第136話 岬の二人

「実例で教えたげるよ。あたしの親が事故で死んだって、この前話したよね? 相手は過積載のトラックでね。二人は横にいたの。載せてた鉄骨が崩れて車ごとペシャンコだったってさ」


 痛ましく零央は思った。人の作った巨大な鉄の塊の前では車体など紙のようなものだ。


「あたしは遺体は見てないの。じっちゃんが見ない方がいいって。中二の時の話。で、金もらったよ。相手に違法性があったから多めだ、とかって弁護士の人が言ってたっけ。こっちも生きてかなきゃいけないからさ。要らないなんて言えないし。金もらったってさ、父さんも母さんも戻んないけどさ、でもさ、しょうがないじゃん? 代わりにおまえの命よこせなんて言えないじゃん? そんなものが欲しいわけでもないじゃん?」


 震える声が途切れた。顔が俯いていた。零央は言葉も無く見つめていた。


「…相手も事情があったのかもしんないけどさ。金稼ぐのは大変だからさ。でもさ、それって人の命より大事なのかな? 危ないからさ、おっきな事故が起きるから、そういうことをしないように決まり事があるんじゃないのかな? あたしは、そんな大事なことまで守んないやつは嫌いだ…」


 弱弱しく言葉を終わらせて小夜がしゃべるのをやめた。握り締めている小さな手が痛々しかった。

 小夜は、お金があれば大抵のことは何とかなると言った。今しがたも聞いた言葉だ。きっと、それは事実だ。だが、お金は傷ついた心まで癒してはくれない。失われた大切な命も取り戻してはくれない。人が何とかしようと思えば何とかなることもある一方で、どう足掻いてもどうにもならないことも世の中にはある。

 零央は手に持っていたビニールバッグを草の上に置くと小夜に近づいた。小夜は寒風の中で凍りついたように動かない。手を触れられる位置まで近づいても身動き一つしなかった。


「―」


 肩に触れようとして零央は躊躇した。触れなければならないと強く思うのと同時に、触れてはいけないような気もした。募る想いと立場を慮る思考とがせめぎ合い、零央の動作を止めた。

 その時、岬を突風が襲った。


「!」


 風の威力は凄まじく、小夜の細い身体を煽ってバランスを崩した。零央でさえ足元をぐらつかせた。


「―!」


 間近にいた零央は小夜を抱き止めた。左腕で胴体を支え、宙で止まっていた右手は跳ね上がった小夜の左腕を掴んだ。二人の身体は密着した状態で危うく留まった。


 …危ないなんてもんじゃない…。


 口から深く、零央は息を吐き出した。瞬間硬直した身体から緊張も抜けていく。小夜の身体越しに高低差のある海面を眺め、寒さとは別の震えが背中を走った。足を踏み外すほど間近で危険な場所ではなくとも、崖の端近くにいるのもまた確かだった。


 掴んでいた小夜の左腕に抵抗するような力を感じた。離れる意思と受け取った零央は手を放し、胴体を受け止めていた左腕の力も緩めた。離れて距離を置くのかと思っていると、小夜は零央の胸に両手を添えて身を寄せた。抱き止めた時には気づかなかったコロンの甘い匂いが鼻をくすぐった。


「…ごめん。…今は、ちょっとだけ…」


 小さく声が聞こえた。


 零央は、小夜を優しく、静かに抱き締めた。

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