第9話 花が咲く5

「あ、俺の――!」


 アサヒは思わずといった様子でトウカの腕を引っ張った。

 アオヒメはそっと欄干に指をかける。そしてわずかに身を乗り出して、群集を見回す。だれかを探しているような仕草に見えた。今のアオヒメに向日葵を贈るようなあやかしは、一人しかいないのだ。もし、アオヒメがそれに気づいているのであれば、探しているのはきっと――。


 アサヒの手に力がこめられたのが分かる。夜はこんなに寒いのに、アサヒの手は熱いくらいで汗ばんでもいた。じっとアオヒメを見上げている。

 トウカは声をかけようかと思ったが、結局なにも言わずに口をつぐんだ。アサヒが唇を震わせていたのだ。なにかを言いたそうに。それでもなかなか言葉にならずに、何度か口を開いては閉じることを繰り返す。


 頑張って、とトウカは心の中で呟いた。

 そして。

 アサヒは意を決したように顔を上げた。


「あ、――アオイ!」


 アサヒの声が響いた。冷たい夜の空気を震わせて、空に突き抜けていく。周りにいたあやかしが何事かとこちらを振り向いた。それでも、アサヒの瞳にはアオヒメしか映っていなかった。


 ――あ。


 トウカはアオヒメを見上げて、息をのむ。

 それまで静かな水面のようだったアオヒメの表情が、はじめて波立っているのを見た。大きな瞳を幼子のように見開いて、唇を震わせている。アサヒの声に、身を震わせている。


 アサヒはアオヒメが自分のことを忘れているのではないかと心配していた。でも、そんなことはないのだ。忘れていたのなら、アオヒメはこんな表情をするわけがない。


 アサヒとアオイの視線が――、ゆっくりと交わった。時が止まったかのような感覚に襲われる。二人はもうお互いのことしか見えていないように、視線を逸らさなかった。

 他のあやかしたちの姿なんて、もうあってもなくても同じだろう。この時間は、彼ら二人のためにあるようなものだった。


 一瞬が、とても長く感じる。

 二人は互いの姿をその瞳に焼き付ける。

 指先一つ動かせない緊張感にのみこまれる。

 空気が張り詰めた。


 ――だが。そのとき。


 ぱっと、闇夜を光が包んだ。

 再び空気が震えた。

 その場にいたあやかしたちが、一斉に空を見上げる。


「なんだ、これ」


 だれもが目を見開いていた。

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