第7話 進め1

 そっと、祖母の手を離す。祖母の瞳をみて、微笑む。祖母も微笑んだ。

 一歩二歩と足を進めて、雪を踏みしめる。祖母の姿を瞳に焼きつけて背を向けると、名残惜しい気持ちを断ち切るように歩き出す。その横をヨシノが寄り添う。

 振り向くことはしなかった。


 庭を出て、道に出ても、足を止めずに雪の道を進んだ。

 生垣の高さや、細い裏道――、雪の景色を見ながら歩く。もうこの景色を見るのも最後かもしれない。


 冷たい夜の気配に、祖母からもらった手の温もりがあっという間に消えていく。トウカは両手を胸に抱いて熱を留めようとしながら、それでも振りむかずに山の中に踏み入った。

 月明かりを受けた雪はぼんやりと光っていた。世界が白い薄布に包まれていた。その中をトウカは進む。


 ――静か、だな。


 山を歩いているうちに、手からはすっかり祖母の温もりが消えてしまった。温もりが恋しい。白い息が立ち昇る。ここは、寒い。


「トウカ」


 ふいにヨシノが袖を引いた。

 トウカの首元で、ポチも鳴く。


「手」


 トウカが不思議に思いながら自分の手を差し出すと、ヨシノがその手を握った。祖母よりはひんやりとした手だった。


「寒いのは、辛いの。ヨシノの手、貸してあげる」


 そう言うと、トウカの手を引っ張って歩き出す。

 ポチはトウカの首元にぐりぐりと頬を押し付けた。


「――あったかい」


 トウカは目元をこすって、前を見据えた。


「ありがとう、ヨシノ、ポチ。あったかいよ」


 祖母の温もりが消えても、二人の温もりがある。それだけで、心細さが消えていく。これなら、前に進んでいける。一人じゃなくてよかった。

 小さくて温かい二つの存在がとても頼もしかった。


「行こう。早く帰らなきゃ」


 ふいにポチがトウカの首元を離れて、ふわりと浮いた。鼻先を空に向けて周囲を見渡して、くいっと首の動きでトウカを呼ぶ。


「道が分かるの?」


 きゅうと小さな声がする。だがトウカを呼ぶのはいいものの、きょろきょろと周囲を見渡して何度も足を止める。心許ない案内だ。


「トウカ、帰り道知ってるの?」

「正直に言うと、あんまり――。二つの世界が繋がるのは、偶然か、強く願ったときか――。あやかしの世への道が今あるのかも分からない。でも、今の私なら世界なんてものに囚われない気がするんだ。人から外れて、でもあやかしでもない私だから。そんな世界の枠組みなんて、私には通用しない。それに、これだけ願っているんだから」


 だからきっと大丈夫、そう呟いて前に進んだ。きっと帰ることができる。自分でもよく分からない確信があった。

 しばらくポチの案内のままに雪道を進んだ。


「あ!」


 突然ヨシノが声を上げて、トウカの手を引いた。前を進んでいたポチを鷲掴みにして、どんどん足を進める。


「ヨシノ、どうしたの」

「カグノの匂い!」

「したの?」

「うん」


 ヨシノはずんずん進んだ。鷲掴みにされたポチは苦しそうに声を上げる。だが、そんなヨシノの足も途中で止まった。ヨシノはぎゅうっと眉を寄せる。


「匂い、どっかいっちゃったの。まだ匂いはするのに、どこからするのか分からないの」

「匂いがあるだけでじゅうぶんだよ。どこかで世界が繋がっているって分かるから――、きっとどこかで」


 ウツギのもとに帰る道があるはずなのだ。

 トウカは周囲を見渡した。

 一面の雪景色。木も草も雪に覆われている静かな世界。


「あ」


 雪の上に動くものを見た。細長い体を動かして、頭をもたげると、それはトウカを見る。


「――蛇」


 ちろりと舌を出して、蛇はどこかに進んでいく。すこし進んだあとで、トウカの方を振り向いた。トウカはわずかに考える素振りをしてから、


「行こう」


 ヨシノの手を引いて、蛇を追いかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る