第14話 これからは一人
少しの間だったか、それとも凄く長い時間だったのか。
ウルスラはいつの間にか眠ってしまっていたようだった。
あんな場所で、追っ手が来るかも知れないのに、その場に倒れたままの状態で。
だが、精神的にも体力的にも疲れはてていたウルスラには、心と体を休める時間が必要だった。無意識に体がそう判断したのだろう。
ゆっくりと目を覚ましたウルスラは、一瞬なぜ自分がこんな所にいるのかを疑問に思った。
記憶を手繰り寄せ、そして自分の置かれた状況を思い出し、すぐに辺りを見渡した。
そこは森の中で木が鬱蒼と生い茂っていて、自分が何処に行くとも分からずに逃げて来た場所だった筈で……
その筈だったのに、なぜかここが見覚えのある場所に感じたのだ。
まだ疲れが残っている脚に力を入れて立ち上がる。
ゆっくりと歩きだし、その場所から更に奥へと進んでいく。
暫く歩くと、少し拓けた場所にたどり着いた。
どうしてここに来れたんだろう……?
ウルスラは不思議で仕方がなかった。
そこはルーファスといつも会う、あの小屋がある場所だったからだ。
あの村からここは近かったのだろうか。全く別の方向だと思っていたけど、そうじゃなかったんだろうか。そう考えたけど答えは見つかるわけもなく、不思議な現象に思いながらもウルスラは小屋に入って行った。
やっぱりここは落ち着く……
棚には書物がズラリと並べてあって、テーブルにはルーファスがくれたノートとペンがある。
ここに来る度に掃除はしてあるから、部屋の中はキチンと整理整頓されてあって、汚れは来ない間に積もった埃のみとなっている。
細い木の枝を裂いて作った箒が立て掛けられてあるのを見て、この箒をルーファスと一緒に作った事を思い出す。その横にはバケツも置いてあって、それも同じ様にして作った物で、その全てが大切に感じたのだ。
ここには楽しい思い出が溢れていて、ウルスラは自然と笑みが零れる。
ベッドには、以前あった汚れた布団ではなくて、いつでも眠れるようにとルーファスが持ってきてくれた暖かくて柔らかくて肌触りの良い布団が敷かれてある。
キッチンもあって、細やかでもここで生活する事は出来るようになっていた。
帰る事も出来ない。誰にも頼れない。
そんなウルスラには、ここしか居る場所が無かったのだ。
すぐにでもベッドに飛び込んで眠りたかったけれど、自分の姿は泥や血飛沫にまみれていて汚れていたから、その状態で綺麗な布団には入りたくなかった。
疲れた体を癒す事もせず外に出て、ルーファスとこの近くを散策した時に見つけた小さな湖へ向かった。
そこで体を洗い服を洗い、あの小屋へと戻っていく。今が寒い季節じゃなくて良かった。
帰る道すがら、ウルスラは暖かな風に吹かれてそう思った。
今日から一人で暮らすことになる。
お母さんは私を娘じゃないって言った。お母さんと同じ髪と瞳の色は自分の誇りのように感じていた。
それだけが親子だと決定づけるものだと、ウルスラ自身も感じていたからだ。
似てるなんて言われた事は一度もない。優しくされた記憶も一度もない。それでも母親だと信じて疑わなかった。
娘じゃないのに育ててくれた。厳しかったけど、一人でも生きていく術を教えてくれた。
物が売れなくなって食べる物も無くなっていって、お母さんは仕方なく私を他所にやる事にしたんだ。
仕方がない。感謝こそすれ、恨んだりはしない。ただ悲しかっただけだ。虚しかっただけだ。
愛されたかった。少しでも自分に笑顔を向けてほしかった。
だけどもうその願いは叶うことはない……
優しい風に包まれて、ウルスラの濡れた体を乾かしていく。ウルスラには見えなかったが、風の精霊がそうしてくれていたのだ。
この場所は森の精霊ドリュアスが管理し、空間を司る精霊が空間を歪ませてたどり着かせた場所だった。
慈愛の女神の生まれ変わりであるウルスラに、その力は奪われていても引き寄せられてしまうのだ。
もとより魂のみの存在であるような精霊は、その者が持つ魂に反応する。
心優しく健気に生きるウルスラの光輝く魂は、精霊にとっては癒しでもあった。ウルスラが気づかない間に、精霊達はその魂に導かれるようにそばにやって来ていたのだった。
家に着く頃には服も髪も乾いていて、ウルスラはやっとベッドに横たわる事ができた。
まだ外は明るくて眠る時間では無かったけれど、とにかくウルスラは体を、心を休めたかった。
暖かい布団にくるまれると、ルーファスが優しく包み込んでくれているように感じる。
夢を見た。
そこは煌びやかな部屋の中。周りにある家具や飾られている絵画は見たこともない程にキラキラ艶々していて、一つ一つの物に目を奪われる。
形の良いソファーがあって、そこにルーファスがいた。
「ウルスラ!」
「ルー?」
「どうしてここに……いや、良いか、そんな事は……良かった。会いたかったんだ。でも動けなくて……」
「ルー……あいたかっ……ルー……」
「どうしたんだ? ウルスラ?」
会いたくて会いたくて、でも会ったらルーファスは自分を嫌だと思うかも知れないって思っていて、なのにルーファスは誰からも嫌われてしまった自分にいつものような笑顔を向けてくれた。
それがウルスラは嬉しくて嬉しくて、思わず涙が出そうになった。
でもダメだ。泣いちゃダメだ。そう思って涙を堪えて、下を向いてギュッと唇を閉じた。
そうしていると、フワリと包まれるような感覚がした。ルーファスが優しくウルスラを抱きしめたのだ。
それに驚いて顔を上げると、優しいルーファスの顔はすぐ近くにあった。
それにも驚いて、またバッて下を向いた。
ルーファスの胸からトクントクンって音が聞こえる。その一定のリズムが心地よくて、抱きしめてくれる腕が、胸が暖かくて、暫く何も言えずにウルスラはそのままでいた。
こうやって身を寄せ合う事の心地よさを、ルーファスに会って初めてウルスラは知ったのだ。
「ねぇ、ウルスラ、お腹すいてない? 一緒に食事しよう?」
「うん!」
見るとテーブルには料理が並んであって、お皿もナイフもフォークも全部が綺麗で、料理は美しく盛り付けられてある。
初めて見る数々の料理にドキドキしていると、手を取ってルーファスが席まで案内してくれた。
椅子に座るとテーブルは高くって、小さな体のウルスラに料理は上手く食べられなさそうだった。
「ハハハ、なんか可愛いな。ウルスラにはもう少し背の高い椅子が必要だな。いいよ、僕が食べさせてあげるから」
「たべ、させる?」
「あぁ。まずはフィンガーボウルで手を洗って……そうだよ。あ、喉乾いてないかな。ジュースもあるよ。アミューズから食べようね。フォークとナイフはこれを使って、こうやるんだよ」
「あみゅうず?」
「口ならしに食べる物だよ」
ルーファスは説明しながら料理を取り分け、ウルスラに食べさせていった。初めて食べる味で、それは凄く美味しくて、食べているとルーファスは嬉しそうに微笑んでくれて、それは凄く楽しいひとときだった。
そんな夢を見た。
目を覚ますと、そこは小屋の中にあるベッドの中だった。
楽しかった夢と現実とのギャップに、急に寂しさが溢れそうになった。
夢の中のルーファスはいつもと同じで優しかった。その夢にすがりつくように、どんな夢だったのかを思い出す。
そしてふと気づく。
朝、少しのパンと水を飲んでから、何も食べていなかった筈なのに、何故かお腹がいっぱいなのだ。
夢ではルーファスと一緒に綺麗な料理をいっぱい食べた。だからなのか何なのか、こんなにお腹がいっぱいになった事は今までなくて、何故そうなったのかを不思議に思った。
自分の体の事なのにどうなっているのか分からない。それでも、お腹が満たされていると悲しさは半減するようで、眠る前の悲しさとか虚しさとかが少し無くなっているのに気がついた。
それはきっとルーファスの夢を見たからだ。
そう思って、ウルスラはまた布団に身を委ねる。
夢を見ている時だけは、幸せな気持ちになれた。夢の中の事だけど、ルーファスだけが自分を嫌いにならないでいてくれた。それだけで気持ちが少しだけ強くなれた気がした。
強くならなければ……
これからウルスラはこの小屋で、一人で生きていく事になったのだから……
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