第71話 新興貴族、崩壊

―皇太子陣営―


「コンス尚書の陣営に、オーラリアの軍旗が掲げられました!」

「右翼の兵が、こちらに槍を向けています」

「コンス尚書軍の裏切り! 右翼の裏切り!!」


 父上の軍旗が掲げられると、右翼の兵すべてが敵になった。

 なんでだよ。

 俺は、グレア帝国摂政で、この戦争が終わったら皇帝になるはずの男だぞ。


「前面の兵力を、右翼対策に回せ。子爵の軍にも早馬を出せ。陣形を立て直すぞ」

 幕僚ばくりょうの誰かが慌てて、陣形を立て直そうとしていた。


「だめだ、それでは間に合わない」

 俺は、無意識で声を上げてしまった。


「はっ?」


「さっきまで、8万対6万の戦力差だったんだよな?」


「そうです、殿下」


「その内、3万の右翼がすべて裏切った。つまり、現在の戦力差は5万対9万。ほぼ、2倍の差がある」


「そうです。ですから、早く陣形を立て直さなくては、我々は包囲されてしまいます」


「いや、その考えは間違っているぞ」


「では、最善策を教えてください!!」



「なにを、おっしゃいましたか?」

 幕僚は、蒼白そうはくな顔になっていた。馬鹿な奴め。


「ここは転進だ。軍を後方に下げて、体勢を立てなおす。包囲されれば、それすらも不可能になる。幸運なことに帝都には、たくさんの人質がいる。やつらを盾にすれば、フランツでも簡単には手を出せなくなるだろう。それに、人質の中には、あいつが尊敬する父上も含まれる。まだ、俺たちは負けていない」


「総大将が、いち早く戦場から逃げるとおっしゃているんですか? あなたのために戦うと言っている兵を捨てて!!」


「たかが、幕僚のくせに私にたてつくな。現在の最悪の状況では、包囲されて、殲滅せんめつされる。多少の兵の犠牲はやむを得ない」


「そうですわ。ここで最悪の可能性は、次期皇帝の殿下が逆賊たちに討たれてしまうこと。それ以外の兵士をいくら失おうとも、殿下が無事なら問題ありませんわ」

 メアリは俺に同意してくれた。さすがだな。


「……あなたがたがそうしたいなら、そうすればいいでしょう」

 幕僚もやっと同意した。


「ならば、そなたにこの戦場を任せる。玉砕覚悟で戦うのだ」


「……」

 不服そうだな。まあ、いい。こいつはここで死ぬ。もう会うこともないしな。


「子爵にはすぐに連絡しろ。王都で落ちあうとな」


「わかりました」

 伝令は左翼に向かっていく。


「さあ、メアリ。一緒に王都に帰るぞ」


「はい、殿下!!」


 俺たちは馬で王都へと向かう。


「この屈辱は、100倍にして返してやるからな」

 俺は、怒りの声を発しながら戦場を後にした。


 ※


「皆の者、オーラリア公国軍に降伏すると伝えろ」


「ですが、命令では……」


「我々にも仕える主君を選ぶ権利くらいある。あんな奴に自分の命を懸ける価値なんてあるわけないだろ」


「わかりました。すぐに通達します」


 ※


―子爵―


「早く逃げるぞ。いつ、追手が来るかわからん」


「はい、子爵様!」

「護衛は我らにお任せください」

 私は、護衛と一緒に王都に向かっていた。


 メアリたちは無事に退却できただろうか? 私たちよりも早く逃げることができたから大丈夫だろう。


 とにかく、早く王都に向かって、人質たちを盾にする。

 そうすれば、外国への亡命くらいは認められるだろう。


 ヴォルフスブルクのテロ組織には、金を流している。あいつらにかくまってもらって、再起すればいい。


 皇太子は廃嫡されるかもしれないが、元・皇太子という立場はいくらでも使えるはずだ。ヴォルフスブルクに売れば、交渉の材料にすることはできる。


 逃げることができれば、どうとでもなる。それができる金と人脈が私にはあるからな。


「落ち武者むしゃ狩りだ!!」

 護衛のひとりが叫んだ。


 草むらに潜んでいた男が護衛の一人を突き刺した。


「ぎゃああぁぁぁあぁあああああああ」

 兵士は落馬して、絶叫する。


「くそっ!!」

 私は、馬を走らせた。


「助けてください、子爵様ぁぁぁ」

 部下の絶叫が聞こえた。


 助ける余裕なんてない。こいつらは、私をオーラリア側に売ろうとしているんだ。時間が経てば経つほど、私を狙うやからが増えていく。


 護衛の下級貴族なんて見捨てる。

 それが大局的に見て、最も正しい。私を失えば、新興貴族派は再起できないからな。


 なら、部下を何人失おうとも、私が生き残れば戦略的な勝利ということ。


「えっ」

 そんなことを考えていると、俺はいきなり馬から投げ出された。

 馬がいきなり転倒したんだ。


 ゆっくりと、私は地面に落ちていく。


 ロープ!?


 そうか、落ち武者狩りの罠か……


「おい、私を助けろ」

 最後に残った護衛に助けを求める。


「ひいぃぃぃいいい、死にたくない」

 さっきまで威勢が良かった護衛は、私を見捨ててどこかに走り抜けていった。


 馬から勢いよく落馬したせいで、全身が痛い。どこか骨が折れているのかもしれない。


「くそ、どうすれば」


「おやおや、どうやら大物を引き当てたみたいだ」

「ああ、父さん。こいつは、反乱軍の中心人物だ」

 ふたりの槍を持った男が俺の前に現れた。落ち武者狩りだ。


 全身の血が凍りついていく。恐怖で手足が震える。


「助けてくれ。助けてくれたら、金はいくらでも払う。知っているだろう。私は次期皇后の父親だぞ。もし殺せば、お前らは大罪人だ。私たちは、一度のいくさに負けただけだ。帝都に帰れさえすれば、まだ逆転できるんだ。頼む、ここで私を助けるのが、お前たちのためでもあるんだぞ」


「こいつは、何を言ってるんだ?」

「ああ、どうやら、帝都が降伏したのを知らないらしいな」


 帝都が、降伏……だと……

 なぜだ、帝都はルーゴ将軍が守っているはず――


 いや、あいつが守っているからか!


 つかまされた。俺たちは、はめられたんだ。


 思考のはてにあったものは、絶望だった。


「頼む。いや、お願いします。助けてください。まだ、死にたくないんです。お金なら……」

 私はプライドを捨てて、必死に命乞いをした。


「なあ、俺には、あんたと同じように娘がいるんだ」

 若い男は、優しく諭すように言う。


「助けてくれるのか……そうだ、同じ親ならわかるだろう? 娘に会いたい。死ぬなら、娘に看取みとられたいんだ。お願いします、お願いします」


「なに勘違いしてるんだ?」


「えっ?」


「あんたの娘は、こう言ったんだろ。『貧乏人は、パンがなければ草でも食べていればいいのよ。それがなくなれば、飢えて死ね』ってさ。なら、俺と娘は、飢えて死ななくちゃだめだよなぁ?」


「なんで、それが……れているんだ」

 あれは、軍議の場での発言じゃないか。漏れるはずが……


「じゃあ、俺はあんたにこう言ってやるよ。金持ちは、槍でも食らって、野垂のたれ死にやがれっ!!」


 そう言って、槍は私に振り下ろされた。


「ぐえっ」

 森には、私の声が響き渡る。


 助けに来てくれる人はいなかった。

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