第127話 男には底抜けがてんこ盛り

     

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 小一時間ほどを資料室で過ごした零央と小夜は居間に戻っていた。


「冷めちゃったね」


 小夜が座卓に肘を乗せ、両手で缶を支えた姿で言った。手にしているのは飲み口を開けた缶コーヒーだ。途中でコンビニに立ち寄った際、小夜が見つけて試したがった新製品だった。二人の前には大皿の上に開けられたスナック菓子もある。


「すみません。ぼくが熱中し過ぎたせいですね」


 自戒を込めて零央は言った。良弦の残した資料は零央を魅了した。新聞の綴じ込みや手書きのチャートはもちろん、特に零央を引き込んだのは玉帳だった。棚の上部にあった簡素な筆記帳には良弦の思考が渦巻いていた。手がける銘柄についての所感や記された売買の価格や数量は良弦の残した足跡であり、人物に迫るにはまたとない素材だった。まるで良弦が傍らにいるかのような錯覚の中で零央は読みふけり、時間は瞬く間に過ぎた。小夜の勧めがなければそのまま夕刻を迎えていたかもしれない。

 零央は手の中にある同じ缶に眼を落とした。手の平に伝わる温度は確かにぬるめだった。


「もう。そういうつもりで言ったんじゃないのに」


「すみません」


 言ってから、零央はふと笑った。どうも小夜を前にすると謝る癖がある。気を抜いた瞬間、ふと思いついた事柄があり、訊いてみた。


「小夜さんは、どうして株をやるようになったんですか? りょうげんさんがお勧めになったとか?」


 小夜が首を横に振る。


「あたしが面白がったの。ここに来ると、じっちゃんについて回ってさ、株式欄の数字とかチャートを飽きもせずに眺めてたんだって。で、じっちゃんがふざけて上がるか下がるか訊いたんだってさ」


「チャートを見せて?」


 小夜が頷く。


「で、それが当たったらしいの。しかも、何べんも。あたしは覚えてないんだけど」


「いつ頃のお話なんです?」


「んーと。小学校に上がる前かな」


「そんな時からやっていらしたんですか!?」


「んなわけないじゃん。実際に取引しだしたのは高校に入ってからで、レクチャーは

中学の時から少しずつって感じかな。素質があるぞって言われて、あたしもその気になっちゃってさ。違和感なかったな」


 小さく零央は息を吐いた。高校生とはいいながらもキャリアが違う。


「株は体力無くてもできるし、歳取ってからもできるいい仕事だぞ、とかさ。株は女には向かない、なんて言うやつもいるが、おれはそうは思わない、とか。んなこと言われたら余計やってみたくなるじゃんねえ?」


「そうかもしれませんね」


 零央は笑んだ。良弦と小夜のやり取りが目に浮かぶようだった。


「あと、こんなことも言ってたな。男には底抜けがてんこ盛りにいる、って」


「? 底抜け?」


「そ。底抜けの下手くそ」


「―」


 一瞬、自分のことを言われたような気がして零央は心を固くした。自意識過剰のようだったらしく、小夜は何事も無かったかのようにしゃべり続けた。


「ま、確かにあたしには向いてたし、体力が無くてもできるってのも、実際やってるとよく分かるんだよね。歳も関係無いし。でも、株だけやってくってのもどうなのかなあ」


「株だけじゃダメなんですか?」


「ダメってわけじゃないけど」


 手にしていた缶を机に置き、両手で小夜が支えている。


「あたしは何かやりたいな」


「何かって、何ですか?」


「何か」


 明るく笑った顔を小夜は向けた。


「それじゃあ、分かりませんよ」


「ごめんごめん。あたしもはっきりと考えてるわけじゃないんだ。でも、あたしは何か作りたいの」


 物問いたげな表情をして零央が催促すると、小夜は言葉を重ねた。


「じっちゃんが『お金を作った』って話、したことあるじゃん? あたしはそれでいいと思うんだよね。それで立派だと思うの」


 頷きを零央は返した。


「そう考えた上で、何かを作る生き方ってのもいいんじゃないかと思うんだよね。せっかく生まれてきたんだからさ、何かやってもいいんじゃないかな、って。それが何かが決まってないとこで困っちゃうわけだけどね。でも、あたしはこれから探すの」


 明確な口調で言い切る小夜の顔は輝いていた。

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