦労だなんて! 私は好きでこの仕事をしてるです! 誰にも強制されたりしてないです!」
「この仕事を好きで……?」
「だから誰も悪くないです! 皆良くしてくれたです! 捕まえないでください!」
「なんと……ではその傷は……」
「これくらい何ともないです! 大丈夫です! だから誰も処分したりしないで欲しいです!」
「そうなのだな……ではそなたの言うとおりにしよう。その者を離せ」
「は!」
言われて騎士は担当者を解放した。ホッとした表情で担当者はウルスラを見る。それを見て安心したウルスラは微笑んだ。
その微笑みを見て、そこにいた人達は動けなくなる。
その微笑みは柔らかく優しく包み込むようで、自分を癒してくれているように感じ、一瞬で幸せな気持ちになったのだ。
「まさか……これ程とは……間違いない……彼女こそ本物の慈愛の女神の生まれ変わりぞ……!」
「あぁ……本当に……これが我が娘……」
「娘?」
「君の父親だよ……名前はなんと言うんだい?」
「ウルスラ……」
「ウルスラ……今まですまなかった……!」
ブルクハルトはそう言って涙を流し、ウルスラを抱き寄せた。知らないおじさんにそうされてウルスラは戸惑ったが、父親だと言うそのおじさんを無下には出来ないのでされるがままにしていた。
しかし、慈愛の女神の生まれ変わりとはどういう事なんだろう? ウルスラは言われている事がいまいちよく分かっていなかった。なんでこんな凄い人達が自分に会いにくるのかも分からなかった。
これからゴミの処理は出来なくなるのかな……堆肥はどうしようかな……そんな事を一人考えていたのだった。
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