第129話 ささやかな収穫

「悪いことが起こった時って、売りのチャンスなんだよ」


 声まで冷たく聞こえた。


「何でもいいんだけどさ、大っきな出来事があるだろ? あたしが真っ先に考えることって分かる?」


 話の流れからおおよその見当はついた。だが、零央は首を横に振った。


「これで株が下がる、さ」


 皮肉な笑みを浮かべる小夜を零央は見つめることしかできなかった。


「で、すぐに机の前に座ってパソコンのキーを叩くんだ。その出来事で困ってるかもしんない人に思いを馳せるのは後になってから。売買の指示を出して気が緩んでからだね。もうね、行動が染みついちゃってんだよ。習性なの。そんなさ、業の深い女とわざわざくっつかなくてもいいじゃんか。もっと人間味のある、かわいらしい女の子を探しなよ。零央くんならいくらでも見つかるよ」


 話し終える頃には小夜の声にも温度が戻っていた。どこか哀調にも似た調子を宿した声だった。


「―」


 小夜の言葉を否定したい思いに零央は駆られていた。なのに、うまく言葉が出てこない。人としての性質への言及は正当なように思えたためかもしれない。だが、それと小夜への想いは別のはずだった。様々な思いがせめぎあってうまく考えがまとまらない。小夜の落ち着き払った態度にも気圧されていた。抗おうとしている自分の方が間違っているような気がした。


「…目的のもんも見たし、今日のとこは帰んなよ」


 小夜は口元で弱く笑っていた。

 帰宅を促す言葉は再び零央に抵抗の気持ちを起こさせた。が、居座れば現在の関係さえも壊れそうに思えた。


「…はい」


 口から出て来たものは力無い返事だけだった。手の中の缶はすっかり冷めきっていた。

 立ち上がって家の外まで出た零央に小夜は固い表情を向けた。


「誘っといてこう言うのも悪いけど…、ここにはもう来ないで」


「…分かりました。ですが、ぼくの家には今まで通り来てくださるんですよね?」


「もちろんさ。今まで通り厳しくやるよ。…銘柄探しも大丈夫」


 零央に少しばかりの安堵をもたらした最後の言葉は、ぎこちない笑顔と一緒だった。


「…あなたがどんな人間だったとしても、それでも好きです」


 静かな宣言は最後の抵抗だった。小夜は困ったような小さな笑みで応えた。


「…頑固者」


 少なくとも拒否ではない言葉をもらって零央は小夜の家を辞した。

 路地を歩き始めると隣家の戸口に立つ人物と目が合った。来た時にも出会った戸辺地のおばさんだった。

 軽く会釈をして零央は通り過ぎた。おばさんも怪訝そうな表情で頭を下げた。気の沈んでいた零央には、その様子がありがたかった。口元には笑みが浮かんだ。告白を受け流された心には隙間があり、小夜と親しくしている人物から敵意でも悪意でもない気持ちを受け取った、ただそれだけのことが妙に嬉しかった。

 今日という日にあった、ささやかな収穫だった。

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