第26話 嘆きの力


 崩落があった場所で、ウルスラはリリーを抱きしめて何度も何度も名前を呼んだ。


 だけどリリーは既に力尽きていて、ウルスラの呼び掛けには答える事はなかった。


 誰もリリーを助けようとしてくれなかった。他の子達もまだあの土砂の中にいて、恐らくもう助からないのだろうけど、それでも何とかしてあげたかった。

 でもウルスラには何も出来ない。リリーを離す事も出来ず、それ故そこから動く事が出来ないでいた。


 

「だ、誰か……」



 どうにもできない。誰にも頼れない。ここでは人の命は軽くて、使えなければ補充すれば良いとの考えしかなく、誰も亡くなっていく命の事など考えてもくれなかった。


 我慢していた涙が知らずに溢れてきた。ウルスラは自分の無力さに歯痒く感じ、そしてもう目を覚ましてくれないリリーを悼んだ。


 虚無感が胸を襲う。それが涙となって溢れだした。嗚咽を漏らしながら、ウルスラはリリーの顔を何度も触り、名前を呼び続けた。


 その涙と声はゆっくりと波紋となり広がってゆく。


 崩落した土砂の中から、何かの音がする。その中から何かが這い出して来ようとする音……


 その異変に気づいてウルスラはリリーを抱えあげて、何とかその土砂から離れようとする。

 痩せて力のないウルスラはリリーを抱き上げる事は出来なくて、何とか引き摺るようにその場を離れようとした。


 その土砂の中から、土にまみれた何かが出てきた。それを見てウルスラは恐怖で声が出なくなる。


 それはウルスラ達が発掘していた化石だったモノ。それが何故か息を吹き返したように動き出したのだ。


 あちらこちらから男達の悲鳴が聞こえる。この採掘場に埋もれていた化石達が自我を取り戻したように、埋まっていた場所から纏っていた石や土なんかを力の限り破り、這い出てくるのだ。

 そして手当たり次第、見つけた人間を襲っていく。

 

 その様子はあの村とよく似ていた。逃げ惑う人達も、何故か苦しみながら体に変化をもたらしていく。その場に倒れたと思えば、姿を魔物のようなモノに変えて、また周りにいる人やモノを襲っていく。そんな中、息を吹き返した化石達は容赦なく人や人だったモノを襲っていく。


 またこんな事が目の前で起こった事に恐怖し、ウルスラはガタガタ震えながら、だけどリリーを離せずにいた。


 魔物と化した人達は襲い合い、喰らい合い、奪い合い、そして朽ちてゆく。

 

 前は自分一人だった。だから逃げる事ができた。けど、今はリリーがいる。もうそこに命は無くて、亡骸のみとなっていたのだが、それでもウルスラはリリーを離す事が出来ずにいた。


 化石だったモノ、人だったモノが争い、喰らい合うのを見て、ウルスラは逃げるに逃げられない状態だった。


 人であったモノがウルスラ達を見つけ、ズカズカとやって来た。それでも動く事は出来なくて、リリーを抱きしめたままウルスラは震えていた。

 

 人であったモノはリリーの頭を鷲掴みにし、ウルスラから強引に亡骸を奪ってしまった。呆気なく自分からリリーが離れてしまった事に動揺し、だけどそれを見ているしかウルスラには出来なかった。


 魔物と化した人であったモノは大きく口を開け、リリーの首に勢いよく噛みついた。血飛沫が上がり、それはウルスラの顔を染めていく。


 リリーは親に売られた子だった。貧乏で日々食べる物も無く、五人兄弟の長女だったリリーが売られる事となった。

 仕方ないと納得していた。これで他の兄弟達に食べ物が与えられるなら我慢できると思っていた。それでも知らない大人に買われるのが怖くって、最初はすぐに逃げ出そうと思っていたと言っていた。


 そんな事をリリーと仲良くなってから聞いたウルスラは、売られたという境遇が同じということもあって、すぐに打ち解け合えたのだ。

 こんなお姉ちゃんが欲しかったと、ウルスラに抱きついて言ってくれたリリーの笑顔はウルスラには癒しだった。


 そのリリーが自分の目の前で喰らい尽くされようとしていた。

 


「やめてぇぇぇーーーっ!!」



 それは無意識に。


 ウルスラはありったけの声で叫んでいた。

 

 声は大きく響く。その声に反響するように、地響きが大きく鳴りだした。

  

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッッ!



 立っているのも難しい程に、地面が大きく揺れだす。

 リリーを貪り喰らっていた人であったモノもその様子に驚いたようで、一瞬ピタリと動きを止める。その時、リリーの体から頭が、頭だけがボトリと落ちた。そしてその頭はウルスラの足元に転がってきた。


 ウルスラはその頭を拾い上げて抱きしめた。


 まだ地響きが鳴り止まぬ中、ウルスラは走ってその場を離れる事にする。

 柵にある一つの門は開けられてある。看守も魔物化していて理性など無くなっていたから、そこから出ることは容易かった。


 

「リリー、ごめんね、ごめん! 助けられなかった……っ! ごめんなさい……っ!」



 胸に抱いたリリーに向かって、ウルスラは何度も謝った。魔物と化した人であったモノはリリーの内臓を喰らっていて、それは殆ど形を成していなかった。

 ウルスラが助け出せたのは頭だけだった。


 走って山脈から遠ざかっていく。涙で目の前がボヤけてしまう。何処に行けばいいのか分からない。またこんなふうに走って逃げることした出来ない。ウルスラは何も出来なかった自分を責めた。


 走って走って、とにかくあの場所から逃げ出して……


 山脈からはまた大きな音がして、至るところで崖崩れが発生していた。

 走り続けるウルスラの足元もまだ揺れていて、早く離れなければ飲まれてしまいそうな程だった。


 後にこの災害は突然の地震による山脈の崩壊と報告される事となったが、本当の原因は誰にも分からなかった。

 何故なら、その場にいた人や人であったモノ、化石であったモノは、全て土砂の下敷きとなってしまったからだ。


 あの場所にいて、冷静な判断が出来ていたのはウルスラただ一人だった。いや、魔物と化していなかったのはウルスラだけだったからだ。


 その事に気づく事もなく、どうしてそうなったのか分かる訳もなく、ウルスラはただ悲しみに打ちひしがれて止まらない涙はそのままに走っていく。


 山脈の麓には森が広がっていて、その森の獣道を一人駆けてゆく。

 

 どれだけ走ったか、山脈が崩れていく音が遠くに聞こえるようになって、ウルスラは段々と足を緩めていく。

 クタクタになって、もうこれ以上走れそうにもなかったし、かなり遠く来れたと思ったからだ。


 大きな樹を背に、その場でズルズルと座り込む。胸に抱いたリリーの首からは血が流れていて、ウルスラの服も血にまみれた状態だった。けれど、そんな事はどうでも良かった。ただリリーを抱きしめてあげたかった。


 その血の匂いを嗅ぎ付けて、狼や熊が近くまで来ていたのをウルスラは気づかない。


 静かに涙を流すウルスラの近くにいる動物達はゆるやかに魔物へと化していった。


 魔物となったモノはウルスラを襲わない。けれど、ウルスラの持っている頭を食料だと認識していた。


 ゆっくりとウルスラに近づいていく。


 

「リリー……今日はこうやってずっと抱っこしてあげるからね。あそこでは歌っちゃダメだったけどね、私、優しい歌を知ってるんだよ。リリーに歌ってあげるね」



夜の帳が静かに下りてく

星瞬き 銀の光が

降り注ぎゆく それは優しく

あなたを包む 愛しい人よ


静寂の中 小さな虫の

かすかに響く 子守唄のよに

森の梟 揺れる葉の

あなたを包む 愛しい人よ



 その歌声は優しく響く。魔物と化した筈の動物達はいつの間にか元の姿に戻っていた。そして穏やかにその場に佇み、ウルスラの歌声に耳を傾けていく。


 心を静まらせ、柔らかな物に包まれているような感覚に身を任せ、その周辺にいた動物や虫でさえも、皆が穏やかに落ち着いていった。


 山が崩落し、地響きが鳴り、魔物が蠢いていたその近くで、この一帯だけは優しい空間となっていったのだった。

 




 

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