第138話 満たされた気持ち

「おはようございます」


 挨拶を返しながら、自然と零央は微笑んでいた。


 …ああ。素敵だ。


 心の中には小走りに近づいてくる小夜への感想が浮かんでいた。胸には暖かいものが満ちていた。

 不思議な心持ちだった。ただ、小夜の姿を見つけただけだというのに、満たされている。

 小夜の様子も特別なわけではなかった。取り立てて洒落た服を着ているわけでもない。普段着ではないにしても、くだけた服装だ。


「ギリギリになっちゃったよ」


 零央を見上げ、笑顔で小夜が言った。


 遅れたっていいんですよ。


 思い浮かべ、会話しようとして開いた口から出たのは別の言葉だった。


「重装備ですね」


 厚着を冷やかしていた。


「自分もじゃん」


 明るく小夜は言い返した。指摘を受け、零央は自分の服に目をやった。確かに重装備だった。

 上は肩口に黒のレザーを当てたジャケットだった。色は深みのあるブルーで、かなり厚みのあるキルティングが施してある。ボトムはブラックグレーの綿のパンツだ。足元は水色のラインの入ったスニーカーだった。頭には黒のニット帽をかぶり、首にはネックウォーマーをしていた。幅があり、伸ばすと口元を覆えるタイプだ。手袋もゴツめだった。天気予報では寒気が強く、冷え込むとされていたからだった。


「ホントですね。でも、今日は寒くなるそうですから。そんな日なのに、ありがとうございます」


「今更だねえ。気の済むまでつき合うって言ったよね? とにかくやるっつったらやるかんね、あたしゃ」


 零央はもう一度礼を言った。


「それはいいとして、どうすんの? これから」


「まず下のフロアを見て、それから上に上がろうと思います」


 この店では薬や日用品といった家電量販店らしからぬ品も扱っており、フロアは二階だった。同じフロアには生活家電や照明器具も置いてあり、総合カウンターもあった。予想ではスマホやテレビ、パソコンといったデジタル機器を扱い、おもちゃも置いてある三階が賑わっていると思われ、決済の様子を見るには適していると考えていた。


「んじゃ、それで。あ、それとさ、後でデパートの方も見てみない? こっちも上場してるから参考になると思うよ?」


「いいですね、それ」


 零央は即答していた。

 探索先が増えるのはいいことだった。小売りのカテゴリーでデパートはまだ見ていない。正確にはデパートは単体で上場しているわけではなく、私鉄が手がけている。だが、それはそれで何か得るものがあるかもしれなかった。


「?」


 感想を思い浮かべていた零央は訝しみを覚えた。小夜が表情を変えたからだ。『狙い通り』とでも言いたそうな笑い方に見えた。

 多少の違和感を持ちながらも零央は深く考えなかった。建物を指し示す零央に小夜が応じ、二人は中へと歩き出した。既に店は開いている。


 プロムナードから中へと場所を移すと、すぐに家電のフロアだった。一部はデパートの婦人服売り場だ。家電に限らずゴルフ用品やサイクルパーツも置いてある明るい照明の店内をくまなく見て歩く。開店して間もない時間帯ながら客はそれなりに見受けられ、買い物の様子を見るには十分な状態だった。

 二人は、ひとまずフロアを見て歩くとエスカレーターで上に上がった。三階はおもちゃやゲームを取り扱っているので音が賑やかだ。目的ははっきりしており、どちらのフロアも移動自体は楽だった。気を遣ったのは買い物をする人物を見つけることと、さりげなく観察することだった。注目し過ぎると怪しい人になってしまう。気を遣った挙句、何度も巡り歩く羽目になった。

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