第89話 残り、1回

「アンナ!?」


 ゆっくりと降下してくるアンナを見上げながら、俺は叫ぶ。


 彼女が降りてきているということは、上空で雲を作る役割を放棄してきたということだ。


 雨を降らせる作戦を聞いた彼女があらかじめ言っていた通り、上手くいかなかった場合の判断をしたのだろう。


「アンナがここにいるってことは……もうすぐラージュの弱体化が完全に解けるってことだよな」


 若干小雨になっている空を見上げた俺が、ぽつりと呟くと、その言葉を否定するように、アンナが首を横に振った。


「それは安心して良いわよ。っていうか、あなたの師匠は本当に何も伝えていないのね……」


「は? 師匠? ……あぁ、そういえば、手を打ったとか言ってたっけ?」


「そうよ、突然あなたの師匠達が大勢現れて、私の代わりに空気を冷やすから、弟子を助けに行ってくれって……彼、何者なの?」


「いや、それは俺も知りたい」


 俺の返答を聞いたアンナが、呆れたような目を向けてきた時、突然雨脚が強まった。


 心なしか、地面を打つ無数の雨粒が地面を小さく揺らしているように感じる。


 さっきまでよりも激しく振り出す雨の中で、ラージュが無事でいられるわけがない。


 そんな期待を視線に込めて、俺はラージュへと目を向ける。


 激しい雨に打たれるラージュは、頭を抱えながらその場に跪き、うめき声をあげている。


「ニッシュ! 今がチャンスじゃない!?」


「そうだな! アンナ、行こう!」


「そうね、あと、一つだけ伝えておきたいことがあるわ」


「なんだ?」


 ラージュの方に駆け出そうとした足を止めて、俺がアンナの方を振り返った直後、ドスンという低い振動が街中に響き渡る。


 何事かと音の方へ振り返った俺は、仰け反りながら住宅の上に倒れこんでゆくラージュの姿を目の当たりにした。


「なにが……」


「私が言おうとしたことなんだけど、私たち以外にもう一人、戦える男がいるのよ。で、あれをしたのが、その彼」


 巨大な煙を上げて横たわるラージュを、遠い目で見ているアンナがそう告げた。


 そして彼女は、ため息を吐いた後に、言葉を続けた。


「私の上官の、ジャック・ド・カッセル隊長よ」


「マジか……確かに弱ってるんだろうけど、あのラージュを吹っ飛ばすなんて、どんだけ強いんだよ」


「少なくとも、私よりは強いかな。とりあえず、隊長と合流しましょう!」


 肩を竦めながら告げたアンナは、俺のことなど気にすることなく、戦場へと飛び立った。


 置いて行かれまいと、俺も全力でジップラインを発動する。


 どうでもいいが、土砂降りの雨の中、空を飛ぶことを俺はあまりお勧めしない。


 全身ずぶ濡れになるし、風で体は冷えるし、空からはゴロゴロと小ぶりな雷鳴が聞こえてくる。


 避けることができるのなら、やめておいたほうが良いだろう。


 少し前を飛んでいたアンナが、ラージュの頭上にたどり着いたかと思うと、流れるように攻撃を展開し始めた。


 急降下と共に繰り出される無数の氷の矢が、容赦なくラージュの全身に突き刺さってゆく。


 それらの痛みに悶えるラージュが、周辺の瓦礫をがむしゃらに投げ飛ばし始める。


「うおっ!? あぶねぇ!」


 飛んできた流れ弾を間一髪で躱した俺は、ラージュの頭上を旋回して、機会を伺う。


 再び繰り出されるアンナの氷撃を受け、ラージュが悶えながらも立ち上がろうとした時、足元の瓦礫をかき分けて、何かが姿を現した。


 煌々と光を纏って現れたそいつは、立ち上がろうとするラージュの膝めがけてとびかかり、見事な一撃でラージュに膝をつかせたのだ。


 これ以上の隙は無い。


 俺は肩にしがみついているシエルと目配せをすると、バランスを崩してしまっているラージュ目掛けて急降下する。


 そうして、ラージュの脳天目掛けて、両腕を突き出した。


「放電!」


 両手の紋章が輝いている状態での、雷魔法。


 放たれた稲妻が空気を引き裂き、ゼネヒットの空を震撼させた。


 雷の衝撃と、ラージュの咆哮で周辺に大量の水蒸気が立ち込める。


 そこで俺は、一つの間違いに気が付いた。


「ニッシュ! 危ない!」


 シエルの叫びを聞いて、とっさに身をよじろうとした俺だったが、間に合わない。


 立ち込めた水蒸気をかき分けるように、頭上から現れたラージュの腕が、まるでハエを叩き落とすように、俺に叩きつけられる。


 受け身なんて取れない。


 ただできたことと言えば、頭を抱えて防御することくらいだ。


 しかし、その程度の防御では、到底身を守ることはできなかった。


 全身の激しい痛みとともに、息苦しさとめまいを覚える。


 いつの間にか地面にうつ伏せに寝転がっていた俺は、狭くなった視界に入る小さな光を二つ、ぼんやりと見つめた。


「ぁ……」


 声が出ない。


 両手も動かせない。


 分かるのはただ、目の前にある小さな二つの光。


 そうだ、これは紋章の光だ。


 腹のあたりに感じる生温かな感触に、俺はどこか気持ち悪さを覚える。


 これはなんだ?


 すごく臭い。


 まるで、テツのにおいじゃないか?


 どうなってる?


 オレはどうなった?


 シエルは?


 ラージュは?


 ワカラナイ……イタイ……クルシイ……シニタクナイ


 誰かがオレの身体を、激しく打ち付けてくる。


 背中に打ち付けられるとてつもない重量感と圧迫感に、オレは強烈な怒りを覚えた。


 コロス。


 こいつをコロス。


 少しずつ開けてくる視界の中で、オレはそいつの姿を確認した。


 黒ずんだ巨体を大きく動かして、何度も、何度も、何度も、オレに拳を打ち付けているカイブツ。


 ユルセナイな。


 オレは全身に熱を感じた。


 湧き上がってくる無限の力を、今すぐにでも行使したい。


 小さかった両手の光も、少しずつ強く輝きだしている。


 今ならやれる。


 まずは立とう。


 どれだけ強烈な拳を背中に受けても、肘を立てて、膝を立てて、背筋を伸ばそう。


 次は、受け止めよう。


 振り下ろされる怪物の拳を、頭で、肘で、掌で。


 攻撃は止めた。そうしたら、反撃だ。


 受け止めたカイブツの拳を逃がさないように握りしめ、その状態のまま、線を描く。


 そうだ。


 どうせなら、やり返したほうが良い。


 重たい一撃を、こいつがオレに対して加えたような、重たい一撃を。


 そのために、地面を使う。


 無数の線を地面に潜り込ませて、カイブツの足元から飛び出させる。


 その線に沿うように、硬く尖った無数の岩の槍が、瞬く間にカイブツの身体を貫いていった。


 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


 足りない。


 まだ足りない。


 岩の槍を無数に出したせいで、地面が盛り上がり、随分と高いところまで登ってしまった。


 それでも、足りない。


 オレが受けた仕打ちに比べれば、まだまだ足りない。


 そうだろう?


 ふと見上げた空に、ゴロゴロと稲妻が走る。


 それが良い。


 オレは無数の槍に突き刺されて穴だらけになったカイブツに向けて、両手を伸ばす。


「死ね」


 途端、オレの両手から、無数の稲妻が発射され、カイブツの身体を貫いてゆく。


 もう全く動かない、カイブツの身体を。


 まだ、あと一回。


 やっぱり、もう一回。


 まだまだ、やり足りない


 そして、気が付いた時、オレは空高くから落下を始めていた。


 雷の衝撃に、岩の槍でできた塔が耐え切れなかったのだろう。


 はじき出されるように落下を始めたオレの視界には、崩れてゆく塔と動かないカイブツの姿が見える。


 あぁ……満足だ。


 漏れ出る笑みと共に、オレがそう考えた途端。


 脳内に鈍い音が響き渡った。


 何かが潰れるような、鈍い音。


「な……にが」


 急速に覚醒してゆく頭で、俺は目の前の光景を認識する。


 そこは、ジゴク。


 いつか見たことのある、あの、ジゴク。


 咄嗟に足元を見下ろした俺は、遥か下で煮えたぎる赤い液体を目にして、唾を飲み込んだ。


「どうなってるんだ? 俺は……死んだのか?」


「言ったであろう。簡単に死ぬことは許さんと。貴様は死んだのではない。失敗したのだ」


「っ!?」


 不意に背後からかけられた声に驚いた俺は、勢いよく振り返る。


 そこにはいつか見たことのある巨漢がいて、俺を見下ろしていた。


「閻魔……!?」


 慄く俺の様子を見て、楽しんでいる閻魔大王は、ニタァと笑みを浮かべると、こう告げたのだった。


「残り、1回」

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