第92話 今度こそ
俺を見下ろすトルテの視線には、嘲笑が含まれている。
それもそのはずだ。
突然家に踏み込んできた男達から、母親を守ろうとする5歳児の少年を、トルテが警戒するわけもない。
ましてや、背後には屈強な男達が5人も控えているのだ。バディを含めれば10人。
恐れなど、知らないだろう。
「ウィーニッシュ! 何してるの!? 早く後ろに下がりなさい」
背後にいる母さんが、なんとかして俺を後ろに下がらせようと腕を引っ張って来るが、そう簡単に引き下がるわけにはいかない。
「母さん、大丈夫だから」
「どうやら、わんぱくな息子さんのようだ。元気があるのは、良いことだと思いますがね。しかし、礼節を知ることも大切ですよ。母親として、そうは思いませんか?」
俺の囁きを聞いたらしいトルテが、嫌みっぽく言ってのける。
話を振られた母さんはというと、委縮してしまったのか、何も告げることなく小さくなっている。
「ニッシュ……どうすんの?」
一瞬訪れた沈黙に重ねるように、シエルが問いかけてきた。
そんな彼女の問いかけに応える前に、俺は右の掌を凝視して、確認を行う。
『よし、ラインは描ける。魔法も問題なさそうだ。これなら何とかできるだろ』
指先から伸びる短いラインを思い描いた俺は、馴染みのあるその感覚と、魔法を発動する前の独特な感覚を抱き、安堵した。
もし現状では魔法を使えないなどという状況だったとしたら、この窮地から抜け出す手段は殆どないだろう。
けど、魔法を使えるなら話は別だ。
安堵と同時に自信を嚙み締めた俺は、トルテを睨みつけながら得意げに言ってみた。
「どうするって、こうなったらやるしかないだろ? 大丈夫さ、子供相手に5人も準備してるくらいだ。つまり、自分たちが弱っちいって自覚してるってことだろ?」
俺の挑発を聞いたトルテは、目を閉じて大きく息を吐いたかと思うと、怒りに声を震わせながら告げる。
「はぁ……。本当に身の程を知らないガキだな。お前ら、やれ」
彼の指示を聞いた屈強な男たちが、ゆっくりと俺の方へとにじり寄ってくる。
そんな男たちを改めて見た俺は、ふと思った。
こいつら、こんな見た目だったっけ?
俺の眼前に並んでいる5人の男たちは、兄弟なのだろう、非常に似通った顔をしている。
どこか間の抜けたような表情の彼らは、しかし、体格だけは豊かなものを持っていた。
恐らく、普通の子供がこんな男達に捕まってしまうと逃げ出すことは難しいだろう。
そんな彼らの最大の特徴は、なんと言っても髪型だ。
丸刈り、角刈り、長髪、アフロ、リーゼント。
一人一人別々の髪型をしているのは、トルテが彼らのことを見分けるためなのだろうか。
そのチグハグな感じに猛烈な違和感を覚えつつ、俺は眼前に迫る長髪の男に飛び掛かった。
長髪の男は、すぐに反応して俺に掴みかかろうとするが、そう簡単に捕まる訳にはいかない。
迫りくる男の両腕を掻い潜るように、ポイントジップで軌道を修正した俺は、見事男の懐に入り込むと、両掌を男の胸元に添える。
途端、長髪の男は大きく後ろに吹き飛ばされ、戸棚に衝突して気を失った。
その様を見て唖然とするトルテ達。
彼らが茫然としている隙を逃すわけもなく、直後に着地を決めた俺は、すぐさま左に跳躍すると今度はジップ・ラインを描いた。
俺の右足のつま先から始まったラインは、きれいな弧を描いて角刈りの頭部を通過し、そのまま隣に立っている丸刈りの側頭部に到達する。
ラインの終着点まで描き切ったと同時に魔法を発動した俺は、半ば強引な体勢になりつつも、けりをぶち込む。
角刈りの男を巻き込んだ、丸刈りの男への蹴り。
その攻撃を受けた二人の男は、勢いよく壁に激突すると、力なく床に転がる。
残りは3人。
蹴りのための跳躍から着地した俺は、その反動を使って背後に跳びながら、後ろを振り返った。
背骨を軸にした時計回りの回転。
その回転に合わせてジップラインを描いた俺は、右の拳をラインに乗せて、魔法を発動する。
そうして、流れるような動作でアフロの眼前まで跳んだ俺は、回転力の乗った強烈な拳を、彼の頬に叩き込む。
勢いのあまりに吹っ飛ばされたアフロの男は、残っていたリーゼントの男とトルテを巻き込んで、壁に激突した。
ここまで圧勝できると、爽快なもんだ。
完全に気を失ってしまったらしい男達を一瞥した俺は、取り残されている男たちのバディに目を向ける。
入り口付近にいた5人のバディ達は全員が猿のようで、皆怯えた様子で俺のことを見ている。
そんな猿たちに向けて、俺は告げた。
「ボコボコにされたくないなら、大人しくしてろ。良いな?」
俺の言葉を聞いた猿達は、皆一様に首を激しく縦に振ると、伸びている男達の元に駆け寄って行った。
「ウィーニッシュ……? え? これって……」
そこでようやく我に返ったのだろう、静かにしていた母さんが掠れた声を漏らす。
母さんの声を聴いて我に返った俺は、すぐに母さんに向き直った。
「母さん、驚くのは分かるけど、今はとにかく逃げよう! もうここには住めない。ほら、テツも手伝ってくれ! こいつらに捕まって、狭い箱の中に閉じ込められたくないだろ?」
「あれは最悪だったわ……さっ、急ぐわよっ!」
俺の言葉に、シエルが項垂れながら呟く。
母さんやテツは、互いに顔を見合わせたかと思うと、何も言わずに準備を始めた。
床に伸びている男たちを戸棚の前からどかし、小さなバックパックを取り出す。
その中に、入るだけの衣服を詰め込むのだ。
「……あ、ニッシュ、こいつらどうするの?」
準備をしている途中で、シエルがそんなことを問いかけてくる。
「まぁ、ほっとけ。とりあえずは逃げる準備が先だ」
出来ることなら、縛っておくのが一番だけど、今はそんなに余裕が無い。
俺一人なら、余裕はあったんだろうけど……。
そう思って母さんに目を向けた俺は、苦笑するしかなかった。
「えーっと、逃げるのよね。一応、仕事道具も持って行った方が良いかしら?」
「要らないって! 掃除道具なんて持って行ってどうするんだよ!」
こんな時にも関わらず、悠長なことを言ってのける母さん。
まぁ、そういうところが良いところでもあるんだけど、今は勘弁してほしい。
と、俺が苦笑を浮かべながらそんなことを考えた時、母さんがもう一度口を開いた。
「え~? それじゃあ……あ、これは持って行かなくちゃね。ふふふ、これが何だか知ったら、ウィーニッシュ驚くわよ?」
そう言って母さんが手に取ったのは、机の上の小さな箱。
何の変哲もないその箱の中には、侘しい小さな菓子が入っている。
なぜだろう。
その箱のことを思い出した俺は、目頭の奥が熱くなるのを感じた。
両目をギュッと閉じて涙をこらえた俺は、大きく深呼吸した後に、その涙の理由を悟る。
なんてことない。俺はその箱の中に込められた大きなものを、知っているのだ。
そしてなにより、その大きなものを、俺は今度こそ守り通すことができた。
それが嬉しいんだ。
「母さん……そうだね、それは持っていこう」
準備を続けるフリをして、なるべく声の震えを抑えた俺は、母さんに告げる。
「え? 良いの? 中身も聞かないで判断しちゃうんだ?」
「もういいから! よし、準備できたな。急いでここを出よう」
これ以上母さんに追及されると、いろいろと零れてしまいそうだと思った俺は、有無を言わさずに家を出る。
「ちょ、ちょっと待って、ウィーニッシュ! 母さんそんなに速く走れないわ!」
俺に手を引かれる母さんは、少し身を屈めながら走っているからだろうか、かなり走りづらそうだ。
家の前の狭い路地をがむしゃらに進んだことで、とりあえず家から距離を取ることはできた。
そこでようやく母さんの手を放した俺は、路地の出口に向かってゆっくり歩く。
路地の外には大きな通りがあり、大勢の人が練り歩いている。
大通りでは走らない方が良いだろう。急いでいる様子を見られるのは、あまり得策ではないからな。
俺がそんなことを考えた時、頭上に寄って来たシエルが問いかけてきた。
「ニッシュ、家を出たのは良いけど、これからどうするつもり? もしかして、東の森に?」
「分かんねぇ、どっちにしても、街を出ないと何の解決にもならないから、とりあえず森に行こうと思ってたけど」
「え? 街を出るの? ウィーニッシュ? ちょっと待って、無理よ、街を出るなんて……」
「母さん? それってどういう?」
母さんの言葉に俺が疑問を投げかけたその時、路地の奥から声が響いてきた。
「そこの親子! 止まれ!」
「ヤベ! もう気づかれた!? 母さん、速く走って!」
大通りに飛び出した俺たちは、周辺にいる兵隊たちが皆、誰かを探していることに気が付き、がむしゃらに走った。
目的地は、東門。
人ごみに紛れながら、追いかけてくる兵隊よりも速く走る。
そうしてなんとか、東門にたどり着いた時、俺達は大勢の兵隊に囲まれてしまっていたのだった。
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