第9話 違和感とざわざわ
そして約束の日がやってきた。
「さて、本日で約束の一週間だ。お前たちはよく頑張った」
最終日の朝。水野谷がみんなに声をかけた。
「……結局は、出ませんでしたね」
「夢だったんだろうか?」
「いや、見間違いじゃないですよ」
各々が勝手なことを言い始めるが、水野谷に止められる。
「それぞれの言いたいことがあるとは思うが……ともかく! 約束の一週間だ。ここまでして幽霊とやらが出てこないのだから、この件はこれで終了としたい」
厳しい声で言い切った水野谷は、それから声色を柔らかくした。
「今晩は幸い、予約が一つしか入っていない。今日の遅番は僕がやるから、みんなは定時で帰るように」
「え!? 課長が……遅番?」
一同は初めてのことに戸惑いが隠せない。今まで彼が遅番を担ったことなどなかったからだ。しかし水野谷は大して気にすることもなく、「話は終わりだ。仕事を始めるように」と指示をした。
***
その日。
職員玄関から出た一同は、顔を見合わせたが、渋々帰途に就いた。蒼も自転車に乗ってアパートを目指した。
なんだか心がざわざわとしていた。途中で、コンビニに寄ってから、お弁当を物色していると、ふと彼女を思い出した。
なにも買うことなく外に出ると、燃えるような夕日と真っ黒なシルエットの山が視界に入った。ぞくぞくとした感覚に、なんだか嫌な予感がした。
——課長が遅番をするって、どういうこと?
『パイプオルガン?』
——パイプオルガンの話をしたときの課長のあれはなんだったんだろう? それに、この一週間、むしろ彼女の気配すらないだなんて……どういうことなのだろうか?
蒼は妙にざわざわとする気持ちを抑えることができない。このまま自宅に帰ってのんびりなんてできるはずもない。
「よし」
彼は一人でそう頷くと、自転車に跨り今来た道を引き返した。
「戻ろう」
水野谷には悪いが、戻らずにはいられなかったのだ。黄昏時の気味の悪い雰囲気に胸騒ぎを覚えながら、蒼は
星音堂はいつも通りに静まり返っていた。
日没後も気温が下がらないのは、日中、灼熱の太陽に照らされた大地に熱がこもっているからだ。
梅沢市は小さい盆地であるため、空気が外に逃げにくい。日本地図でいえば、北側に位置している都市だが、毎年、最高気温でニュースに取り立てられるほどであった。汗ばむ額を拭いながら、自転車置き場に自転車を停める。それから妙に静まり返った星音堂がなんだか恐ろしく思えてきた。
いつもだったら、夜の部の利用者で賑わうはず。なのに——なにかが変?
別に誰に相談するわけでもないのだが、蒼には友達というものがいなかった。唯一相談できる相手は一人しかいない。
スマホを取り出して彼の番号をタップしようとしたその時——。
「蒼」
今まさに電話をかけようとしていた相手である関口がそこにいた。
「どうして?」
「いや。ほら。この前幽霊騒動の話をしていたじゃない。確か今日がその期限だった気がしてね。心配になって覗きにきた」
「関口……」
心細さでどうしようもなかった気持ちがふと緩んだら、気が抜けてしまったようだ。
「変な顔」
ポカンとした顔をしていた蒼は関口に笑われた。
「笑うなよ。別に……変な顔はいつものことだし」
「そうだけど」
「関口が肯定しないでよ! 本当失礼なやつ」
文句を言って怒っていると、蒼のことなど相手にしていられないとばかりに関口は「で、どうする?」と問うた。
「とりあえず、中に入ってみる」
「だな」
蒼は辺りをキョロキョロしながらそっと、職員玄関から中に入った。がしかし。すっと伸びてきた手に首根っこを捕まえられた。
「ひぃ!」
驚いて突拍子もない声が出てしまう。必死に相手を確認しようともがいていると、「おいおい。おれだって」と聞き慣れた声にはっとした。
「星野さん……」
「お前も戻って来ちゃったの?」
「お前も?」
蒼がきょとんとして顔を上げると、星野の隣には吉田がいた。
「へへ。だって、おかしいじゃん」
吉田は笑う。
「課長が遅番だなんて、おれ見たことないし」
「だろう? っつかさ。なんでお前までいんの?」
星野は関口を見る。
「たまたまですよ」
「たまたま、ねぇ?」
意味ありげな笑みを浮かべている星野だが、はっとして話を戻した。
「それがよ。おかしいんだよ。一つだけ入っていた団体も、なんとキャンセル扱いになっていてな」
「え? じゃあ。今晩は利用客が誰もいないってことですか? だから、遅番やっているんじゃ……」
蒼の言葉に星野は首を横に振った。
「とりあえず入ってみようぜ」
「課長に見つからないように、ですね」
四人はこそこそと職員玄関を入り、右手に折れる。事務室はガラス張りだ。カウンターがあるものの、目の前を通れば事務室にいる職員に見つかる可能性が高い。四人は屈み込んでこそこそと事務室を覗き込んだ。
中は電気こそついているものの、しんと静まり返っていた。
「課長、いないですね」
「ラウンドか?」
吉田と星野がこそこそと言葉を交わしている間にふと耳をつく音。これは……。
「星野さん。大ホール」
関口が声をあげだ。
「え?」
「しっ」
関口は人差し指を口の前で立てる。吉田も黙り込んだ。四人が耳を澄ませると、どこからかパイプオルガンの音が響いてくる。
四人は顔を見合わせてから、頷いて歩き出す。目的地は大ホールである。
いつもは照明が落とされているホワイエはうっすらと照明が灯り、大ホールの扉が開いていた。
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