第8話ビーストテイマー
「あ、あのあの……ありがとう、ございます」と、幼さが残る澄んだ声は聞こえたが、どうした事か。
胸下ぐらい伸びた茂みの中から、ひょいと顔を出した少女は、リガルと目を合わせず(合わせる努力はしているようだ)、モジモジとお礼を言っている。
「別にお礼は良いからさ。こっちに来ないかい?」
前屈みになり、膝に手をついて優しく促したが耳しか動かさない。しかも、完璧に顔をそらし、顔を引き攣らせていた。何もしていないのに、嫌われた気分に陥ったリガルは、立ち上がり頬をかいて湖を見つめる。
まるで野生動物を、見つけた時のような距離感だ。気持ち的にも、実際の距離的にも。一〇メートル以上は離れているだろう、彼女は耳をピコピコさせ、そこから一向に近寄る気配がない。
リガルは、やれやれとその場に座り込んで真っ青な空を眺めた。雲は緩やかに流れ、風は優しく赤い髪を撫でる。
目を瞑り深呼吸をすれば、
リガルは静まり返った湖に耳をを凝らす。今しがた人が放り込まれたと思えないほどに静かで居心地がいい。このまま昼寝なんてしたら気持ちいだろう。云々考えていれば、不意に男の言葉が頭をよぎった。
「水竜なんて」
【竜種】は、高位な生き物であり魔族とはまた違う部類に入る。それは、人間や獣人、エルフとも違うもので、言うなれば生命の祖たる存在──ともいわれている(何体いるのかすら不明)。
気持ちを切り替え、何回水切りができるか、小石を投げようかと、脇の石を掴む。自然と、地面を見るまでの一瞬、少女を瞳に写した。
──近づいてきている。
ゆっくりではあるが、野ウサギが好奇心で人に近づいてきているように。一歩一歩確実に。
耳からするに、うさぎよりは狐だが。
人間は、獣人の見た目に対して身近な動物の名前を取り入れている、らしい。
猫のような尻尾や耳を持つ者は【猫科】
犬の尻尾や耳をもつ者は【イヌ科】等と、分かりやすく纏めているようだ。
性格も似ている傾向にあるらしく、猫科の獣人は気まぐれだったり、イヌ科は優しく穏やかだったり、獅子科は、猛者だとか。実際は、どうだが知らないが。
ならば、茂みから姿を現し、しゃがんでじっと見ている彼女はどんな性格なのだろうか。なんて考えながら、神秘的な容姿を目に焼き付けた。
白銀色をした髪の長さは多分、腰ほどには伸びていそうだ。切りそろえられている前髪から覗いた眉毛も、リガルに比べて太くモコッとしている。
まつ毛も長く、下には青く綺麗な瞳が輝いていた。肌は雪のような白さで、やはりどこか人間ではない雰囲気を漂わせている。
しかし、そんな事よりも食事をまともにとっていないのか、物凄く細い。病的に。
そんな事を思いながら、立ち上がる。するとピクリとフカフカな白い耳が竦んだのが見えた。
リガルは軽く見流して、綺麗なフォームで湖に対し平行に石を投げる。
十回ぐらい跳ねたぐらいか、少女がいる所らへんの茂みだけが、バサバサと不自然に揺れた。
何故か少女は、リガルを見ずに音も出ないぐらい優しい拍手をしている。
「ほれ、やってみ」
リガルは、刺激しないように優しく平らな石を少女の前に投げる。若干体を竦ませた後に、リガルの顔色を伺う様子をみせたので、ゆっくりと頷く。
少女は、細い指で石を掴んだ。そして、奴隷服か分からないが、体全体を隠すボロい布切れから水を垂らし水辺に向かった。
茂みからは同時に太くフサフサな尻尾が姿を見せる。
「……りゃいっ!」と、か細い掛け声と共にぎこちないフォームで投げた石は、一回も跳ねず沈んでいった。
──物凄い下手だ。
獣人とはとても分かりやすいのか、天を向いていた耳はペタリと
だがすぐさまに、首を左右に振るって石を黙々と探し始めた。よほど悔しいらしい。
リガルは少女を見つつ【不可視化魔法・レグルド】を自分に唱える。
「成功するか分からんが……」
服を脱いで、下着になったリガルは少し離れた場所から湖の中へと入った(ロープの残りと杖を所持)。直ぐに顔をつけ泳ぐと、透明度の高い湖で目を凝らす。
湖の中では魚が自由に泳いでおり、どれもがリガルには気がついていないようだ。
杖を魚に向け、リガルは心で『デライト』と、唱える。すると、先端から細く白い光線が放たれ、魚の頭を貫いた。
四匹ほど捕獲し、少女のいる場所に戻る。少女は、キョロキョロと何かを探している仕草をしていた。流石に裸を見られるのは恥ずかしい。
ので、【不可視化魔法・レグルド】を発動したまま、下着を脱ぐ。そそくさと、ズボン等を着終えてから魔法を解除した。
「うぎぃあ!?」
急にリガルが現れたものだから激しく動揺し驚いたのだろうか。ありとあらゆる毛を逆撫で、目を見開いた少女は、その場へ座り込んだ。にしても、物凄い悲鳴だった。茂みの中に居た鳥が羽ばたき去る程ぐらいには。
「あ、ビックリさせちゃったよね。ごめんよ。でさ、一緒に食わないか?」と、エラからロープが通った魚を少女に見せつける。
少女の服も濡れてるし、風邪をひくかもしれない。けれど、警戒した状況では、火を熾しても少女が近寄る可能性はひくいだろう。これが話のきっかけに繋がればと思っていた。
「って、ちょっと待て……」
リガルは、魚を落とすと口を抑え、瞳に切羽詰まった色を宿し絶句した。
「……俺、火をおこせねぇじゃん」
白魔道士の得意とするのは【聖属性】である。
主に──
【回復魔法】ヒール・ハイヒール・リジェネ等。
【能力向上魔法】アウダース・ハイアウダース・プロテス等。
【天候魔法】テンペスト・サンシャイン等。
【移動魔法】ヴィチローク等。
【聖魔法】フォトンレイン・セイクリッドノヴァ等。
──で、その力は奇跡とも呼ばれる。
属性魔法。つまり、【火・土・風・水・闇】を操れるのは黒魔道士と呼ばれ、エレメント使いとも言われている。
「ぷぷぷ」
微かに聞こえた笑い声に、リガルは少女を見ると、遠慮気味に口を抑えて笑っていた。
とても恥ずかしい。
言葉に困っていると、少女は両手で三角を作る。次第に服は不規則に踊り、リガルは魔力の高まりを感じた。
「サモン」
少女が言葉を紡いだ。すると、地面には魔法陣が展開され色彩豊かな光の柱が天まで伸びる。
「なんだ、これは……」
喉を鳴らして、リガルが地面から光の柱をなぞって見上げる。
やがて光の柱は消えた。リガルは、少女に何をしたのか訊ねようと、目線を向ける。
「一体な──え?」
足元には赤いスライムが出現していた。スライムは、プルプルと身を揺らしながら飛び跳ねている。全く悪意も敵意も感じる事もない。とても不思議な感覚を覚えながら口走る。
「なんで、ファイヤースライムが?」
「こ、これは、アルが召喚した……です」
「召喚?」
その場に座り、聞き直すと少女は耳を揺らしながら頷いた。
「アルは【ビーストテイマー】なの、です」
「ビーストテイマー? なんだそれ。聞いたことないぞ」
ぴょんぴょんと飛び跳ね、しまいには少女の頭に乗っかったスライムを目で追いつつ事実を述べた。
「職種なのか? 剣士だとか重装士だとかの」
だが、リガルの知っている職種と言えば──剣士や魔道士と言ったモノだし、ギルドもそれで成り立っている。
「んん……」
少し困った表情を浮かべ、服の裾をギュッと握って少女は口を開いた。
「職種だとかは、分からない、です。けれどこれはアルの家族に代々受け継がれてきたモノだと聞いているです」
「他に使えるやつはいないの?」
なるべく、怯えさせないように優しく質問を続ける。少女はゆっくり首を左右に振るった。
「いない、です。アル達の種族では、誰も」
「なるほど」と、頷くとリガルは魚に木枝を刺し始める。
「ファイヤースライムなら、火を……頼めるかな?」
乾いた枝で小さい山を作り聞くと、少女は目を見開いて、少しだけ大きくなった声で言った。
「は、はい! ですっ! フーちゃん、火をお願いっ」
少女は、両手を前に出すとスライムがぴょこんと乗った。
「ファルファル!」と、元気よく鳴くと口から、人一人も殺せないであろう炎が、飛び出す。
それでも火種の役割は十分に果たし、焚き火は成功した。リガルは、魚を焚き火の周りにさしつつ訊ねる。
「そいつは、そのビーストテイマー? ってやつで仲間にしたの?」
「違う、です。この子は、ずっとアル達の家族です。アルは……未だに魔族を転生させた事がないの、です」
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