第3話 ありが十匹



「それより、この孫くんの後ろに映っているキャラクターなに?」


 氏家の待ち受け写真。孫の後ろに映っているのはテレビ画面だ。さばトラ猫のキャラクターが赤いふんどしをして仁王立ちしていた。


「ああ、なんだかすごい人気なんだってよ。『ふんどし刑事デカ にゃん吉』。いやさ。いまどきだよ? どこがおもしろいんだかね。そのおかげで、今年のクリスマスプレゼントはふんどしがいいんだとよ」


 氏家の説明に高田は「なるほど」とうなずいた。


「どうしたの? 高田さん。なに? 好きなの?」


「いやいや。先日、星野がこの猫のメモ帳持っていてね。おれが見たら隠しちゃったんだよね~。あいつ、なに? まさかこれ好きなんじゃ……」


「え~、嘘でしょう? あの無精ひげおっさんの星野が?」


 高田と氏家は顔を見合わせて笑うが、水野谷は「いやいや」と口を挟んだ。


「星野ね。隠しているけど、のが好きなんですよね」


「課長。冗談はよしこちゃんでしょう?」


「いやいや。本気ですよ。みんながいないとキャラクターの雑誌読んでるし」


「嘘だ! それ、衝撃的!」


 二人はなんだかほほえましいとばかりに笑い出した。


「いや、人は見かけによらないってね」


 ずっと最初から黙々と日本酒を変わらないペースで飲み続けている野原は、氏家の親父ギャグについて行こうとしているが、ふと「ふんどし刑事デカ」が気になったのか、スマホを取り出すと検索を始めた。


「ああ……男子の陰部を覆い隠す布」


「ちょ、ちょっと。野原。そんな真面目に言わなくても」


 水野谷の突っ込みに彼は目を瞬かせた。


「しかし、そのように、辞書には……」


「いや、あのねぇ。その『ふんどし刑事デカ』を調べたんじゃないのね。『ふんどし』を調べたのね」


「はい」


「ど、どんだけ天然なんですか! いや、ちょ。おれ好きになってきましたよ!」


 氏家は笑いを堪えきれずに口元を押さえるが、野原は訝しげな瞳の色を浮かべた。隣の高田も「くく」と笑ったが、「それより、それより」と話を変えた。


「野原課長の前で言うのもなんですが、指定管理者制度の話はどうなっているんですか」


 高田の質問に水野谷は頷く。


「財務との話が着々と進んでるんだよね。野原」


 隣にいた野原は自分のわかる話になったと思ったのか、瞳の色を明るくして頷いた。


「財務も乗り気。だけど今は市長選で庁内みんなそれどころじゃない」


 市長が変わるということは、自分たちのボスが変わるということだ。三人にとっても大きな出来事となる。


「市長が変われば指定管理者制度もどうなることやらだ。今の安田やすだ市長は理解ある人物だからいいけど……。対抗馬は農林水産省のOBって言うじゃないの。おれたちの分野に金を出す余裕はなさそうだし。そうなると適当に準備もなく切られるかもな」


 氏家の意見は最もだ。水野谷もそれを心配していた。時間をかけて協議をして条件のいいところに託してやりたいというのが親心だからだ。遣っ付け仕事のように、適当な組織に丸投げされたらたまったものではない。


「水野谷課長は指定先をどう見ているんです?」


「僕はね——」


 彼は一息置いてから四人を見渡した。今日は真面目な話が多く、あまり料理に手を着けていなかったことを思い出し、いつもの豆苗炒めを一口頬張った。


「できれば一流企業が手上げしてくれるのを期待しているんです」


「一流企業、ですか」


「地方の一企業ではこのご時世、運営基盤が危ういでしょう? 指定した先が資金不足で管理できないなんておざなりだ。だったら、有名どころですよ。今の時世大企業の文化面への貢献はポイントが高い。東京のホールも企業名ついているところが多いでしょう?」


「それはそうですけど……。こんな地方のホール買ってくれる企業がありますか?」


「そう悪くないと思うんですけどね」


 氏家と高田は水野谷の顔を真剣に見つめた。二人とも星音堂せいおんどうが好きなのだろう。本気で心配しているようだ。なんだかそれを見ると笑ってしまう。どうせ職員は撤退する羽目になるというのに。星音堂の行く末を心配しているのだ。


「梅沢は新幹線も通っているし、高速道路も通っている。そう交通の便は悪くない。それに音楽の基盤ができている土地柄です。星音堂はパイプオルガンという強い武器もある。そう悪くはないはずですよ。大きすぎず小さすぎず。程よい規模だしね」


「まあ、そういわれるとそうですけど」


「他の公共施設の稼働率と比べると優秀な成績を誇りますからね。職員の管理体制だって十人未満でもなんとか運営できるなんてコスパもいいに決まっていますよ」


「なるほどね」


 日本酒をあおってから氏家は笑った。


「ま、そんなこと言っても、おれには関係ないんですけどねえ」


「あ、それ。この前も言ってた。氏家さん。六十で退職なんて早いよ。再雇用しましょう」


「もう勘弁してよ。ゆっくりしたいよ」


「またまた。ほらほら。もう一杯。アルコール消毒しときましょうよ」


「あはは~」


 三人は笑い合った。そうだ。氏家は来年度を終えると退職となるのだ。星音堂の命運など関係なくだ。三人でこうして杯を交わす機会も限られるというわけだ。


 人はいつも同じではいられない。氏家が退職すれば、次の人、次の人と職場を去っていく。そして自分の番が訪れるのだ。そんなことに思いを馳せてみると、気持ちは晴れ晴れとはしないものだと水野谷は思った。


「やめやめ。飲酒して?」


「ぷはっ!」


「やだな~。課長までおれの親父ギャグ移っちゃいました? ナイスじゃ


「肝臓にはい~」


「も、もうやめて」


 三人がお腹を抱えて笑いあっている脇で野原は「飲酒していいんしゅか……、ナイスじゃないっす——」と首を傾げていた。


 そこにおかみさんが杏仁豆腐を持ってきてくれた。


「頼んでないよ」


「サービスね。いつもありがとうゴザイマス。カチョさんたち来てくれると明るくていいワヨ。いつもお仕事ご苦労サマデス」


「いやあ、美人のおかみさんにそんなこと言われると照れるね~」


「いつも美味しい酒とご馳走、ありが十匹」


 三人とおかみさんはいつまでも笑顔で笑っていた。他所からみたらただの親父たちの時間潰しに見えるかも知れないが、この三人にとったら至福の時であるに違いなかった。そして、巻き込まれた野原は不憫でしかならない。





— 第七曲 了 —

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